仲秋の名月 1

 秋も半ばに入った頃。終焉の心配事も杞憂に、〝教会〟の面々は 屋敷へと訪れることはなかった。寧ろ、街へ向かえば忙しなく動く人間と、〝教会〟達の人間が視界に映る。
 街を流し見て、窓から窓へ伝う三角布が吊り下げられていることに、ノーチェは気が付いた。
 今日は何か祝い事があっただろうか。――そう思いながらぐるぐると辺りを見渡していると、不意に体が何かにぶつかってしまう。壁のような硬さはないが、柔らかいわけでもない。
 咄嗟に顔を上げると、黒い髪が視界に入る。

「何を見ていたんだ」

 そう言って数十センチ低い背丈を見下ろすのは、他でもない終焉だった。
 くるくると回るように街を眺めていたノーチェは、買い出しから戻ってきた終焉の体にぶつかってしまった。「ごめんなさい」と呟きながら空いた手で荷物を持とうと試みるが、男は彼を見つめたまま、すぃ、と手を避ける。
 そして、もう一度「何を見ていたんだ」と問うと、首を傾げてみせた。

 ノーチェと終焉は街へ買い出しに出てきている。今日の男はやけに機嫌がよく、ノーチェを見る度にほんの少し嬉しそうに笑う。
 その理由を彼自身は特に知っていて、目が合う度に「またか」と小さく溜め息を吐くのだ。
 仲秋の名月と呼ばれる秋の月。一際満月が輝く空を見上げて、団子なんてものを食べる風習がここにもある。終焉が言うには、東の方から取り入れたらしい、とかで、月を見上げるのはほんの一部だと言うのだ。
 今宵は満月。自ずと、彼の瞳も金に瞬く。その瞳を見る度に、終焉は心を踊らせるように口許を緩めるのだ。

 死んではいない、ということがせめてもの救いだろうか――。

 相変わらず、満月の日には体を動かさないと落ち着かないもので、ノーチェは半ば無理矢理終焉の後をついて回る。普段なら我慢しろと言い聞かせてくる男だが、この日ばかりは寛容的で、ノーチェが後をついて来ようが宥める様子もない。
 首輪がついていても、多少なりとも満月によって活発になるノーチェを、終焉は容認しているのだ。

 そんな終焉の荷物持ちとして、店の前で待ってると言ったノーチェは、終焉の問いに答えるように住宅を軽く指で差す。

「また、何かあるんだと思って……」

 賑わいに負けないように言葉を紡ぐと、終焉は納得したように「ああ」と口を洩らした。そしてそのまま、避けていた手を戻し、手荷物をノーチェへと明け渡す。
 がさり、と音を立てて収まった荷物には、今日の夕飯分と――月見団子のための材料も含まれていた。

「あるのは収穫祭だな……秋の終わりにする祭りなんだが」

 花祭りと同じくらい大きな祭り事だよ。
 そう言ってノーチェの頭を撫でて、終焉は何度目なの嬉しそうな微笑みを浮かべた。終焉の表情を見るのは特別飽きはしないが、そんなに気にするほど嬉しいのかと頭を捻る。
 荷物を片手にそろ、と目元に触れるが、何かの違いがあるわけではない。相変わらずの視界がある他には、やはりほんの少し意欲が湧いているだけ。更に強いて言うなら、終焉と片目の色が同じであるだけだ。

 終焉はノーチェのことを好いている。本人はそれを愛と形容しているが、生憎ノーチェにはその違いは分からない。
 ただ、そういった相手であるノーチェと、ひとつでも何かが「お揃い」になることを、終焉は酷く喜んでいるように見えた。

 何気なく添えていた手を下ろし、彼は終焉の傍らに寄り添う。 そうして「収穫祭は何すんの?」と呟けば、終焉はフードをかぶり直しながら「そうだな」と言葉を洩らす。
 収穫祭、とは言うが、一般的に行われるものは収穫を祝うものではない。子供達が獣や魔女に仮装して、大人達から菓子をねだり歩く祭りだ。
 菓子がなければ悪戯をされるというのだから、迷惑であることこの上ない、と男は呟く。
 賑やかな街を練り歩きながら、上目で見た終焉の横顔は、ほんの少し鬱陶しそうに歪められている。「まあ、参加はしないんだが」と口を洩らして人混みを掻き分けるのを、彼は生返事をしながらついて歩いた。
 人混みを掻き分ける終焉の後を歩くのは、随分と慣れたように思える。するすると間を縫って歩く終焉は、ただ真っ直ぐに前を向いていて、人の波がどうやって来ているのかを目にしているわけではない。
 感覚と慣れが男の歩き方を変えているようで、彼はそれを判断するのに慣れたようだった。
 そんな終焉の傍らに絶えず寄り添いながら、「参加はしないんだ……?」と呟きを洩らす。花祭りは参加した――とはにわかには言い難い――のに対し、秋の祭りには参加しない意図が、彼には分からなかった。

「別に大した理由じゃない」

 よろめいた住人の然り気無く支えたあと、何食わぬ顔をして立ち去りながら、終焉は言う。

「子供が苦手なだけだ」
「……アンタ、案外苦手なものだらけなんだな」

 ほんの少し、鬱陶しげに呟かれた言葉に、ノーチェは口を洩らす。
 見た目からして特に苦手なものはないものだと思っていたが、蓋を開いてみればかなり人間らしい一面が現れてくる。その多くが対人関係に当てはまる分、彼はほんの少し微笑ましく思えた。
 金髪の女が嫌い。子供が嫌い。ヴェルダリア――のことは、ノーチェ自身も苦手だとしている分、納得ができるものがある。その他に終焉が苦手としているものと言えば――

「……あと……苦いもんと、辛いもんも苦手なんだっけ……」

 ――ぽつり。街を出た先で呟かれたノーチェの言葉に、終焉の手指が動く。足は止まり、驚いたようにゆっくりと振り返って不思議そうな顔をする男を、ノーチェは疑問に思った。
 何だろう。思わず首を傾げるノーチェに、終焉は言葉を溢す。

「私は、ノーチェに味の好き嫌いを言っていたか?」

 訝しげな瞳を向けたまま、終焉はノーチェを見つめる。ほんの少し顰められた眉が眉間にシワを寄せる。疑問に満ちた声色は、ノーチェの耳に届き、そして、胸の奥を騒がせる。
 ドッ、と跳び跳ねるように強く感じる鼓動。胸の奥をかき混ぜられたような不快感。頭の奥を刺すように覚えた頭痛に、妙な冷や汗が背中を伝う。

 ――何故、自分はこの人の好みを把握しているんだろう。

 街の賑わいなど置き去りに、ひとつの疑問がノーチェの思考を埋め尽くした。
 彼は終焉の好みを聞いた試しはない。以前好みのものを聞いて以来、甘いものが好きだということは十分に理解している。そうでなくても、常日頃から甘いものを口にしている姿を見ていれば、自ずと好みが分かってくるだろう。
 ――しかし、彼は終焉の嫌いなものについて話をしたことがない。人から聞いた苦手なもの以外には、知っている筈もないのだ。

「あ…………あれ……?」

 男からの指摘を受けて、ノーチェは戸惑いの声を上げる。未だに街中の音が小煩く聞こえている筈なのに、どこか遠くに思える不思議さに、違和感をひとつ。まるで自分の知らない自分がいるようで、薄気味悪かった。
 ――今に始まったことではないのは確かだが、やはり自分が把握してない筈のものを知っている、というのは、気味が悪いものだった。

 俺、どこで知ったんだっけ、と呟きをひとつ。振り向いたままの終焉と顔を合わせたまま、茫然としていると、男が軽く目を伏せる。呆れたわけでもなければ、怒りがあるわけでもない。ただ、一度だけ目を伏せてから、再び顔を上げるのだ。
 また何かされるのだろうか――そんな不安を他所に、終焉はノーチェに手を伸ばすと、やはり頭を撫でる。前髪を掻き上げるかのように、ゆっくりと。
 それに彼は目を閉じて、終焉がしたいように、されるがままになるのだ。

「――うん、やはり満月はいいな」

 何かを言われるものだと思い、それとなく覚悟をしていたノーチェに、終焉は弾むような言葉を洩らす。
 何度目かの終焉の感想。髪を掻き上げてまで見て、出てきた言葉が瞳に対する想い。
 ほんの少し緊張感を抱いていたノーチェは、無意識のうちに上がっていた肩を落とし、「またその話……」と僅かに眉を顰めて呟く。〝ニュクスの遣い〟の象徴である瞳がそんなに好きなのかと、何度思ったことだろうか。

 この人は俺よりも、この目が好きなんじゃないかな。

 ――なんて、柄にもなく思う。ノーチェにとって、終焉が何と思おうが自分には関係がない筈なのだが、一抹の不安が胸に募る。
 もしもこの目がなかったら、――なくなったら、屋敷から追い出されるのではないかと。

 ――そう考えている間に、終焉はノーチェの頭を無造作に撫でて、ふと空を仰ぐ。
 秋晴れの広い空。雲がほんの少し漂うだけのそれを見て、男は珍しく満足げな無表情を浮かべていた。
 普段晴天に嫌気が差している終焉が、この日ばかりは晴れたままの夜を待ち受けている。理由はもちろん明白――東から伝わった仲秋の名月が今夜見られるからだ。

 終焉は夜を好んでいる。それは、男の口から教わらずとも、見ている間に自ずと分かるもののひとつだ。
 時折夜空を眺める目付きは酷く優しく、月を見つめる様はあまりにも似合っていると思えるほど。夜の仄暗さに体が溶けていきそうな見た目をしているくせに、爛々と輝く瞳は子供のそれとよく似ている気がする。

 何気なく「子供みたいだなぁ」なんて独り言を呟いて、ノーチェも終焉と同じように空を見上げた。
 男は特別ノーチェのことを不気味だとか、怪しく思う様子はなかった。ただ頭上に広がる空を、おやつを楽しみにする子供のような瞳で見つめるだけ。
 そんな終焉と見た空は青く、まだ月は浮かんでいなかった。