告白に戸惑い

 ――その日も人気がない時間を選んだ呼び出しだった。蛍灯達の明かりを頼りに夜の巨像を駆ける。枯れの脳裏によぎる「今すぐ休憩室に来い」の字面に怯え、一分一秒が惜しかった。少しでも機嫌を損ねれば訓練の量が倍になりかねない――軋む体に鞭打って、漸く辿り着いた休憩室に、バートンはいた。
 珍しく椅子に座って足を組んで頬杖を突いている。暗い巨像の中のどこかをぼんやりと見つめている様は、戦闘マニアとは思えないほどの落ち着き振りだ。ひらりと飛び交う蛍灯の明かりも相まってか、彼の真昼のように澄んだ水色の瞳は月明かりのように眩しかった。

「お待たせ」
「おせぇよ」

 額と体中に滲む汗を拭いながらバートンに駆け寄ると、先程の大人しそうな表情はどこへやら。ギラリと鋭さを増した眼光が空の末裔の体を射貫く。幸いなのは夜であり、周りへの配慮をしているお陰か――比較的穏やかな声色に、命が救われたような気がした。
 「体中が痛くて」なんて言い訳を溢しながらバートンの顔色を窺うと、彼はふと不思議そうな表情を浮かべる。
 バートンは相変わらず末裔の体を貧相だと揶揄い、席を立った。末裔よりも数十センチ高い背が見下ろす形を取るが、不思議と威圧感がなかった。寧ろどこか、迷いさえも感じてしまう。
 体調でも悪いのだろうか――あまりにも不思議な感覚に、彼は思わず「どこか悪いの?」と訊いた。ただ純粋に、仲間としてバートンの体を気遣っただけに過ぎないが、彼の言葉にバートンは一瞬だけ動きを止める。
 何が言いたいんだ、と言いたげな視線がじっと末裔を見つめていた。
 しかし、その視線も彼にはどこか、柔らかく思えてしまった。

「――……お前、恋愛とかしたことあるか?」
「――ん!?」

 可笑しな所で物怖じしない彼の様子に、遂にバートンは痺れを切らしたように唇を開いた。内容は戦闘マニアから紡がれたとは思えないほど、華やかなものだ。それに思わず彼は驚いてしまい、「どうしたのさ」と言った。
 「君からその手の話題が出てくるなんて思わなかったんだけど……」そう言って、バートンの顔色を窺うと、バートンは眉間に深くシワを刻んで末裔を強く睨んだ。自分が何を話そうが自分の勝手だと言わんばかりの表情だ。
 その様子に彼は訓練量の増加を覚悟したが――バートンから紡がれた言葉は怒号ではなかった。

「――戦ってるときと同じくらいの気分の良さもあるがな、それ以上に他の奴に目を向けるのが馬鹿みてぇに腹立つんだよ」

 隙間風が洩れるような呟きに、彼は茫然とした。苛立ちと悔しさが目立つような、非常に不機嫌そうな顔が目の前にあるというのに、恐ろしいと思う自分がいないことにそれとなく驚きを覚えているのだ。
 ――だが、それよりもしっかりと人間じみた感情を持つバートンに嬉しささえも覚えてしまう。
 戦うことしか生きる意味がないと思っているような人物が、戦い以外のことに目を向けることが、まるで長年連れ添った友のように嬉しかった。

「腹ん中を引っ掻き回されてるみてぇに腹が立つ……俺以外の奴を見てるあいつを閉じ込めて、他の奴らに見付からない場所で俺のもんにしてやりてぇって、頭が可笑しくなんだよ……!」

 ――嬉しかったのだが、次々と溢れるバートンの言葉にそれすらも波が引くように静まってしまった。

 試しに感知能力を使えば、バートンから伝わってくるのは泥沼のように深く、暗く、渦巻くような酷い独占欲だ。足元から自由を奪うように絡みついてくるそれが、蛇だか獣だか――どうにも形容しがたいものだった。
 暗鬼を感知したときの不快感はないが、その手の類いを目の前にしたときと同じような恐怖が背筋を這った。
 
 これはきっと、よくないもの。

 ――そう思ったと同時に、一瞬だけその不気味さが和らいだ。

「けどよ、あいつが笑うのを想像すると、ガキみてぇに嬉しくなっちまうんだよなぁ……」

 ほう、と吐息を吐くように呟いた言葉と共にバートンの表情が、感情が落ち着きを取り戻したのが彼には分かった。胸に残るのは満たされた感覚と、どうしようもない好意だけ。これ以上は体に負担が掛かると思って能力を使うのをやめたあとも、後を引くように残る幸福感が強かった。
 バートンはこの感情を理解しきれず、末裔に訊いたのだろう。恋というものに理性を呑み込まれるほどの感情は付きものなのか。たとえ分からなくとも、何も知らないバートンにとっては確かな助言と成り得る筈だと。
 生憎、十数年一人で巨像と対話していた彼に尤もな助言を与えることなどできないが――確信を持たせることは可能だろう。

「バートンはその人のことが好きなんだね!」

 その人の笑った顔を見て嬉しいとか、悲しそうな顔を見て支えたいとか、そういうのがあるならきっと好きってことなんじゃないかな。
 ――なんて言って、末裔はバートンの反応を見た。バートンは意外にも大人しそうな顔で、「好き、ねぇ」と呟きを洩らすと、どこかバツが悪そうに少しだけ目を逸らす。誰よりもらしくない行動に末裔が「どうしたの?」と問い掛けると――バートンは言った。

「お前、ワタリにキスがしたいとか思ったりすんのか?」
「…………えっ、待って? 君が好きなのってワタリ先生なの!?」

 相手が女であるという前提で話を進めていた彼に対して、その告白は衝撃的だった。
 バートンは特に驚く様子もなければ、慌てる様子もない。何かを弁明する様子もなければ――「これが『好き』ってやつならそうなんじゃねえの」なんて言って、何食わぬ顔で末裔を見下ろす。
 恋を胸に抱く男と打ち明けられた男。二人の表情は入れ替わったようにバートンは無表情で、空の末裔は頬を赤らめている。端から見れば末裔が恋を拗らせているように見えて、バートンが小さく舌打ちをした。
 静かな休憩室の中に苛立ちがこもる音が鳴る。
 末裔はそれに驚いて肩を震わせてから、気を取り直すように咳払いをひとつ。コホン、とわざとらしいそれにバートンが腕を組んだ。

 打ち明けられた事実に対して確かに意外だと思ったが、何も納得していないわけではなかった。
 バートンとワタリの戦力に頼って、彼らを戦場へ送ることが多い。バートンは自ら空の末裔に連れて行けと言い、ワタリは万が一に備えて治療ができる戦力として一括りにすることが殆どだ。ラファエルやフィリスでも問題はないのだが、辺りへの被害や当人のやる気を考えた結果、どうしてもワタリを率先して同行させてしまうのだ。
 無論、彼らに何らかの事情があって同行させられないことは多々あるが――日常的に顔を合わせることが多いと言っても過言ではないだろう。
 ――だが、それがこのような事態を引き起こすなんて誰が予想できただろうか。

 ちらりと目を向けた先にいるバートンは、極めて無表情を取り繕っていて、特別苛立った様子は見せていなかった。その分、末裔に対して何かをしてほしい、という様子も見せない。ただ黙って彼を見つめるものだから、つい、「告白はするの?」と訊いてしまった。
 その問いにバートンは普段閉じている片目も薄く開けて、「どうだかな」と呟いた。
 分かっているのだ。あまりにも同じ時間を過ごすことが多かった分、ワタリがどのような考えをして、どう返事をするのか。
 仮に言ったところであいつは断る筈だ。それもはっきりとじゃなく、回りくどく。
 ――そう断言するバートンの顔はどこか寂しそうにも見えて、彼は思わず声を上げる。

「でも、言わないよりは、言って分かってもらったりするのがいいんじゃないかな」
「それで言ったあとに関係が拗れるとか考えたことは?」
「うっ……」

 さりげなく返ってきたバートンの正論に、彼は思わず唸り、肩を落とす。
 言わないよりは言った方がマシだと思っての言葉が、逆にバートンの神経を逆なでしてしまったようで、ほんの少し気まずい空気が流れた。
 だが、それでも本人に直接伝えてしまった方が気持ちが楽になる筈だと彼は言う。何せ、先程の感知で伝わってきてしまったバートンの感情は、一人で抱え込むにはあまりにも大きいからだ。まるで底の知れない闇の中に放り出されたかのようなドス黒い感情は、本人に告白をすると少しは和らぐ筈。
 何の確証もないが――、バートンが「諦める」なんてらしくないと彼は言った。

「気持ちを伝えて、意識をしてもらって……それでも断られるなら諦めるしかないけど……軍団長ともあろう君が簡単に逃げるなんて、それこそらしくないと僕は思うんだ」

 ぐっと手を握り締めて彼は再度バートンの顔を見上げた。彼の真っ直ぐな瞳はあまりにも純粋で、酷く眩しい。それが少しだけ意外だったようで、バートンは瞬きを数回繰り返す。
 そうして――口角を上げたかと思えば、「アハハ!」と大きく笑って、彼の頭を乱暴に撫でた。
 うわ、と驚きの声を上げる空の末裔。くしゃくしゃに掻き乱される髪をどうにかしたいと思った矢先に、バートンの手が離れる。

「ああそうだ、逃げるなんざ俺らしくもねえ! 馬鹿みてぇなもんを抱えて一生を生きるなんざまっぴらごめんだ!」
「一生って……」

 酷く楽しげな表情を浮かべるバートンに、彼は何も言わなかった。くしゃくしゃになった髪を軽く整えて、調子が戻ってきたであろう軍団長と視線を交える。

「諦める気はなくなったが逃がす気もねえ」
「えっ」

 真っ直ぐに見た水色の瞳が獣のように輝くのを、彼は見逃さない。

「こうなったら落ちてもらうだけだ」

 冗談、なんて言葉で片付けられるほど、バートンの目は柔らかくはなかったのだった。