「〝永遠の命〟というものを知っているか?」
洗剤を入れ、水の中で回り始める洗濯物を眺めていると、終焉が静かにノーチェに話し始めた。ノーチェは回る洗濯機を一度だけ横目に見てから終焉の声がした方へ向かうと、案の定終焉が茶菓子を持ちながらノーチェが脱衣室から出てくるのを待っていた。思わずそれに「要らないんだけど」と呟いてみるが、終焉は聞いていないふりをして背を向け始める。雨が屋根を打ち付ける音――それを楽しむために紅茶を嗜もうというのだ。
前回の御茶会に比べて足りないものは景色であるが、それなりの話をするのに屋敷内の静けさはうってつけで、彼はしぶしぶ了承した。
今回の紅茶のお供になるのは甘い香りのパウンドケーキだ。プレーンの生地にココアを混ぜて、アーモンドを加えたごく普通のパウンドケーキ。それに然り気無いチョコチップを混ぜているのが終焉のお気に入りのようで、「美味いぞ」というその表情は何かを期待しているようだった。
終焉の後に続いたノーチェは赤いソファーに身を沈め、終焉は向かいの椅子に腰かける。相も変わらず足を組んで頬杖を突く様は誰よりも、何よりも似合っているような気がして、頭が上がらなくなる。こんなにも偉そうに振る舞う様が似合っている人物が居るかどうか頭の中で考えては、終焉が甘いものを口にする度に意外性だけを感じていた。
席に着いて僅か数分。空のティーカップを目の前にノーチェは首を傾げる。何せそのパウンドケーキはすぐに喉が渇いてしまう。そうでなくても終焉は率先して紅茶を注いでくれるのだ。それがいつまで経ってもやってこないので、ノーチェは徐にティーカップを傾けてやる。催促しているつもりはないが、「紅茶が欲しい」という気持ちを込めて。
「…………」
すると、終焉は微かに唇を尖らせて「むぅ」と言いながらゆっくりとティーポットを傾けた。赤茶色の透き通る温かい紅茶がティーカップへと注がれる。漂う芳ばしい香りにほっと一息吐けたが、何故終焉が不満そうに表情を変えたのか分からなかった。
分からないままぼうっと思考に身を委ねて紅茶を飲むと――、ノーチェは咄嗟に原因を思い出す。
終焉は然り気無く待っていたのだ。ノーチェが紅茶を注いでくれるのを。理由は簡単、男は一度もノーチェが注いだ紅茶を口にしたことがないからだ。
以前自分を魔女と名乗るリーリエが屋敷を訪ねた際、彼は確かに紅茶を振る舞った。挑発されて妙な苛立ちを覚え、唐突にやったこととはいえ、ノーチェから何かを振る舞ったのはリーリエが初めてだ。
それを終焉は拗ねている――どう見てもふて腐れている。表情が乏しいが、しっかりと喜怒哀楽を表せる人物であったら間違いなく頬を膨らませていただろう。眉を寄せて眉間にシワを作り、唇をへの字にも曲げていたのかもしれない。
その可能性が垣間見える終焉に、ノーチェは思わず「また今度」と呟く。いつになるかは分からないが、気が向いたとき――例えば終焉が身動き取れないようなとき――に振る舞うと言ってやる。すると、終焉は表情を緩めたと思えば唐突にノーチェから目を逸らし、「ん」と言った。
ここ最近は何となく終焉の考えが読めるようになった。やることがなく、理由もなく終焉を観察していたからだろう。未だ読めない表情は多いが、目を逸らす行動は照れ隠しのひとつだと彼は気がついている。先程の言動のどこに照れる要素があるのかは分からないが――、それでも許してくれるというのだ。いつかは男に振る舞ってやらなければならないだろう。
機嫌取りを一回。ノーチェはカップをソーサーに置きながら「やってしまった」と心中で呟いてしまう。手料理も充分すぎるほどに得意な男に自分の何かを振る舞うのだ。そのときが来るまで多少の練習は欠かせないだろう。
これはまた面倒だと思いながら用意されたパウンドケーキを一口。ふんわりと柔らかな食感が甘い香りを誘ってくるが、その分喉が渇いて仕方がない。何気なくちらりと終焉を覗き見ると、男はやはり砂糖やミルクをふんだんに使ったミルクティーを飲んでいて、彼の胸には蟠りのように胸焼けが募る。
もう当分は甘いものは要らないな、とパウンドケーキを食べる手を止めてしまった。
「――それで、〝永遠の命〟は知っているか?」
きぃ、と音を立てたのは終焉が使っている椅子だ。木製に赤い生地をふんだんに使った座り心地のいい――らしい――それは、年季が入っているようで時折軋んで音を立てている。ノーチェからすれば座っているソファーもなかなかの居心地で、椅子よりも満足するようなものだった。
そんなソファーで足をぶらつさせながらノーチェは終焉の問いかけに首を左右に振って、「どういうもんなの」と何気なく問いかける。終焉はパウンドケーキを頬張ってから「そのままのものだよ」と呟いて指先を軽く舐めた。
「これといって特別な意味を孕んでいるものではない。そのまま『永遠に繰り返されるひとつの命』というものだ」
紅茶だった濃厚なミルクティーを一口。軽く口に含んでから終焉は再びパウンドケーキに手を伸ばし、「甘さが足りないな」とぼやきながらそれを食べ進める。
〝永遠の命〟――それは人や物に宿るとされる摩訶不思議な命だ。一度「殺す」か「壊す」ことで対象が機能しなくなった後、永遠に同じ命が繰り返されるのだ。壊した筈のそれは早ければ数分、遅ければ一日経てば傷痕もなく当たり前のように存在している。それ以降は「死」という概念を忘れさせ、自然の理から強制的に外れるのが〝永遠の命〟を宿す者の特徴である。
簡潔に言えば不老不死に近いのだろう。厳密に言えば初めて死んだ頃から年を取ることはないが、死なないということはない。――つまり、何らかの致命的な傷を負い、便宜上「死ぬ」ことがあるが、そのまま肉体が滅びることはないということだ。
対象者に負担はかからないというが、それは客観的な話であり、本人からすればそれなりの負担はあるのだろう。その負担は人によって様々であり、その度合いも異なるという。
その命を終焉は宿しているというのだ。