――丹恒は楓が描かれた対の盃を買い、割れないよう十分に包んでもらったあと、丁寧にバッグへとそれをしまい込む。自分の目の前で作品が大切に扱われている様を見ると、何やら自分が褒められたときよりも嬉しいものがあり、応星は静かに丹恒から目を逸らす。少しばかり気恥ずかしくて、頬が僅かに熱くなった気がした。
いい贈り物が用意できた、と丹恒は追い打ちをかけるよう、独り言を洩らす。それがあまりにも応星の羞恥心を掻き立てたのか、「本人の目の前で言うやつがあるか」と苦笑交じりに答えた。頬を掻いて小さく唸っていると、流石の丹恒も応星の心情が掴めたらしい。何の意図もないのだと彼は告げるが、疲労と寝不足の応星にとって、その言葉はこそばゆい褒め言葉のようだった。全身をくすぐられるような、そんな気分。堪らずやめてくれと言えば、丹恒は不思議そうに頷いた。
彼の友人たちはそれぞれ思い思いに品物を選んだようだ。桃色の髪の少女なのかは、同居人である姫子やヴェルトという人物がコーヒーやら何やらを飲むので、コーヒーカップとソーサーを。星と穹も似たようなものを手に取っていて、顔を綻ばせている。どうやら礼の狸の置物は流石に理性が働いたようで、これを買う、という発言はしなかったよう。
そうして品物を選び終えたあと、それぞれが未だに時間を潰すよう物色しているのだ。まるで、次に来たときはこれを買う、と決めるように。
丹恒もそうであるのかと、応星は何気なく横目でちらりと彼を見やった。彼は買った応星の品をバッグに入れたと思えば、再び応星が手掛けているという品々を吟味するように眺めている。ひとつひとつ丁寧に、気になったものを手に取ってみて、じっと見つめていた。何か気になるものがあるのかと、応星は訊ねてみたが、丹恒は首を横に振るだけだった。
流石の応星も、顔を知っている人間を置き去りにして家に帰るなど、する気は起きなかった。再度丹恒の横に並び、何気なく自分が気紛れに作ったものに手を伸ばし、「これとかもお兄さんの贈り物にどうだ」と呟いた。
丹恒は応星が手にしたものに視線を投げ、――ぽかんと放心するように唇を僅かに開く。それは、驚きといった表情だった。
応星が何気なく手に取ったそれは――、椿のように深い赤に染まり、蓮の花が描かれたひとつの櫛だ。陶芸以外にも幅広く「物作り」に携わっていたいという意思から、焼き物から始まる物作りを中心として応星は様々なものを手掛けている。彼が手に取った櫛はそのうちのひとつであり、幾度となく挑戦してやっとの思いで仕上げることができた一品でもある。
これなら贈り物としても悪くはないだろう、と応星は言った。半ば誇るような口調で笑ってみせたが、対する丹恒は不思議そうな目を応星に向けることしかしなかった。
「……あー……気に食わないか?」
応星の自信満々な態度とは対照的な反応に、丹恒はただ静かに唇を閉ざすだけ。それが妙に空回ってしまったような気がして、応星は堪らずいたたまれない気分に陥る。つい数分前に再会し、自己紹介を済ませたばかりの年下相手に何をしているんだと、応星の理性が語りかけた。
否定も肯定も溢すことがない彼に、応星は「丹恒」と彼の名前を呼ぶと、丹恒の肩が小さく震える。どういうわけか驚かせてしまったようで、彼はハッとしたあと「ああ、」と声を洩らした。
「……応星さん、は……何故それを選んだんだ?」
絞り出したかのような丹恒の言葉は、何度か逡巡を繰り返した後に選び抜いた言葉だったように思う。丹恒は数回、小さく視線を泳がせたあとに応星の手元に収まる櫛を見て、応星に訊ねた。何故それを贈り物として選んだのかと、純粋な疑問が彼の胸に湧いたようだ。
そう問いかけられた応星は目を丸くして、小さく首を傾げる。まるで、何故そう問われるのか全く見当もつかないといったような様子で。「どうしてそんなことを」と応星は湧いた疑問を疑問で返すことしかできなかった。
「どうしてって……貴方は俺の兄を知らないだろう……?」
「――……、……あれ……?」
衝撃が応星の体を、全身を駆け巡るようだった。それこそまるで、後頭部を強い力で殴られたかのよう。ゾッとするほど血の気が引き、彼は大きな目眩を覚える。そうして手中に収めている櫛を眺めて、眉根を顰めた。
――おかしい。おかしいのだ。応星は確かに自らの意思で赤い櫛を手に取り、丹恒に対して彼の兄に贈るものにどうだと言った。その言葉の裏には妙な確信が芽生えており、彼はそれに従順に従っただけに過ぎない。
丹恒の兄はいやに綺麗で長い黒髪が特徴的だと。それをしっかりと手入れしてやれば、女に負けず劣らず美しく、艶やかな髪になると。その黒髪に映えるのは、暗すぎず明るすぎないこの椿のような赤色の櫛だと。
まるで――夢の中に出てくる彼を、丹恒の兄だと思い切っているような言動に、応星はぐっと口を噤んだ。どうやら夢と現実の境目が曖昧になってしまっているようだ。いくら彼らの顔立ちが似ているとはいえ、丹恒の兄が彼であるという確証はない。
応星はそっと表情を愛想のいい笑みに変えて、櫛を元の位置に戻しながら「忘れてくれ」と言った。その言葉は、丹恒に提案したことに対するものなのか、それとも自分自身の言動に対するものなのか、区別はつかない。丹恒は一度だけ何かを話そうと口を開いたが、躊躇った末にきゅっと口を結び、首を縦に振る。何かを確かめたかったが、その勇気はないかのような素振りが妙に気になったが、応星は遂に触れることはなかった。
――そうこうしていると、丹恒の友人たちは物色に満足したように彼の元に駆け寄り、何かを買ったのかと問いかける。ここにあるものは決して高すぎることはない。本来なら日用品売り場にあるであろう物も置いて、誰にでも手に取ってもらえるようにしているだけのこと。当然学生でもある彼らにも満足してもらえる出会いがあったようで、明るい笑顔が応星には眩しかった。
やはり、若さはいい。そう実感していると、彼らは買い物に付き合ってくれた礼を応星にして、仲が良さそうに店を後にした。丹恒はまだ少し話したりないような素振りを見せていたが、彼の友好関係の邪魔をする気がない応星は、「俺もそろそろ行かなきゃいけない」と言って、話題を切る様子を見せた。
そうして店に長居しすぎる前に彼らを帰らせ、応星自身は停雲を介して自分に当てられた注文を確認する。中には金継ぎしてほしいというものまであるのだから、思わずぐっと息を呑んだ。
金継ぎは伝統工芸のひとつであり、陶磁器の破損部分に漆を用いて修繕する技法だ。陶芸において一切の妥協を許さない応星は、自らの作品の修繕も己の手でこなしてみせる。自分が魂を、想いを込めたものを、他人に修繕されるのは少しばかり気分が悪かったのだ。ならば修繕もこなせるようになればいいだけのこと、と金継ぎにも手を出していたのだが――、それがなかなかに厄介であると気が付いたのは、応星が成人して間もない頃だった。
背筋に悪寒が走るような、腹の中を何かが蠢くような、もどかしさが募るのだ。修繕のためと金に彩られた漆で破損部分を繋げ、固まるのを待ち、漸く形が整った頃。ぞくりと背を這う既視感に捕らわれるようになる。まるで、金継ぎされた何かを思い出すかのような、気持ちの悪さを覚えていたのは確かだ。
今思えばそれは、丹恒を真っ直ぐに見て何かを思い出すかのような状況によく似ている。
それをまた、やらねばならないと思うと、働かない頭がキリキリと痛むような気がした。堪らず応星は目頭を押さえて、溜め息を吐く。ふう、と吐き出されたそれに、悩みも頭痛も上乗せして、目を開く頃にはしっかりと意識を掻き抱く。
自分は職人だ。与えられた仕事をこなしてこその、職人だ。金継ぎは破損しても尚、気に入られ大事にされている証拠だ。その想いに応えなくてどうする。
――そう、己を鼓舞して、彼は依頼を抱えながら店を後にしたのだった。