終焉が夕飯をねだられて作り上げた夜。睡眠を挟んだ所為か、調理中に眠るなどという行為に出ることはなく、ほうっと一息吐いた三日月が浮かぶ時間。どこからともなく取り出された酒瓶に嫌気を覚えた二人は、ちらりと互いに目を配らせる。
出てきてしまったそれは、リーリエの口に何度も何度も運ばれていって、最終的にはグラスではなく瓶から直接飲むまでに至る。酒瓶の口許を手で持ち、腰に手を添えて立ち飲みをする様は、まさに風呂上がりのそれと同じように見えた。
体に悪いと何度思ったことだろうか。
大きく笑う女をよそに、ノーチェや終焉は口数を減らし、黙々と夕食を摘まむ。どこに作る余裕があったのか、魚のムニエルを頬張るノーチェの横で、終焉はイチゴのタルトを頬張っていた。
芳しい香りの合間に入り込む甘い香りに、流石の彼も眉根を顰める。普段向かい合っている分、真横に並ばれることにも慣れていないのだろう。
――しかし、笑い上戸であるリーリエの横に並ぶよりはマシだと思えてしまうのだった。
相変わらず料理上手な終焉の手料理に文句の付け所もなく、完食をしてしまう。「ごちそうさま」と言えば、必ずと言ってもいいほど、終焉は「お粗末様」と返してくる。それは、リーリエに向けても同じように紡がれるものだから、ほんの少し、特別感を失ったことに不満を抱いた。
夕食を終えたらすぐに解散――というわけにもいかず。後片付けをする終焉とノーチェに、リーリエは子供のように駄々を捏ねる。「食後のデザートが欲しい」や「お酒を使ったアイスが食べたい」なんて、訳の分からないことを言い出して、遂に終焉が溜め息を吐いた。
この人が嫌々何かに応える姿を見るのは珍しいな。
――なんて思いながら、ノーチェはキッチンを後にする。何かを手伝おうかと思ったのだが、料理の時間は終焉の独壇場だ。ノーチェに何かを手伝える筈もなく、彼は渋々リビングでリーリエと共に終焉を待った。
相も変わらず笑い続けるリーリエを彼は横目に見て、どれ程の量を飲んだのかを考える。礼儀が一応残っているのか、空いた酒の瓶など転がってはいないのだが、鼻を突く独特な香りは辺りに漂っていた。
なんて匂いだろう。
終焉の風呂上がりの香りが酷く恋しく思えるほど、ノーチェの呼吸器には酒の香りが詰まっている。今まで何も思わなかったのだが、溜まりに溜まったそれに初めて嫌悪感を抱き、「それやめて」と女に呟いた。
「独身女の楽しみを奪うって言うの!?」なんて口煩くリーリエが騒いだと思えば、キッチンの扉の向こうから終焉が顔を覗かせる。その手にはガラス容器に盛り付けられたバニラアイスが白く輝いていた。
バニラアイスの上にチョコレートソースを掛けたものに、片方にはイチゴ、片方にはウエハースがトッピングされている。てっぺんには深緑に彩られたミントがひとつ。目の前に置かれたそれに、リーリエどころかノーチェもほんのりと目を輝かせた。
「かわいい~! けどお酒は~!?」
「馬鹿か。酒を飲んでる奴に更に勧めるわけがないだろう」
ぱちん、と両手を合わせて喜ぶ顔を浮かべる女の横で、ノーチェはちらちらと終焉の顔を見やる。
自分はねだった試しはない。しかし、ノーチェの目の前にはウエハースが添えられたアイスが平然と置かれている。
終焉は呆れた様子でリーリエの相手をしていたが、ノーチェが視線を投げ掛けているのに気が付いて「何だ」と問い掛けた。
「食後のデザートくらいは食べられるだろう? 嫌だったか?」
ほんの少し困ったように眉尻を下げてきた終焉に、ノーチェは首を横に振る。その横ではリーリエが満足そうに微笑みながらアイスを頬張っていて、時折笑いが溢れている。
ねだったのは他でもないリーリエだ。通常ならばリーリエ以外の分など用意する手筈でもないのだが、終焉は丁寧にノーチェの分まで用意してきたということなのだろう。
特に大したこともしていない自分がこんないいものをもらってもいいのか。
――そう懸念してちらちらと終焉とアイスを交互に見つめると、横から女が「ちょっと~」と口を開く。
「溶けちゃうじゃない。食べないんなら私がもらっちゃうわよ~?」
「……触んな」
ノーチェの隣からつい、と出された金の匙がアイスを目掛けて振り下ろそうとされる。咄嗟にガラス容器ごとアイスをリーリエから遠ざけて、彼は小さく女を睨んだ。「これは俺がもらったの」そう言えば女はくつくつと笑って、「じゃあ食べなさいな」と言う。
そんな言われなくても。咄嗟に口を開いて金のスプーンを手に取り、ほんの少し溶けかけているアイスを掬う。金や銀の色をした食器が多いなんて思いながらも、一口頬張ると、甘い香りと共に口の中が冷える。
夕食を済ませた後のデザートとはなかなかに新鮮で、風呂を済ませていない罪悪感に苛まれながらも、彼はそれを口の中へと運び続ける。
終焉曰くただ盛り付けただけのものらしいが、盛り付け程度でここまで変わるものかと、彼は目を瞬かせた。隣では「美味しければいいのよ」なんてリーリエが言う。こればかりは同意せざるを得ないと思い、ノーチェもまた頷いた。
つまり私が作らなくても美味いのか、なんて終焉が拗ねるように呟けば、そんなことはないと二人は言う。寧ろ毎日作ってもらいたいくらいだとリーリエが告げると、ノーチェもまた頷く。
――直後、「あんたは作ってもらってるでしょうが」なんて女に言われてしまって、ノーチェは「あ」と口を洩らした。
「料理が上手い奴に作ってもらえるご飯は美味しいでしょうね」
「……当たり前」
「何、嫌味のつもり?」
胸を張るような気持ちで軽く自慢を溢せば、リーリエは唇を尖らせた。
ふて腐れたまま溶けかけているアイスを口へ運んで、尖らせた唇をへの字に曲げる。そのあとすぐに笑みを溢すものだから、表情がころころ変わる人だな、なんて思って、彼も与えられたものを食べ進めた。
甘い。甘くて冷たい。こんなに甘いのだから、終焉も食べないのかとこっそり視線を投げれば、終焉と目が合う。今まで何の気なしに見つめてきていたようで、視線が交差した瞬間、男が照れ臭そうに視線を逸らせる。
――とはいえ相変わらず無表情で顔を着飾っているのだが。少しでもそこに感情が織り混ぜられているのが、ノーチェには何となく分かるようになった。
恐らく終焉は夕食として普段から甘いものを食べているから、今回は口にしないということなのだろう。バニラの香りが仄かに鼻を擽るのに気持ちが穏やかになるのが分かる。
美味しい、と何気なく呟きを洩らせば、終焉のまとう雰囲気が僅かに柔らかなものへと変わったような気がした。自分の好物が相手にも好かれると嬉しい、というのが男の気持ちだろう。
そんなに嬉しいものかと思う頃にはリーリエは既に完食していて、ノーチェのデザートに視線をちらちらと向けている。彼はそれを庇いながらウエハースを食べ進めて、終焉はその様子をただ黙って見守っていた。
二人が食後のデザートを堪能したあと、リーリエは家に帰ると言ってエントランスへと赴く。気に入っているらしい赤いヒールを履いて、陽気なまま女は森の方へと歩く。「またねぇ」なんて言うものだから、終焉は「二度と来なくてもいいぞ」と言葉を返す。
隣でこっそりと横目で見た終焉の顔は、相変わらず無表情のまま。先程の口振りを聞いて、今まで気になっていたことを彼は呟く。
「……金髪の女って……アンタ、嫌いなの……」
以前リーリエが告げた言葉を何の気なしに洩らした。
終焉は金髪の女が嫌いだと、女は確かに言った。普段の様子からは見られない事実に、彼はそれを信じているわけでもなければ、信じていないわけでもない。
ただ、その言葉が真実であれば、リーリエと会うことを終焉は嫌だと思っているのではないだろうか。
ノーチェの疑問に終焉はリーリエが歩いた方を眺めていながら、「そうだな」と小さく唇を開く。
「女に限らずとも、私は金髪の人間が嫌いだ」
それ以上の言葉を紡ぐことはなく、終焉は扉を開けてノーチェと共に屋敷の中へと戻る。ほうほうと鳴き始める梟の声が、やけに寂しそうに聞こえたのは気のせいだろう。
誤魔化されることもなく洩れた言葉に、ノーチェは僅かに眉を顰める。女も嫌いだが、男も嫌ということだろうか。それとも、金髪の中で女が特に嫌いなのか――何故だか理由が気になったような気がした。
訊いたら教えてくれるのだろうか。それともはぐらかされるのだろうか。
歩き進める終焉の背中にそうっと手を伸ばして、引き留めようとすると――不意に終焉が振り返る。まるで、彼の行動を見透かしたような動きにノーチェは手を止めると、男が小さく微笑んだ。
「もうすぐ満月だな」
木枯らしが吹く夜に、ノーチェは終焉の嬉しそうな笑みに小さく頭を傾げたのだった。