小さな意思表示

 銀色に輝く真新しい鍋。その中に魚が一匹、多少の野菜と共に汁に浸され、ひたすらに煮詰められていた。
 ぐつぐつと煮詰められているそれを覗き見るために、ちらりと銀色のアルミホイルを浮かし、中身の様子を確認する終焉はじっとそれを見て、「もう少しか」と呟きを溢す。甘く、それでいて芳ばしい香りが鼻を擽って、終焉が満足そうに頷く。
 弱火で煮詰める間に食器棚に手を伸ばし、真っ白で傷ひとつない皿を取り出して、まな板の上に静かに置く。その傍らにある小振りの炊飯器に手を伸ばし、中身を見れば、真っ白な米粒がひとつひとつ立っていて、艶やがきらきらと目立っている。
 それに思わず終焉は眩しいと言いたげに目を細めながら、杓文字を手にして切るように混ぜ込めば、柔らかな香りを漂わせる白米がよりいっそう美味しそうに湯気を立たせる。
 それを見れば自ずと唾液の分泌量が増し、喉を鳴らす筈だが――冷めた目でそれを見下ろす終焉の表情はピクリとも動かない。まるで自分には全く関係ないと言いたげに目を伏せていて、――そっと炊飯器の蓋を閉めて近くにある椅子に腰掛ける。
 ぐつぐつと低い音が耳につく中、終焉は机に肘を突いてぼうっと時計を見上げる。時刻は夜の八時半。ノーチェを半ば無理矢理風呂に押し込んだ終焉は一人で宣言通り魚の煮付けを作っていた。以前何かに使えるかと思案して買っておいた魚が早くに役に立って良かった、と茫然と考えを張り巡らせる。

 ――彼は相変わらず自ら進んで食物を口にしようとはしなかった。それを無視して食べ物を口へ運んでは、無理矢理食べさせる終焉の行為は正しいものなのか、考えさせられてしまう。口へ運べばノーチェは否応なしにしっかりと咀嚼を繰り返した。小さな一口でもゆっくりと噛み砕いて、確かに飲み込んでいた。
 それが、やはり彼にとって大きな負担へ繋がるのではないかと男は考える。
 首輪の存在、風呂で見掛けた数多の傷痕、そして妙に痩せた体付き――奴隷として刻まれた証しが多い体が、終焉にとって酷く不愉快だった。どうにかして周りと何ら代わらない人間であることを思い出して欲しい――その為ならば強要も辞さないほどだが、それが彼に対する扱いで正しいのかと、先日の自問自答を繰り返す。

 今更彼――ノーチェに好かれようなどと思ってはいない。ただ、ノーチェにとってただの負担でしかないのなら、考えを改めるべきなのだろう――。

 知らず知らずの間に口内の肉を噛み千切ってしまっていたようで、微かに舌に伝う錆びた鉄の味に大きな溜め息を吐く。あまりに自分らしくないと呟いて、軽く頭を掻いて再びぼうっと時計を見やる。
 音を立てずに滑らかに動く秒針を互い違いの色を湛える瞳――オッドアイで見つめて料理の出来を今か今かと待ちわびる。先程よりも煮付けの香りが強くなった気がして、あと少しだろうかと、頬に当てている手の指を何度も動かす。

 あと少し。あと少し――彼が出てきてしまう前にできれば完璧だろう。

 ――不意に微かに漂う桃の香りに、大きな溜め息を吐いた終焉は小さく項垂れた。