ある程度落ち着いたところで二人と合流して、弟と二人並んでケーキを食べた。彼は相変わらず少しだけ渋い顔をしながらケーキに着手していたが、やがて食べきれないと判断するとそっと丹楓へと差し出した。普段なら刃に食べてもらっていたが、今年は丹楓がいるから、と言って残ったそれを丹楓が食べる。小さい頃は全部食べていたのにと思い出話をすると、あの頃はまだ食べられたのだと丹恒は言っていた。
さすがに甘いものを食べすぎて、少しだけ塩分が恋しくなっていると、「残りものでよければ飲むか?」と小さな皿に鍋の出汁を注がれる。味見程度の量しかないそれを、丹楓は「美味い」と言って飲み干した。口の中がさっぱりとしたような気さえする。
ケーキを食べたあとに雑談を交えながら今まで何があったのかと、丹恒と情報を交換した。
丹恒は丹楓の要望通りに進学の道に進み、専門知識を高めて言ったのだという。その際に丹楓に押しつけられた通帳に記載されている貯金額を少しだけ減らしてしまった、と彼は申し訳なさそうに言っていた。元々丹恒の為に蓄えていたものだ、と丹楓が告げると、丹恒は少しだけ嫌そうに顔を顰める。こんなときにまでずっと自分のことを蔑ろにし続けてきたことに、彼は相当な嫌悪感を抱いているようだ。
就職に進んでしまえば自由な時間は限られてしまう。その点を考慮して、進学を選んだ丹恒は、どうにかして現状の打破を探し求めていた。
そのとき、ふと通帳に挟まっていた手紙の存在に気が付き、丹恒は彼の元を訪ねる決意をする。――――田舎に住んでいるという、雨別の住所が書かれたそれを握り締め、刃に車での送迎を頼んだという。
田舎は人の通りが少なく、建物も限られた場所にしかなかったものの、何よりも空気が美味しく、景色は綺麗だった。事前に断りの手紙を入れたことが功を奏してか、住人に聞いた限りでは余程のことがない限り顔を見せないと聞いていたのに、雨別はすんなり丹恒と会ってくれたのだ。そのときに見た顔は、恐ろしいほど丹楓とよく似ていて。丹楓がこんな環境にいなければ彼と同じ雰囲気をまとっていたのではないか、と思うほどだったという。
上がれ、と言われ、丹恒は恐る恐る刃を連れて家の敷地を跨ぐ。
古びた和風家屋。廊下を踏み締めると時折軋む音が鳴り響く。一人で住むには広すぎて、大きすぎやしないか、と思っていると――――部屋の奥から一人、男性がふらりと姿を現した。片目に傷を負ったばかりなのか、痛々しい見た目をしてはいるが、にこりと優しく微笑んで二人を迎えてくれる。その様子に一瞬でもこの家の家主かと思ったが、彼は雨別に親しげに声をかけた。「お茶はいるかい」と、柔らかい口調は、まるで雨別の機嫌を窺うようなものだった。
雨別はそれに頷いたあと、丹恒と刃を和室に案内して、座るように言った。丁寧に敷かれた座布団に、丹恒は正座をしていたが、刃は座ることもせずに廊下に佇む。この件は自分には関係ないと言って、丹恒と雨別を二人きりにしていた。
その気遣いが少しだけ心苦しいほど、雨別と対面している丹恒は緊張していた。何せ、彼は丹恒がここに訪ねてからずっと、いやに苛立っているような気がしてならないのだ。目付きは鋭く、自ら口を開くことはなく。下手をすればこの場で刺されてしまうのでは、という錯覚さえ抱いてしまう。
きっと、丹楓が怒りを露わにしていたらこうなっていただろう。――――そう安易に想像ができるほどだった。
彼の容姿はまるで変化がなかった。不思議なことに丹楓よりも年上だというのに、丹楓とまるで変わらない容姿は時間が止まっているようにさえ見える。兄よりもいくらか髪の長さと目付きの鋭さは異なっているが、丹楓がもう少し年齢を重ねたら彼と双子だと言っても差し支えはなかっただろう。
――――あまりの威圧感に丹恒は口を開けないでいると、その空気を裂くように先程の男性がするりと部屋に足を踏み入れた。彼は「そんな顔をしていたら怖がらせてしまうよ」と雨別に言うと、雨別は「怖がらせているつもりはない」と応える。どうやら彼もまた表情を表に出すことが苦手のようで。
――――そんなふとした共通点に、丹恒は漸く彼との血の繋がりを実感する。
男性のお陰で場の空気が和んだことに感謝をしながら、丹恒は漸く話を切り出せた。
自分たちの今までの暮らし。丹楓の境遇。自分はどうやって生きていて、どうしても丹楓の代わりになれなかったこと。そして――――丹楓と喧嘩別れしてしまい、兄と一切の連絡がつかなくなったことを切り出した。
雨別はそれに黙って耳を傾けていた。男性にはその場にいるように丹恒が言ったため、彼は雨別の隣で片足を立てて座っている。その姿は様になっているものだから、特別気に留めるようなものでもなかった。
――――丹恒が話を終えると、雨別はたった一言、「そうか」とだけ呟く。その呟きも丹楓によく似ていて、ふと、兄の安否が気になった。彼は今も無事でいるだろうか。――――そう、思っていると。雨別が忌々しげに口を洩らす。
「――――やはり潰しておくべきだった」
歯をギリ、と食い縛り、彼は怒りに身を震わせる。怒りを湛えた青い瞳に少しだけ恐怖を覚えていると、彼が雨別を宥め始めた。衝動による行動は後になって後悔するものであると。しっかりと考えた上で行動に移すべきだと、彼は言う。俯きがちの雨別の背を撫でて、落ち着いてと声をかけていると――――突然雨別は彼の襟を掴み、言い放つ。
「もう十分だ。主のこの傷を負わせたのは誰だと思っている? この傷跡を見る度に、何度主を失うかと恐怖したと思っている……!」
「雨別……」
雨別は丹恒の目も気にせず、彼の目元の傷にそっと触れた。傷口が完全に塞がっているわけではないのか、彼は少しだけ痛がるような素振りを見せたあと、「君を置いて逝くわけがないだろう」と微笑む。静かに雨別の左手に手を添えたのを見て、丹恒は薬指に収まっている指輪の存在に気が付く。
同性同士――――しかし、彼らはその事実を物ともせず婚姻関係にあるようだった。
それを裏付けるよう、雨別はきゅ、と彼の手を軽く握り、「夫なら力を貸せ」と言った。
「持明グループを潰す……あの恩知らずの不届き者共を根絶やしにしてやる……!」
――――その数ヶ月後、大企業のグループが破産したという知らせが、新聞の一面を飾っていた。
意外にも過激な人物なのかと、話を聞いていた丹楓は数回瞬きをする。手紙のやり取りでは物静かで、淡々としている気がしていて。丹恒の話が俄には信じられなかったけれど、ある企業が潰れたという情報は既にオーナーから聞いていた。
あれは雨別が仕掛けたものだったのかと思うと、丹楓も彼を怒らせるのは止しておこうと思った。丹恒が「全部解決したら一度訪ねてこいと言っていた」と言うまでは、顔を見せないようにと思っていたのだが、そうもいかないようだ。
弟の話に丹楓は「考えておく」と言ったが、丹恒は無情にも「丹楓は一回くらい怒られたらいい」と言い放った。
その間の応星と刃は、二人の声が届いているのかどうかも分からない場所で、何やら話をしていたように思う。
丹楓と丹恒は空いた時間を埋めるように長い時間話をしていた。時折思い出したように丹恒が丹楓を問い詰めることもあれば、今の状況を丹楓に教えてくれる。彼はどういう経緯か、刃の家に世話になっているようだ。彼本人の稼ぎも悪くはなく、丹恒がバイトをしながら資格を取得するための勉強も続けられている。あの頃に比べたら暮らしはよくなっているものの、やはり丹楓が埋めてくれていた寂しさは拭いきれなかったと言っていた。
――――いい子に育ったと思う。
話を聞く限りでは丹恒と刃の関係性も悪くはないようで。何かのきっかけがあれば彼らは付き合い始めたと報告するのではないかと思うほどだ。丹楓はすっかり色恋沙汰を諦めてはいるが、丹恒に諦めてほしいわけではなかった。
――――そうして話をすること数時間。月は高く昇ったあとに下りる準備をしていて、丹恒は堪えきれずくぁ、と欠伸を溢す。時刻は既に日付を超えていた。今日までずっと寝込んでいた丹楓はそれほど眠気を抱えていなかったものの、丹恒は訳が違う。今は別々に帰る場所があり、寝る場所もあるのだ。
丹恒の様子に気が付いた応星と刃が手早く支度を調え、丹恒に「帰るぞ」と刃が言う。どうやら二人はここから車で数十分かかる距離に家があるようで、刃の手には車のキーが収まっていた。丹恒はそれに頷き、丹楓の手を取ってから「また来る」と言う。
まるで、この家に丹楓がずっと居座るような言葉に、丹楓は小首を傾げてから小さく頷いた。