そうして休日に入り、丹恒は勉強をしたあと、バイトの方へと向かった。食べきれなかった夕飯は、二人して朝食に回して、朝から食べるには少し胃もたれしそうだと笑い合った。そこに以前のような壁も違和感もない。丹恒は何の違和感を抱くこともなく、丹楓を置いて家を出る。丹楓は週明けに復帰するつもりだと告げているため、彼は兄が家にいても何の疑問も持たなかったようだ。
その間に丹楓は自室のタンスを漁り、服の下に隠していた雨別との手紙を片っ端から取り出す。他愛のない話を書き留めたばかりのそれは、雨別の連絡先を知らない丹楓の、唯一の外部との接触だった。近年ネットが普及している今、少しばかり時代遅れとも言われかねないやり取りを並べ立て、中身を確認していく。
雨別は都会から離れた田舎の方に身を寄せている。その方が空気が美味しい上に、親族と宣う者たちが押しかけてくることが少ないからだ。彼は血筋の関係上、大きな権力を持っていて、それを狙っている親族が内部からどうにかして雨別から権力を奪い取ろうとしているらしい。そうすることで確定された地位と、膨大な金のやり取りができるようになるから、と彼は綴っている。
そのことを知っている雨別は決して親族になびくことはなく、自力で力を積み上げてきた。大半の権力は親族の手に収まっているが、一番重要なものは変わらず雨別が保持している。それを明け渡さないよう尽力していて、ある機会を虎視眈々と狙っているのだ。
――――生憎、その機会が訪れたことはなく、結局丹楓が自らを売るような状況に陥ってしまっているものの、それを責めるつもりは一切なかった。彼も彼なりに努力をして、現状を打破しようと奮闘しているからだ。その中でどうやら信頼できそうな協力者を見つけて、現状を打ち明けてもいいのかと悩んでいるらしい。
そんな手紙のやり取りの中で、丹楓は漸く目的のものを見つけた。それは、雨別が何かあったときのために、と記してくれた、彼の所在地だった。いくら住所を頭に叩き込んでいるとしても、万が一のことがあったら良くないと、彼の善意から記されたものだ。住所、近隣の建物、電話番号――――何がありどのような特徴がある場所なのか。
懇切丁寧に書き記されたそれを、丹楓は小さく折り畳む。そうして流れるようにまたタンスに手を伸ばして、隠してあった自分の通帳に挟んだ。
消費することはなく、ただ記帳する度にゼロが増えていくだけの通帳。それを懐にしまってから、余計に出した手紙を全てまとめる。頻度は決して多いとは言えないけれど、数十枚に及ぶ束になったそれを抱え、キッチンへと向かった。
換気扇を回し、戸棚から彼女の男が置いていったらしいライターを取り出す。流しに何もないことを確認してから、洗い桶に水を張って、その上に手紙を掲げた。カチカチ、と数回ライターを鳴らすと、ボッと音を立てて赤く小さな火が立ち上る。その火に手紙を晒し、端から燃えていくのを丹楓はじっと見送っていた。
煙が喉を微かに引っ掻く。ケホケホと噎せて、目尻に薄く涙の膜が張る。煙は換気扇によって吸い上げられていった。
燃え切ったら窓を開けて、空気の入れ換えを行わないとな、と独りごちて、燃えていく様子を眺める。その火は目が眩むほど眩しかったが、応星の笑みほどではないなと、彼は苦笑した。
――――雨別との痕跡をなくし、そっと丹恒の部屋へと入る。彼の部屋は丹楓とよく似ていて、必要なもの以外は極力置いてはいなかった。恐らく丹恒も丹恒で、この家から出て行く覚悟を決めているのだろう。でなければ二人で出ようなどという提案など、してこなかったはずだ。
その部屋を軽く見渡して、特に貴重品などが残されていないことを確認する。高校に必要な教材は、取り出しやすいように一カ所にまとめられていて、持ち出すには困らなかった。これなら問題ないと一人で頷き、丹楓はその部屋を後にする。ひとつひとつ丁寧に、残しておいたらまずいものがないかを見回って、忙しない一日を過ごした。
まるで本当に入院にでもしに行くような気持ちだった。長期間家を空けるために、貴重品などを持ち出せる準備をしている気になった。
――――実際、丹楓はこの家を空けることになるのだから、あながち間違いではないのだけれど。
そう自嘲気味に少しだけ笑みを溢して、丹楓は景元に最後の連絡を送った。
応星の返事に既読をつけることはできないまま、丹楓は景元にメッセージを送ったあと、その足で携帯を解約しに行ったのだった。