夏祭りに行く話

 提灯や屋台、街灯の光が石畳の道を目映く照らす。香ばしい香り、甘い香り。子供たちの歓声、賑わい。大人たちの客に対する明るい挨拶。もうもうと漂う熱気を冷ますが如く、降り注ぐミストに境内の近くで鳴り響く大太鼓と、盆踊りの曲。
 夏祭りとはこういうものか、と丹楓は辺りを見渡しながらゆったりと雰囲気を味わっていた。カランコロンと下駄が石畳を踏み鳴らす。風情のある風鈴の音がどこかから聞こえてきて、悪くはないな、と呟いた。夏の風物詩とはよく言ったものだ。
 そう感心する丹楓の隣を、ざりざりと小さく砂利を掻き鳴らしながら歩く応星は、少しばかり気恥ずかしそうだ。

「…………なあ、やっぱり他の髪型にしないか?」
「何を言う。其方が何でもいいと言ったのだ」

 ぽつりと呟かれた言葉は、蚊の鳴くような声、と言われても仕方がないほど情けなくて。呆れがちに溜め息を洩らしながら応星の顔を見た丹楓は、やたらと不機嫌そうに眉を顰める。その彼の後頭部で揺れる金色の簪から流れる藍の紐が、風に揺れた。

 応星が懐から取り出したのは金色に輝くひとつの簪。先端には花だか葉だか、どちらともつかない植物があしらわれていて、根本には藍色の紐が垂れる。どこかで見たことがあるようなそれに、彼は応星自身のものかと思って見たが、応星は既に髪を普段のように束ねていた。それこそ、前世と全く同じように。
 ならばそれが誰のものかなど明白で。遠くで鳴る太鼓の音を聞き入れながら、どうするんだと応星に問いかける。丹楓がそれを受け取ったとて、彼は簪を使った髪の束ね方など知りもしない。それどころか、前世でも髪を結わいたことのない彼は、今回の人生でも髪をまとめたことはないのだ。
 それを知ってか知らずか、応星は「俺が、」と言う。

「俺、に……やらせてくれないか」

 家に訪ねてきている間はぐいぐいと押し掛けてくるくせに、こういうときばかりはやけにしおらしい雰囲気を醸し出してくる。思わず丹楓が「応星がか?」と再度訊けば、応星はゆっくりと頷いて答えた。その間も彼は丹楓から目を逸らすことはなく、じっと青い瞳を見つめている。燃えるような情熱が見え隠れする藤色の向こう――――、丹楓への何らかの情があるように見えるのは気のせいだろうか。
 応星は丹楓が考えあぐねている間もその手を離すことはなく、決して逃がしはしないと言わんばかりにぎゅ、と握り締めている。その姿は迷子にならないように袖を掴む子供と同じように見えた。あまりにも愛らしいそれに、丹楓はふ、と小さく微笑んで「許す」と言った。
 応星にとって至極光栄なことであるそれの許しに、彼はパッと表情を明るくした。一瞬でも彼の背後から元気に左右に揺れる尻尾を見たような気がして、丹楓は軽く首を横に振る。もちろん、応星には尻尾など生えていなかった。
 彼は丹楓の背に回り、ワクワクとした様子で丹楓の黒い髪にそっと手を伸ばす。

「お前さんは下ろしてるのが一番似合うんだが、折角の浴衣だからな」

 どんな髪型にしようか。――――応星はそう言いながら丹楓を近くのベンチに招き、座るように言う。彼はそれに従って大人しく座ると、背に回っている応星は手櫛でするすると黒髪を梳いていた。それこそ割れ物に触れるような手付きで、優しすぎるものだから、少しばかりくすぐったい。
 あまりのむず痒さに堪らず頭を振って、「早くしろ」と言えば応星は「分かったよ」と言う。

「けどなあ、丹楓。どんな髪型がいいのか言ってくれなきゃ始められんぞ」
「其方の好きなものでいい」
「例えば……三つ編みとか」
「…………白珠か」

 髪をくるくるといじられながら会話を弾ませていけば、耳を突くような言葉が聞こえてしまった。恐らく彼は単純に似合うと思って提案してきたのだろうが、前世のあれやそれをしっかりと覚えている丹楓は、誰が応星の小さい頃を知っているかなども覚えている。それに指摘するように彼女の名前を呟けば、応星は「ち、違う!」と声を張り上げた。
 その態度が裏付けるように見える、と告げてみれば、応星は言葉を詰まらせて手を止めてしまう。本当に違うんだ、と弱々しく言葉を落とし、先程までの元気な様子など欠片もなかった。
 少々からかいすぎたかと丹楓は夜空を見上げながらふう、と一息。そうして唇を開き、「何でもいいのか」と問えば、応星は彼の後ろから嬉しそうに「ああ!」と言う。
 一体何がそんなに嬉しいのかと疑問に思いながら、丹楓はそっと言葉を紡いだ。

 ――――その結果が、応星と揃いの髪型というわけだ。
 丹楓が歩く度に応星が綺麗にまとめた髪がゆらゆらと揺れる。それを留める金の簪はどこかの誰かと殆ど揃いのもので。隣を歩く応星が両手で顔を覆い始めたのを、丹楓は見逃さなかった。そうなるなら揃いにしなければよかっただろう、と言えば、応星は首を横に振る。
 どうやら彼は腕甲の代わり――とまではいかないが、もうひとつばかり揃いのものが欲しかったようで。頭を捻った結果、どうせなら簪にしてやろうという結論に至ったようだ。祭りにちなんだ装いであればなおさら似合い、且つ丹楓は普段から和服を見にまとっているから――だそうで。
 ――――だが、彼が応星と同じ髪型を望むとは思わなかった結果がこれだ。
 少しだけ恥ずかしいような気がして、彼は丹楓の隣で周りに視線を投げる。ちらちらといい大人が乙女のような仕草をするのが多少おかしくて、「滑稽だぞ」と呟けば、「そりゃどうも」という謎の返答が返ってきた。応星の心配を他所に、周りは祭りや何やらに意識が向いていて、丹楓と応星が同じ髪型をしていることにはちっとも興味がないように見える。
 滑らかな黒い髪がまた風に揺れた。応星から何かを言われることは大して望んではいなかったが、似合うの一言はない。それよりも羞恥が勝っているようだった。
 それに多少なりとも不満は覚えたが、気を取り直して応星の脇腹を肘でつつき、丹楓は応星の気を逸らす。実際のところ、同じように揃いの容姿になっている男女、女はそれなりにいるのだ。彼らに溶け込み、この祭りを楽しみたいと言えば、応星は顔を上げてそうだなと笑う。
 微かに赤みが残る顔に笑みが咲いた。それが愛しいと思ったのは錯覚ではないだろう。

「それで……何をすればいい?」

 生まれてこのかた、祭りだの何だのといったものに参加をしたことがない丹楓は、応星の顔を見ながら首を傾げる。周りは提灯だの屋台の明かりだので夜とは思えないほど明るいが、同時に煙を感じることがある。服に匂いがつくかもしれない、なんて思いながら応星の反応を見れば、――――彼は考え込んでから「取り敢えず買い食いするか!」と言った。
 始めに行った屋台には子供や女が列を成しているように見えた。その中に大人の男二人が混ざるというのに、誰も彼も彼らを異端視することはない。ほんの少しの待ちぼうけ。途中、応星が「暑くないか?」と言って、どこから出したのかも分からない扇子を丹楓に渡す。開けば池の中を泳ぐ金魚の絵柄が顔を覗かせた。
 これは随分と涼しげな柄だと呟いて、パタパタと扇げば、生ぬるいながらも涼やかな風が丹楓の顔を撫でる。人で噎せ返る中で味わう風はまあ、悪くないと思いながら列が空くのを待って、漸く順番が回ってきた頃にはくぅ、と腹の虫が鳴く。
 応星には聞こえなかっただろうかとこっそり顔を窺うが、やはり太鼓やら屋台やらの音で掻き消されて聞こえなかったようだ。彼はまっすぐに前を向きながら、頬に伝う汗を拭っていた。

「………………」
「お……? はは、ありがとな」

 自分のことはおざなりに。少しも風を感じていない応星に丹楓が風を送ってやると、応星は涼しげに目を細める。けれど、その顔に浮かぶ汗は引っ込むこともなく。ふと、「そういえばこいつは走ってきたのか」と思い出して、丹楓は休憩と飲み物を用意する計画を立てた。
 暫くして丹楓の代わりに屋台に並んでいるものを吟味していた応星が、一言二言い交わしてから丹楓に向き直る。ぱた、と扇いでいた手を止めて扇子を畳めば、応星は手元に収まる食べ物――と思われるもの――をひとつ、丹楓に差し出していた。
 これは? と丹楓が問いかけつつそれを受け取る。赤いりんごにてらてらと輝くシロップか何かが鼻腔を微かに擽る。りんごに刺さった持ち手を持って、興味深そうにすん、と匂いを確かめるが、特におかしなところはない。

「りんごあめ。折角だから食おうぜ。お前、祭りが何なのか知らないだろ?」

 噛めない固さじゃないから、かじりついたらいい。
 そう言って応星は歩き出しながら大きく口を開けて、りんごあめにかじりつく。固まったシロップが砕ける音が一番に聞こえてきて、応星は気分がよさそうに咀嚼をしていた。
 負けじと丹楓も真似るように口を開けるものの、育ちのいい彼は食べにくいなどと思い、躊躇いを覚える。折角応星がくれたのに、と格闘していると、いつの間にか丹楓に視線を向けていた応星がくつくつと笑っていた。

「何がおかしい?」

 思わず眉間にシワを寄せながら応星を睨み付ければ、彼は「無理して食わんでもいいぞ」と言う。丹楓はかじりつくなんてことしなさそうだからな、なんて言うものだから、丹楓は意地になって大きく口を開けた。
 仇を取るような気持ちでかじりつくと、カリ、と軽い音が鳴る。そうして口の中に溢れる甘い果実を噛み砕いていると、応星は再び肩を震わせてくつくつと笑っていた。意地になったのがそんなにおかしいのかと思う反面、りんごあめを眺めて悪くないなどと思う。普段の食生活の中では口にしないであろうそれに黙々と食べ進めていると、応星が「まだまだ屋台はたくさんあるぞ」と言った。

「人が多いからな。はぐれないように手を繋いでおくか」

 そう言っていつの間にかりんごあめを食べきっていた応星は、丹楓の形を掴む。初めは手を包むように掴んでいたが、何を思ったのか、一度だけ手を離してまた繋ぎ直す。指と指を絡め、俗にいう恋人繋ぎと呼ばれるものをした。こんな、人が多いところで――――と思ったものの、確かに人の多さには流されてしまいそうで。
 結局丹楓が折れてきゅっと指先に力を込めて握ると、応星は満足そうに笑った。

「なあ丹楓。お前、綿菓子食ったことないだろ」
「綿菓子」
「機械を使って砂糖をほっそい糸にしたもんを綿状にした菓子、だな」

 お前にこの手のもんを食ってもらいたかったんだ。
 そう言ってその屋台の前に並び、応星は上機嫌に順番を待っていた。その屋台は子供受けがいいようで、並んでいる大半が丹楓の胴体辺りまでの身長しかない小柄な人間ばかりだ。その中を丹楓と応星は二人並んで、ぼうっと周りを眺める。手元にあるりんごあめを極力減らしながら。
 チリン、と遠くで風鈴が鳴る音が聞こえてくる。その微かな音を掻き消すほどの太鼓と周りの賑わいは、普段の暮らしとはあまりにも縁遠く、多少の疲れすらも覚える。普段は履かない下駄を履いている所為か、特に足元を気遣ってしまって脹ら脛が張っている気さえする。
 夏の熱気と相まって肌を這う熱に丹楓すらも汗をかいたが、日中のそれに比べれば遥かに過ごしやすい。喧騒は苦手だと思っていたが、この賑わいは悪くないなと思っていると――――、応星がくん、と手を引いたのが分かった。
 辺りに向けていた意識を彼に戻すと、いつの間にか会計を終えたらしい応星が「ん」と手元にあるそれを丹楓に差し出す。割り箸を持ち手にして、ずいと押し付けられたそれはまさに綿。もこもこと積乱雲のように嵩を増した綿を見て、これが綿菓子か、と丹楓は目を丸くする。
 何とかりんごあめを食べ終わって綿菓子を受け取ると同時、応星が丹楓の手からゴミをかっさらう。「ほら、食ってみろ」と背を押されるものだから、顔を近付けて軽く匂いを確かめれば、確かに甘い香りがした。
 そろ、と唇を開き、先ほどのりんごあめよりも小さくかじりつく――――が、それは口に入れた途端に溶けるように口の中から消えてしまう。残るのは砂糖特有の甘さと、飴のような多少の塊だけ。それもすぐに消えてしまうものだから、丹楓は数回瞬きをして「面白い」と呟いた。

「口に入れた途端になくなってしまうものか」
「所詮は砂糖菓子だからな。菓子ばっかりじゃなくてもう少しちゃんとしたものも買うか。飲み物も買うぞ」

 こんなんじゃ腹は膨れないだろ、そう言って応星は再び丹楓の手を引いて歩き出す。飲み物――――そう、飲み物くらいは自分が、と言ったが、応星は笑って「俺が出すって言ったろ?」と丹楓に告げた。

「遅れた詫びもあるが、俺は単純にお前に祭りを楽しんでほしいと思ってるからな。何も気にするなよ」

 まだまだ回るところはあるぞと手を引く応星が、まるで子供のように見えるとは言わずに、丹楓は頷きをひとつ。再び繋がれた手が熱いと思えるのは、暑さの所為か、それともまた別の理由かは分からない。前を歩く応星の髪が綿菓子に触れてしまいそうで、丹楓はそれを手早く口に入れていった。