「おー……随分と咲いてんなぁ!」
満開な桜の木々の下、彼は声を大にして言い放つ。
心地のいい春の日差しの下で黒髪の男と白髪の男が空を見上げていた。水色がかった青い空に白い雲、真夏よりも柔らかな日差しと心地のいい風が頬を撫でる。普段緑に彩られる木々が一面桃色に染まっている光景は、何度見ても感動を覚えてしまうようで――ほう、と吐く息は溜め息とは異なった。
彼は鮮やかな色を湛える桜の木に手を伸ばして、枝を撫でる。意味もなく何気ない行為に男は木陰の下で瞬きをすると、徐に彼が振り返って笑った。春は誰の気持ちも浮わつかせるようで、彼の表情はまさに子供そのものだった。
その笑顔を向けられた男はふ、と笑っていたが、彼の白い毛髪が煌めいてチクリと男の目を焼く。思わず男が目を覆うと、彼は「悪ぃ」と小さく呟いて、木陰の下に居る男の元へと駆け寄る。
「ははっ、ついはしゃいじまった! やっぱ季節ってのは面白いよなぁ」
彼は目元を覆う男の顔を覗きながら「平気か?」と問い掛けると、男が徐に顔を上げる。赤と金に彩られた獣のような瞳が彼の顔をじっと見つめていた。「ああ、気にするな」――そう言いたげに男は微笑んで、何気なく彼の頭に手を置く。そのまま指の間に髪を絡ませて、ゆっくりと撫でるのだ。
すると、彼は徐々にふて腐れるような表情に変わる。目を細めて眉を顰め、口をへの字に曲げるのだ。
その様子が可笑しくて、男は思わずふっと笑い出してしまうと、彼が「ガキ扱いすんなよ」と男の手を払い除ける。頭を撫でられ微笑まれるという流れが、彼を子供だと思わせてくるようだ。
桜がちらほらと舞い落ちる中で見るその表情こそが何よりも子供らしいというのに、彼はそれに気が付かずただ不愉快そうに唇を噛み締める。男は僅かに慌てて「子供扱いしているわけではないのだ」と小さく呟く。
「ただ、撫でるのが好きなんだ。特にお前が相手だと尚更」
頭が丁度いい位置にある他、自分の髪とは違った柔らかく癖のある毛髪に惹かれ、男は堪らず頭を撫でる。すると、彼は一度瞬きをすると、妙に嬉しそうにはにかむような笑顔を浮かべるのだ。恐らく彼自身はそれに気が付いてはおらず、何やら意味ありげに男の顔を見つめるだけ。
彼も彼で撫でられることは満更でもないのだ。特に男相手だと尚更のこと。ただ、それを許せる時と場合が異なっていて、今日はあまり乗り気ではなかったのだ。彼が見上げる男の表情が柔らかく、小さな想いを馳せるように微笑む顔がいくら好きだと言っても、子供を宥めるような仕草はいただけない。
彼は男の言葉にムッと顔を顰めたが、どこか落ち込むような陰が差す表情に思わずぐっと息を飲み――堪らず大きな溜め息を吐く。はあ、と口から吐いて肩を落とすと、「仕方ねえなぁ」と呆れるように頭を寄せる。
「……ん」
そうして気を許すと、男は微かに頬を緩めて彼の頭へと手を伸ばした。柔い毛髪が男の手を包むように受け入れる。「心地いいものだな」なんて呟いて惜しむようにゆっくりと手を離してやった。
もういいのかよ、と彼が言うと、男は「呆れられては困るからな」と言って大きな幹に背を預ける。腕を組ながら寄り掛かって、ほう、と一息。日頃の疲れを晴らすように桜を見上げて感嘆の息を洩らす。
何にも動じない筈の男がひとつひとつに感情を覚えていく度に、どこか遠く思えるような気がしてならなかった。はらはらと舞い落ちる桜の中で男の存在はよりいっそう儚く、今にも消えてしまいそうな印象を受ける。日頃から存在を増す黒い髪もどこか消え入りそうなほど、小さく揺らめいていた。
彼は徐に男へと手を伸ばし、何気なく頭に触れる。
「……ん、どうした?」
男は小動物を眺めるような瞳で柔らかく問い掛け、彼の言葉を待った。「何か、消えそうで」――なんて言葉を紡ぐこともできず、頭の中に浮かぶ言葉をいくつか並べ、探した結果――
「頭、花弁ついてんぞ」
――なんていう、ありきたりな言葉だった。
そして運が良くその通り彼の手の中には花弁が一枚収まっている。男はぼんやりとそれを眺め、「よく落ちなかったな」なんて不思議そうに木を見上げる。
薄い桃に染まる花弁を興味深そうに見つめる男に、彼は何気なく「案外似合うじゃん」と笑う。男相手にそんな言葉を向けたところで喜ばれる筈はないと分かっていながらも、言わずにはいられなかったのだ。
すると、彼の思う通り男は微かに唇を尖らせて、「俺は女じゃないぞ」なんて分かりきったことを呟く。男にもそれなりのプライドはあるのだろう――彼の言った言葉が、あくまで男という性別に向けられた言葉ではないことを知って、小さくふて腐れた。
その表情に、彼は先程子供扱いされたことへの親近感を抱く。男は子供扱いしていないというが、態度が物語って納得がいかなかったのだ。その状況を、今の男なら余すことなく理解してくれるだろう。
試しに「女扱いしてねえよ」なんて言ってみれば、男は「さあ、どうだかな」なんて言って、ぷいとそっぽを向いてしまった。
――十分に理解してくれただろう。彼は笑って、「そんなふて腐れんなよ」と男に言う。すると、透き通るように輝かしい互い違いの瞳が拗ねたまま彼の顔を捉え、唇を尖らせて「むぅ」と唸る。
男の癖のひとつに彼は笑ってその場を誤魔化して、覗き込む形で男の顔をじっと見つめた。
「なあ、――」
彼はポツリと男の名前を呼ぶ。そうして自分の瞳に手を宛がい、誇らしく思うよう、言った。
「今日――の色、片方お揃いだな」
そう呟かれて、男は自分の金の瞳にそっと指先を置いた。
彼の瞳は男の瞳とはまた別の、澄んだ金色に染まっている。美しく、月のように淡く光りながら、どこか妖しげな雰囲気を湛えている。見つめる先にある男の瞳もまた透き通り、獣のような鋭さを兼ね備えて彼をじっと見つめていた。
「やはり、お前の目はいい」――感嘆の息を洩らすように呟いた男の言葉に、彼は「そうか?」と答える。この瞳のお陰でよくないことにもしっかり巻き込まれた。好きか嫌いかで言えば、あまり望まれたものではないのだろう――嫌いだと答えそうな彼を他所に、男は魅了されるように彼の頬に手を伸ばす。
「俺は好きだ……こんな綺麗な目は見たことがない」
満開の桜の下、まるで告白のような言葉に耐えられず彼は大きく笑うと、目尻に涙を浮かべながら「最高」と言った。
「やっぱ、――についてきて正解だったな!」
そう言って、彼らは桜の中で楽しそうに笑い合っていた。