「順番に並べって言ってんだろうが!」
怒りを含んだ筈の一言。
――しかし、彼の周りに集まる子供達は意に介さず、きゃあきゃあとはしゃぎながら手を差し出す。自分よりも一回り小さな手のひらが、空を向いてヴェルリアの目の前に差し出されていた。
列ではなく、群れの中から出てくるそれに、彼は酷く嫌そうに顔を顰める。比較的整っている筈の顔がくしゃりと歪んでいて、彼の嫌悪を全面的に表へと出していた。
彼は子供が嫌いだ。言うことも聞かずに甲高い声で騒ぎ続ける子供達が苦手で仕方がない。至るところに手を触れては、汚れが付いたままの手でまた別の場所に触れるのが、信じられないのだ。
目の前に差し出されている手もどこかで何かを触ってきたのかもしれない。――そう思うと、自ずと顔が歪む。
汚く、穢れを知らない純真無垢な生き物が、彼は大嫌いなのだ。
それでも祭りにわざわざ時間を割いているのは、ヴェルダリア自身が〝教会〟に身を置いているからだ。分け与えられた仕事をこなさなければ何をされるかも分からない。たったこれだけの仕事を放棄したところで何かをされるとは思えないが――、万が一ということもある。
故に彼は大人しく――大人しく言うことを聞いているのだ。
――そんなヴェルダリアの意思を汲み取っているのか、はたまた彼の反応が面白いのかは分からない。だが、明らかに当たりが強い筈のヴェルダリアに集って菓子を強情る子供達は、ただ笑いながらはしゃいでいた。
近辺には確かに〝教会〟の男達が沢山の菓子を持っている。少数の子供が両手を差し出せば、「どうぞ」と言って小さな袋をひとつ手渡す。
そんな人間がいる筈なのに、どうにも子供達は喜んでヴェルダリアの元へと行くものだから、不思議なことこの上ない。
漸く菓子を捌き終えた一人の男が「今年もあれなんだな」と暇を持て余している仲間に話し掛けた。
視線の先にいるのはやはり、ヴェルダリアだ。
遠目から見ても分かるほどに囲まれ、早く早くと囃し立てられている。中には彼に対して敬語すらも使わない子供がいるようで、「早くちょうだいよ!」「まだー?」なんて言葉が飛び交った。
「よーし今生意気なことを言った奴にはやらねえ。失せろ」
「ひとでなしー!」
「そういうのを大人げないって言うんだよ!」
眉をぴくりと動かして、彼は軽くそっぽを向く。反感の声が上がるが、そんなことは知ったこっちゃないと聞く耳も持たなかった。
これではどちらが子供なのかは分からないと〝教会〟の面々は苦笑して、仕方なくヴェルダリアの元へと向かう。
――毎年だ。毎年何故か収穫祭の日は必ずと言ってもいいほど、ヴェルダリアの元に子供達が集まってくる。その度に彼の「並べ」という言葉が響いては、子供達が反論するという光景が見られるのだ。
いつの日か、興味を持って〝教会〟の一人が子供達に問い掛けたことがある。「どうしてあの人のところに毎回集まるの」と。
それに子供達は、確かにこう言ったのだ。
――一番安心できるから。
どうしてそう答えたのか、彼らには見当もつかない。ヴェルダリア以外の面々に強情ることのある子供達は理解もできず、首を傾げていたのを覚えている。もしかしたら一部の子供は〝教会〟が恐ろしく見えていて、余所者であるヴェルダリア自身には何も思うことがないのかもしれない。
そのあと立て続けに言った「からかうと面白いから!」の言葉で何もかも気にすることはなくなったが、〝教会〟が良く思われていないのは由々しき事態だ。
どうしたら印象を良くすることができるだろうか――。
なんてことを思いながら、男達は子供達の和を縫って、ヴェルダリアの隣へと並ぶ。
「はいはい、一列に並ばないとあげられません」
「因みにこのお菓子はレイニールさんが作りました。本当は俺達が食べたいです」
並ばない悪い子の分は俺達が責任持って食べます、と彼らが声を大にして言い張る。嘘偽りのない真っ直ぐとした言葉だ。
いい大人が子供達と張り合うことに、もちろん子供達は反論を述べた。「いけずー!」「ひとでなしー!」「ばかー!」なんて、数々の言葉が飛び交う。
それに彼らは「人でなし上等」と大きく笑った。
「でもちゃんと並ばないとこの人のお仕事おわんねーんだわ」
欲しかったら並んでね。――そう言うと、子供達はからかうことをやめて大人しく一列に並び始める。どうもヴェルダリア以外の言うことは大人しく聞くようで、数が減り続ける菓子の袋を見て、彼は溜め息を吐く。
何が楽しくて自分をからかうのか、ヴェルダリアにはよく分からなかった。
「あとはよろしく」と呟き、彼は踵を返す赤い髪が不機嫌そうに揺れて、その場を後にしてしまった。任された男達はほんの少し納得がいかなさそうに唇を尖らせるが、祭りの日にも腹を立たせるわけにはいかないと頭を振る。
言うことを聞かない子供達の相手は疲れるものだ。溜め息を吐いたこと、悪態も吐かないことを考慮して、責め立てるのをやめた。
手渡していく菓子の袋は次々に減っていって、あと少し、というところで流れが止まる。
屈んで差し出した先にいるのは一人の女の子。魔女のような格好をした、膝丈ほどの少女は不安そうに男を見上げると、「お兄ちゃんは……」と口を洩らす。
少女は以前ヴェルダリアのことを安心できると言ったうちの一人だ。今ここに数人の男がいるが、それを見て尚誰かを探しているというのなら、恐らくヴェルダリアのことを探しているのだろう。
どうしてあんなやつが好かれるんだ、という不満を抱きながら男は唇を開く。
よく見れば、少女は微かに息が上がっているように見えた。
「赤いお兄ちゃんならさっき向こうに行っちゃったよ。何か用だった?」
目線を合わせて首を傾げると、少女はパッと顔を明らめて「わかりました」と言った。何か用があったのかは答える様子もない。
急いでいるらしい少女は一度だけ頭を下げると、駆け足でその場を後にしてしまう。菓子を強情る様子も全くなかった。
そんなにヴェルダリアが信用されているのだろうか――。
ほんの少し見送ったあと、男は小さく肩を落として溜め息を吐いた。
――走る足音が鳴る。目の前の光がチカチカと辺りを照らして、酷く頭が痛む。
ゆっくりと溜め息を吐き、何か面倒事が起こりそうだと思いながら振り向いてみれば、少女が一人ヴェルダリアのあとを追い掛けてきた。
急ぎの用事だろうか。彼を視界に入れるや否や、少女は「お兄ちゃん」と掠れたような声でヴェルダリアを呼ぶ。双方の金の瞳が僅かに細められ、ほんの少しの嫌悪を抱いたのが目に見えた。
――だが、先程のからかいを主とする子供達ではないことは分かる。
これ以上引き離してもまた追い掛けてくるだけだと観念して、彼は騒がしい街並みでそっと足を止めた。この手の大人しい少女は、一度でも話を聞いてやれば納得して離れてくれる筈なのだ。
――そう言えば、レインはどこに行ったのだろう。
大人しいと言えばヴェルダリアが気に掛けている女が一人いる。彼女もまた大人しい一面があるとはいえ、頑固で酷く扱いにくい面も持ち合わせている。
その点は少女もよく似ているような気がして、相手にしなければ面倒なことになるような気がした。
街の中心部から離れようとした足は止まり、流れる人混みの数が減っているのが足音から分かる。その中で一際慌ただしいそれが、ヴェルダリアの目の前で止まると、少女が顔を上げた。
生憎菓子の類いはないと言おうと思ったが、そんな事で慌てるような様子には見えない。試しに「何か用か」と問い掛ければ、少女は一度だけ躊躇うように口ごもる。
そして、彼が懸念している言葉をゆっくりと紡ぐものだから、ヴェルダリアは盛大に頭を抱えたのだった。