早朝――まだ日が昇る前の寒さを感じる時間帯。鳥達が細々と目を覚ます中、街中のとある地下室で奇妙な集会が開かれていた。
階段を下りた先、扉を開いて中に入れば長いテーブルと、いくつかの椅子がある。仄暗い地下室を照らすように取り付けられた蝋燭の火は赤く、部屋全体を照らすのにはあまりにも小さすぎる。それを囲むように座る人間はこちらをじっと見ていて、薄気味悪いことこの上ない。
小さく舌打ちを溢して「こっち見るんじゃねえよ」と低く声を洩らす赤髪の男――ヴェルダリアは視線を寄越す〝教会〟人間に睨みを利かせる。獣のように鋭さを増した眼光に制圧されるように、誰も彼もがヴェルダリアから目を逸らすと、彼は勝ち誇ったかのように「ふん」と鼻で笑う。
滲み出る力の差に長いテーブルの向こう――ヴェルダリアから見て直線上に位置する席に、その男は居る。ぼんやりとした蝋燭の火に照らされた薄紫の毛髪、ちらりと薄目から覗く紫と白のオッドアイ――モーゼが手を組んだまま、くすりと笑う。
「座らないのかい」
モーゼはヴェルダリアの威圧など恐れていないと言いたげに柔らかく口を開いた。それは、彼の怒りを宥めるようにふんわりとした口調で、――しかし、ヴェルダリアはモーゼ自身に腹が立つと言わんばかりに、よりいっそう眉間にシワを寄せてぐっと睨む。
「座らねぇよ」――なんて口にすることはなかったが、彼の意を察したようにモーゼは微かに顔を俯かせ、「始めようか?」と呟く。その一言で凍てついていた場の空気が張りつめたように、ピリピリと肌を突くものに変わる。ぞくりと肌を滑る悪寒がいやに不快だった。
地下室にも届く筈の小さな鳥の声が聞こえない時間。振り子時計の針が動く音だけが静かに響く空間に、ほう、と男の息を吐く音が聞こえてくる。手を組み直し、足を組んで、モーゼは「始めようか」そう再び呟いて胡散臭い笑みを浮かべる。
「まず、君達にはお礼を言わなきゃね。――有難う。君達のお陰で、昨日の出来事が全て無かったことになったよ」
ふらふらと揺らめく炎の向こうでモーゼは微笑んで、〝教会〟の人間にさらりと礼を述べる。それに彼らは何かを言うことはなかったが、頷くこともなく、ただ黙ってモーゼの言葉を聞いていた。
昨日の出来事――それは紛れもなく、〝教会〟終焉の者が対峙して、街が損傷したという事。一人の奴隷を攫い、〝教会〟と〝商人〟の反感を買い、一部の人間が扱う魔法で街の一部が破損したという出来事だ。数多の人間が目撃して、軽症を負った人物も少なからず居ただろう。
そんな住民を避難させた日の夜の十二時、――終焉が〝教会〟を撒いた後、屋敷へと帰り世話を焼いていた頃にそれは実行された。
〝教会〟の人間を集め、壊れた建物の修復と、目撃者の記憶を余すことなく掻き消すための魔法の発動。規模が大きければ大きいほど、そのための人数と時間はより多くが必要となる。そのためにモーゼは善良である人間が眠りに就いたであろう夜中を狙い、〝教会〟の人間の協力を仰ぎ、何もないただの平和な街へと元に戻したのだ。
物理的に修復するというよりは、時間を戻したと言った方が近いであろうその現象にモーゼは小さく微笑んで、「これで街が平和に戻った」と呟く。これで住民が平穏に暮らせる、と――。
「胡散臭ぇ」
「何か言ったかい」
初老じみた妙な微笑みに吐き気を催したかのように、ヴェルダリアがぽつりと呟いた。冷たい壁に寄り掛かり、腕を組んでモーゼを睨む様は味方と言うよりは、敵同士と言う方がよく似合うだろう。
――しかし、モーゼは持ち前の懐の深さを見せるようにそれを咎めることはなければ、ヴェルダリアに良い印象を抱かない自身の部下を宥める姿を見せる。一口で言えば彼は優遇されていると言えるのだ。
だが、勿論それをよく思わないのが数多く居る。顔を見せているモーゼの部下は、ヴェルダリアのことをよく思っていないのが大半だ。総司令官とも言えるモーゼに歯向かい、敬意も示さず、従う気もない彼を見て、忠誠を誓う彼らはモーゼの――ヴェルダリアに対する対応を良く思ってはいない。罪を償わせるような罰を与えてもいいとさえ思っているほどだ。
しかし、彼らはそれを口に出すことはおろか、モーゼにも伝えることはない。理由は簡単――単純にヴェルダリアの力が強いからだ。終焉殺しの名は伊達ではなく、あの男に匹敵する力を持っているのだと、存分に思い知らされるからだ。
「ほら、君達。そう睨んではいけないよ」
ふとモーゼが小さく語りかける。彼らはヴェルダリアの、モーゼに対する言動に睨みを利かせていると知るや否やハッとして、咄嗟にモーゼへと向き直る。相も変わらずモーゼはやんわりと胡散臭い笑みを浮かべたまま手を組んでいて、「ヴェルダリアも素直じゃないんだよ」なんて言葉を紡ぐ。
蝋燭に灯された炎が仄かに揺れる――そして、「君達も解っているだろうけど」と唇を開く。
「昨日我々が倒すべき存在が姿を現したのは覚えているね?」
ゆっくりと組んでいた手をほどき、モーゼは軽く手のひらを合わせる。彼らはそれに頷いて、ヴェルダリアは興味がないと言いたげに目を閉じたまま、嫌々耳を傾けている。
「あの男こそが世界を脅かす〝終焉の者〟。その名の通り、あれは世界を終焉へと導く者とされている――ここまでは君達もよく解っているよね。対処法は知っている筈。そこで、問題は次だ。――何故あれが、奴隷を拉致したのか、ということ」
今まで息を潜めていたとされる終焉が突如姿を現した。それも、人目も憚らず白昼堂々奴隷を一人抱えて、だ。
その事実は彼ら〝教会〟にとって大きな衝撃であるようで、地下室の謎めいたこの集会も、昨日の出来事が原因だろう。〝教会〟に伝わる本の一節に刻まれた「世界を終焉へと導く者」――これは〝教会〟に携わる全ての者達が知っていると言っても過言ではない。何せ、〝教会〟はそのために生まれたのだから。
〝教会〟――もとい、イグレシアとも呼ばれる集団。彼らはとある書物の名のもとに形成された魔力を持つ進行深い聖職者達だ。人々の手助けをするのも、街の問題を解決するのも。正しい道へ導くのも大抵は彼らが担ってくれる。勿論、神への祈りを欠かすこともない、清く正しい者だ。
――表向きは。
ルフランの住人は彼らがただの聖職者だと思い込んでいる。しかし、彼らはただの聖職者で終わる存在ではない。「世界を終焉へと導く者」――それに対を成す「終焉を打ち消す者達」であり、彼らにとって終焉の者は「絶対的に殺すべき対象」であるのだ。
――そもそも事の始まりは〝教会〟の創設者が地下深くに眠る、とある書物の存在を発見したことから始まる。
黒い背表紙に白い文字で書かれた一冊の本――興味本位からそれを開けば、呼吸を繰り返しているかのように、つらつらと文字列が増えていくのだ。行きすぎた先の頁に何かが記されている訳ではなく、ただ淡々と長い文章を刻んでいく。
好奇心からそれを読み進めると、ある法則性に気が付いた。――それは、経過は違えど、全て結末は同じ――この世界は滅んでいる、という記述が残されていることだ。
複数にわたる経過、若しくは可能性を葉と捉えるならば、結末は花と言ったところだろうか。幾つもの記述はまるで若芽を伸ばして背を高くする茎や葉のようで、ある一点の結末は例えるのなら蕾といったところだろう。そして、時期を迎えると美しく花開くように、眠るように世界が滅びているというのだ。
然るべき事態なのだろう。一見きらびやかで色鮮やかな世界であるが、蓋を開ければ隠していた汚れが一斉に目立つ。それらを洗い流すべく、終焉の者はこの地へ生まれ落ちたのだろう。
――創設者はそれを知ると、元にあった場所へと黒い本を戻した。現在進行形で内容を濃くしている書物だ。ただ終焉への道筋を記しているだけでなく、本来ならば有り得ない筈の事まで記されている。それが世間へと知れ渡れば争いが起きかねない。平和な世界を望むからこそ、取った行動だった。
――それを許さない者が居たのだ。
純粋に人助けを目的とした〝教会〟は、その日を境に役目を変えたと言っても過言ではないだろう。そして、季節が移り変わる中、転機は漸く訪れたという。
「世界を滅ぼすためだけに存在している者が、何故、奴隷を攫うのか。人質か、人肌恋しさ故か、はたまた別の理由か」
これは一体何なのだろうね、とモーゼは首を傾げてみせた。いくつかの理由を挙げては納得がいかないと言わんばかりにそれらを叩き潰す。〝終焉の者〟が人肌恋しさ故に人を攫うなどという候補は真っ先に消えた。生まれも育ちも知らない男が、人に愛を求めるなどと間違っている、と言い表したいかのように。
そのまま彼らはちらほらといくつかの意見を述べてみた。奴隷を利用してみたかった、単純にじっくりと殺してみたかった、など。どれもこれも信憑性に欠けるようで、痺れを切らしたようにヴェルダリアが「下らねぇ」と言葉を洩らしてしまう。
「こんな下らねぇことで呼ぶんなら俺帰っても良いよなぁ?」
「貴様……先程から失礼だと思わないのか!?」
ふんぞり返って誰も彼もを見下すような仕草に、遂に〝教会〟の一人が椅子を弾いて立ち上がる。弾かれた椅子はけたたましい音を立てて床へと倒れていった。傍らにいた〝教会〟の人間達は肩を震わせたが、モーゼとヴェルダリアは予想の範囲内だと言いたげに平然としていて、青年の怒号に怯む様子はない。寧ろその逆――眉尻を下げて煽るように嗤うと、ヴェルダリアは唇を開いて言い放つ。
「そういうことはエンディアに手を出せるようになってから言おうなぁ?――坊っちゃん」
明らかな悪意が込められたであろう「坊っちゃん」の言葉に青年の何かが切れた。
常に懐に携えているという手のひらサイズの古書を広げると、空気が一変する。春の早朝の寒さではなく、凍てつくような冬の寒気が襲ってくるような感覚――「相手してやっても良いんだぜ」とヴェルダリアが担いでいる大剣に手を掛けると、ざわめきがよりいっそう深くなる。
それをモーゼは依然胡散臭い笑みを浮かべていて――。
「――教会内でそれ禁止だと言った筈だが」
――と呟きながら手をほどき、するりと指を踊らせる。すると、凍てついていた空気が一瞬にして消え去ってしまった。代わりにモーゼの低い声がよく響く。
衝動に駆られた青年はハッとした様子でモーゼを見れば、男は微笑んだまま、冷めた目で青年をじっと見つめていた。生意気な態度こそ取っているが、ヴェルダリアは一度も自分から手をあげようとはしていないのだ。今回の一件はそう――モーゼの為を思い、衝動的に手をあげかけた彼が原因だと言いたいようだ。
その視線に押し負けたのか、青年は開いていた口を小さく動かし何かを呟こうとしたが、耐えられなくなったと言わんばかりに目を逸らし、小さく後退りをする。そして、倒した椅子を立て直したかと思えば徐に席に着いた。
「そう、よろしい」モーゼが子供を褒めるように呟いた言葉と、「張り合いがない」とヴェルダリアが溢した言葉が折り重なる。――だが、ヴェルダリアは大剣に掛けていた手をポケットの中へとしまった。
まるで、躾がなっていると言えるような様子にモーゼは静かに笑い――そして、徐に手元にある蝋燭にふっと息を吹き掛け、火を消してしまう。それに従うよう周りも同じように吹き消すと、どこからともなく鳥の囀りが聞こえてきたような気がした。
「話を変えよう。――君達、今日は何の日か解っているね?」
薄暗い地下室の中で返事をする〝教会〟の者達。その行動の後にモーゼは懐に手を入れたと思えば、徐に取り出したのは一輪の花だった。
「今日は季節のイベント、花祭りだよ。日頃感謝を伝えられない若者のために始まった行事だ。家族、恋人、知人、親戚……好きな者に好きなように渡すと良い」
花を口許に宛がい、あざとく首を傾げながら男はにこりと微笑む。
「知っているとは思うけど、行事の最中は何に対しても手をあげてはいけないよ。――たとえ、相手が倒すべき者でも」釘を打つようにそう呟いて、モーゼは徐に立ち上がったかと思うと手を叩き、「解散」の一言を言い放つ。
すると、それに従うように周りは一斉に席を立ち、出入り口へと向かった。付近で寄り掛かっていたヴェルダリアは肩が当たらないよう然り気無く避けて、先程の青年が横を通り過ぎると同時に、強い舌打ちを放つ。
一見ヴェルダリアの一方的な苛立ちにも見えるが、一人にしては音が大きく聞こえた。――勿論、モーゼの為を思った青年もまた、ヴェルダリアに対して苛立ちを覚え、舌打ちを放ったのだ。
その光景を目にして、モーゼは肩を震わせてくつくつと笑う。何が面白いのかと言わんばかりに彼は深く息を吐くと、「俺も戻る」も言って背を翻す――。