寒い冬の日。彼女のいない平和な日。一生懸命に作った料理の数々は、大人になった今では決して美味しいとも言えない品物の数々。せめてケーキだけは綺麗なままでと市販で買ったものを用意して、二人でこっそりと誕生日を祝っていた。寒そうに身震いをした幼い弟を抱き抱えるように膝に招いて、後ろからぎゅっと抱き締めて温める。その頃はまだ愛想の良かった彼は、無邪気に頬を緩めて「温かい」と言った。
大きくもない体ではろくに温まらなかったはずなのに。彼は嬉しそうに言うものだから、思わず丹楓も頬が緩む。
「楓にい」
「何だ」
腕の中で小さな塊が動いて、市販のケーキを少しだけ摘まみながら丹楓の名前を呼んだ。丹楓もそれに応えながらそっとケーキに手を伸ばす。
「楓にいはおれのたんじょうびを祝ってくれるけど、楓にいのたんじょうびは?」
おれも楓にいにおめでとうって言いたい。
彼の純粋な問いに、丹楓はケーキを頬張りながら「そうだな」と口を開いた。
生まれてこの方、誕生日を祝ってもらったことがないこと。その所為で自分がいつどこで生まれたのかも分からないこと。正確な年齢が一切分からないこと――――それらを明け透けに話していくと、丹恒が「じゃあ」と丹楓に向かって手を伸ばす。
「今日にしよう」
「今日?」
「うん。今日はおれと、楓にいのたんじょうび。そしたら二人でお祝いできるから」
たくさんお祝いしようね、と手を握る丹恒に、丹楓は頷いたのだ。
――――そんな大切なことをどうして忘れていたのだろう。
ぽたりと我慢もできずに頬に溢れる涙に、丹楓は唇を震わせる。取られていない左手の甲を口元に添え、声を上げないように努めてはいるものの、涙は引っ切りなしに溢れていった。
特に悲しいわけでもないのに、どうしても止まらない。丹恒は何かを言おうとしてから一度だけ口を閉ざし、「丹楓は自分を蔑ろにしすぎだ」と言い放つ。そのままふて腐れたようにケーキを切り分け始めて、それ以上丹楓を宥めようとはしなかった。
丹楓を宥めるのは自分の役割ではないと言いたげに、刃と話をしながらケーキの大きさを決めていくのだ。
少なくともそれに、丹楓は救われていたと思う。弟にこんな恥ずかしい一面を見られたとなると、丹楓の兄としてのプライドが崩れてしまうから。彼なりの気遣いがあったのだと思う。傍にいる応星が涙を拭いながら顔を向けるように言って、丹楓はそれに応じた。
相変わらず器用な奴だなと彼は言う。嗚咽が洩れないよう口元を押さえているものの、顔を顰めるのも眉間にシワを寄せることもしない丹楓が、器用で不器用だと応星は言う。頭を撫でて懸命に宥めてくれるものの、丹楓は涙を止められなかった。嬉しくて涙を流すことは初めてだった。
応星は丹楓の頬を包みながら泣き止めと言う。折角のケーキが台無しになるだろ、と言っていて、丹楓はそれに首を縦に振る。
――――分かっている。あのケーキが丹恒の為のみならず、自分の為にも用意されたものだと。丹楓はそれを理解していて、感謝をしながら手をつけたいと思っているのに、一向に泣き止める気がしなかった。
だって、初めてだったから。誰かに自分の誕生を祝ってもらえるのは。普段は弟の存在を肯定することに意識だけが向いていて、自分のことは気にも留めていなかった。
だから心が限界だと泣き叫ぶ声も一切聞こえていなかったのだ。
――――応星は泣き止まない丹楓に少しだけ呆れるように「あーあ」と言った。頬を揉んで気を紛らせるように「泣き止め」と何度も言う。その顔は少しだけ困ったように微笑んでいて、困らせるつもりのない丹楓も困ったように「止まらない」と呟く。今までにこんなにも感情が出てきてしまっていることも初めてで、対処法が分からなかった。
やがて痺れを切らしたらしいあの二人が、揃ってちまちまとケーキを食べ始めるのが視界に移る。「やはり甘すぎる」と丹恒がふて腐れたように言ったが、刃は「こんなものだろう」と言ってケーキにフォークを刺していた。その間に漂う空気は朗らかで、ふと、よかったと思う。
生きていてよかったと、そう思った矢先。応星が丹楓にだけ聞こえるような声音で、「丹楓」と呼んだ。
「――――生まれてきてくれてありがとうな」
――――生きていて幸せなこともあるものだと、初めて痛感した一日だった。