夏祭りに行く話

 丹楓の手を引いて歩く応星は慣れた足取りで次々と人の間を縫って進む。反面、歩き慣れない丹楓は応星について歩くのが精一杯で。微かに息を切らせていると、丹楓の様子に気が付いた応星が謝罪を溢した。疲れたなら木陰で休もうと言ってゆったりとした足取りに変わる。突然抱き抱えられでもしたらどうしようかと頭を悩ませていた丹楓は、応星が人目を気にすることに対して安心感を覚えた。
 道中偶然にも丹恒に会い、祭りを楽しんでいることを実感する。丹恒は両手にビニール袋を下げていながら、プラスチックに入れられた焼きそばを食べていたが、丹楓に「これは俺のじゃない」という弁解をしていた。その後ろには応星の見た目とよく似ていつつ仏頂面をしている刃が仁王立ちしていて、機嫌が悪そうにちらりと丹楓に目を配らせる。――――そうしてすぐに目を逸らして、関わりたくないという雰囲気を醸し出すのだ。
 刃は相変わらずだ。丹恒と交流があるということから一度だけ顔を合わせたことがあるが、何故だか丹楓に目を向けようとはしなかった。丹楓の頭上、何もないところを見つめては厄介そうに顔を顰めるばかりで、礼儀も知らない彼の態度に丹楓は嫌気が差してしまう。丹恒との交流を諦めろ、とは言わないが、礼儀くらいはどうにかしろと何度思ったことか。
 嫌なやつを相手にしてしまったものだな、と丹楓は丹恒に視線を投げる。彼は不思議そうな顔をしながら首を傾げ、何も分からないといった様子で丹楓を見ていた。
 そうしているうちに丹恒の友人が駆け寄ってきて、お待たせと彼に告げる。両手いっぱいに沢山の食べ物と、おもちゃを携えていて。全力で祭りを楽しんでいるようだった。
 わいわいと嵐のように騒ぎ、賑わい、笑い、はしゃぐ彼らに巻き込まれないよう、見送って飲み物を買いに行った応星を待つ。丹楓に祭りを味わってもらいたいと思う応星に悪いが、丹楓は今にも家に帰りたくて仕方がなかった。家に帰り、縁側に座ってゆっくりと酒を呷る。星の瞬きをひとつひとつ数えて、キリがないといってやめて。――――そんな寂しさを紛らせることはもう、しなくてもよかった。
 祭りは嫌いじゃない。慣れない雰囲気ではあるけれど、こうした中で食べ歩きするのも新しい発見がある。いつの日か応星に連れられてやって来た金人港で、二人して食べ歩いたことを思い出した。あの頃と変わらない居心地の良さに、応星の変わりのなさを実感する。これはきっと、応星でなければ味わえない感覚なのだ。
 そうして木陰で応星を待っていると、彼は「待たせたな」と言って丹楓の頬に冷えたペットボトルを添える。頬に当てられたそれに驚いて肩を震わせてから、丹楓は「ふざけるのも大概にしろ」と言って、ペットボトルを奪い去る。よく見れば応星の両腕にはいくつかのビニール袋がぶら下がっていて、そこから食欲をそそる香りが漂っていた。
 話を聞くと、まともな食事になりそうなものをいくつか買ってきたのだと言う。彼は自分のペットボトルの蓋を開けて、くっと一口飲み込んだ。ごくりと上下に動く喉仏が、頬に伝う汗が少しだけ色気を漂わせているようにさえ見えてしまう。この時代、普段見慣れない応星の服装がそうさせているのだろう。
 堪らずそっと視線を逸らして、丹楓もペットボトルの蓋を開けた。パキッと留め具が外れ、抵抗を失った蓋をくるくると回す。そのまま一口飲んで、ふと、応星がこちらを見ていることに気が付く。じっとまっすぐにこちらを見ている視線が少しだけ恥ずかしく思えて、丹楓はペットボトルから口を離しながら「何だ」と呟いた。

「楽しいか?」

 小首を傾げながら応星は丹楓に窺う。半ば無理やり連れて来てしまったのでは、と不安に思っていたようで、丹楓の顔色を窺う応星の瞳はほんの少しだけ揺れている。約束した割には待たせたわけだし、と申し訳なさそうに呟く姿は、落ち込んでいるようだった。
 楽しくない――――わけがない。前世の記憶も持ち合わせている以上、自分がこんなにも行事を楽しめると思っていなかった丹楓は首を横に振る。「そんな顔をしなくとも、余は十分に楽しめている」と呟く。そうすることで彼がパッと嬉しそうに笑うのを、十分に知っているから。
 「そりゃよかった」と笑う顔が、丹楓は一等好んでいるものだから。
 ――――しかし、やはり欲を言うのならもう少し静かな場所が好ましい。
 そう思い立った丹楓は、笑う応星に己の欲を口にした。

「――――で、帰ってきたわけだが」
「ふ、やはり家はいいものだな。煩わしさも何もない」

 涼しさもあるし快適な場所だ。――――そう言って丹楓は縁側の柱に背を預け、庭を眺めながらぽつりと呟く。一本の紅葉の木と、その足元に設置された古池。ぱしゃんと水が軽く跳ねる音。遠くから聞こえてくる祭り囃子の音。気休め程度にぶら下がった風鈴がチリンと音を立て、より風情が増してくる。
 丹楓が帰りたいというのも応星は嫌な顔ひとつせず聞いてくれた。少しだけ、やはり少しだけ渋るような態度は見受けられたものの、丹楓が「ゆっくり過ごしたい」と言葉を付け足すと、彼は観念したように「分かった」と頷く。丹楓の要望を応星は何だって聞いてくれる。それは、前世からの仲の良さも相まってだろう。
 丹楓の家について早々、丹楓は浴衣から着なれた着物に着替えて一息吐いた。浴衣も悪くはないけれど、やはり家にいる間は着崩せる楽な格好をしていたいという考えからだった。乱雑に置かれたそれを、応星が拾い集めて丁寧に畳む。借り物ではないのかと応星が言うので、「自前だ」と告げれば彼は驚いた顔をしていた。
 この日のために用意したものだと、どうにも気付かれてしまったようだった。
 そんな羞恥を頭の片隅に追いやって、丹楓は応星に隣に座るようにと手招く。彼は苦笑を洩らしながらも畳まれた浴衣をそっと傍らに置いて、丹楓の呼び掛けに応える。和室に戻る道中に集めた酒器の片方を応星に手渡し、同じように用意した酒瓶を取り出す。その瓶を応星がかっさらい、それは自分の役目だと言わんばかりに蓋を開ける。アルミの蓋を抉じ開けたあとに丹楓の酒器に口を傾け、酒を注いだ。

「ま、俺らはこっちの方が合うか」

 なみなみと注がれた酒器を手に収めている丹楓は、応星が同じように酒を満たした酒器を手に収めるのを待った。初めの一杯は自由に、けれど飲みきれるほどの量を。酒瓶を置き、その酒器を手に取ったのを見やってから丹楓はそっと腕を伸ばす。
 ゆらりと揺れた酒が溢れないように細心の注意を払いながら、応星が同じように腕を伸ばしてくるのを見た。いやに満足げな顔をしたまま、彼は丹楓が伸ばした腕に自分の腕を絡める。
 そうしてお互いに腕を絡めたあと、息を揃えたかのように同時に酒へと口をつけた。

 こくり、と喉仏が上下して、酒が喉を通る熱が走る。
 ――――すると同時にドォン、とけたたましい音が鳴り響き、夜空に大きな花が咲き誇った。

「おお、これはまた絶景だな」

 絡めていた腕をほどき、応星は打ち上がった花火を見て感嘆の息を吐く。人気がなければ、どの建物にも邪魔をされることのない花火を見かねて、「確かにここならゆっくりできるな」と独り言のように呟いた。渋る顔を見せていたが、丹楓が帰りたいという理由が分かったようだ。次々と打ち上がる花火を見ながら、彼は酒を飲み進めている。

 ――――けれど、やはり少しだけ寂しそうに見えるのは気のせいではないのだろう。

 応星はこの日を楽しみにしていたと丹楓に告げた。きっと、彼なりに色々と調べ上げ、丹楓と祭りを楽しもうとしたのだろう。今世でも食べたことのないものを食べさせて、二人で花火を見上げる計画でもあったはずだ。
 それを台無しなしたのは他でもない丹楓だ。応星は丹楓がどんな我が儘を言おうとも、結局は折れて丹楓を許してくれる。そこに少しの悲しみと落胆を織り混ぜてくるように見えるのは、きっと今の人生になってからだ。
 そう思うと、丹楓は途端に申し訳なさが込み上げてきて、思わず唇を軽く歪ませる。気休め程度にしか食べていないからと屋台で買った焼きそばやフランクフルトなど、到底口にする気も起きない。柱に寄り掛かりながらじっと応星の顔を見つめていると、丹楓の視線に気が付いた彼が嬉しそうに「ん?」と軽く問いかけてきた。

「何だ~、その仏頂面は。お前はいつもそんな顔だが、もう少し表情筋を動かした方がいいぞ?」

 笑いながら距離を詰めて、柱に寄り掛かる丹楓の頬に手を伸ばす。夏だからと少しだけ熱が高い手のひらが、丹楓の頬を包んでからこねた。愛想の悪さは前世と同じだな~、なんて表情筋をほぐしながら言うものだから、丹楓は少しばかり呆れを覚える。愛想の悪さはどうせ直せるものではないと手を払えば、「そうか」と彼は言った。
 そのまま手を引っ込めて、また何発も打ち上がる花火を見上げる。夜の中で色とりどりの光に照らされている応星の表情は、工房で物作りに励んでいるときの、少年のような輝きを彷彿とさせた。

 眩しくて、温かくて、しっかりとこの手に収めていなければどこかへと消えてしまいそうな儚さ――――。

 ――――応星の横顔を眺めていると、丹楓は少しだけ寂しさを覚えてしまい、堪らず柱からそっと離れる。そのまま応星に寄り掛かる形で体を預ければ、彼は驚いたように肩を震わせたのが分かった。
 あわてふためくようにしどろもどろになるかと思えば、応星は一呼吸置いたのち、「どうした?」と軽く問う。その口ぶりは飼い猫に話しかけるそれと全く同じで、ふてくされたように「別に」と返した。

「丁度良い背もたれがあったからな。寄りかかろうと思っただけだ」
「ゴツゴツしててお世辞にも居心地がいいとは言えんがな」

 空になった器に酒を注ぎ、応星はくつくつと笑う。パラパラと音を立てて散る空の花と、微かに聞こえてくる風鈴の音が風情を掻き立ててきた。その調子で庭にある池からパシャンと小さな音が聞こえて、夏の息苦しさを忘れさせてくれる。応星に預けている体は、密着しているところが熱く感じられるものの、それが暑さからか別の何かからくるのか、丹楓には分からなかった。

 ――――ただ、寂しさはないと確信を持っていられるのは確かだ。

 注がれた酒に口をつけながら、丹楓は何の気なしに花火から応星へと視線を移す。応星はきっと花火に夢中になっているに違いない、今のうちに顔を盗み見ておこうと横目で見れば、応星と視線がパチリと交わった。丹楓がこっそりと盗み見ようとしていたのに対し、彼はまっすぐに丹楓へと顔を向けている。
 花火など微塵も興味がないと言いたげなそれに、丹楓は驚いて息を飲んでから、少しだけふてくされたように「ふん」と鼻を鳴らした。

「丹楓、今日はありがとうな、デートに付き合ってくれて」

 遅れたのは本当にすまなかった。――――そう言いながら応星は体に寄りかかっている丹楓の肩を抱き寄せ、丹楓のこめかみに口付ける。酔いが回っているのか、それとも祭りの陽気に充てられたのか。応星がやたらと機嫌が良さそうに振る舞うものだから、丹楓も振り払う気など少しも起きなかった。
 デート、という言葉にほんの少しの照れ臭さを感じる。それに気を取られないよう「許していない」と呟けば、応星は笑いを交えながら「じゃあ許してもらえるように頑張らないとな」なんて言う。

「次はどこに行く? お前の好きなところに行こう」
「…………また出掛ける予定を作るのか?」

 出掛けたばかりなのに随分と気が早い奴だ、と付け足せば、応星は思考を一巡させるようにどこかへと視線を投げる。ドンドン、と遠くから聞こえる花火を打ち上げる音をぼんやりと聞きながら、応星の「そりゃな」と妙に呆けたような言葉を耳にした。

「お前のことを思い出せなくて寂しい思いをさせた分、一緒にいたいと思うのは不思議じゃないだろ?」

 ぐっと肩を抱き寄せる応星の手に力が加わったのが分かった。そのまま内緒話をするように顔を近づけて、小さく呟いたあと、そのままの勢いで口付けが落とされる。酒を飲んでいてほんのり潤いのある唇が、ちゅ、と音を立ててから離れた。
 深く色付いた藤紫の瞳がじっと、丹楓の顔色を窺うように覗いてくる。
 突拍子のない彼の行動に丹楓は何も言えずにいると、応星は一呼吸置いてから「綺麗だ」と言葉を放った。

「あんな花火なんかよりもずっと、――――丹楓、お前はずっと綺麗だな」

 パラパラと応星の顔の向こうで火花が落ちていくのが見える。それに意識を取られないようにと応星はわざわざ丹楓の顔を覗き込んで、口説き文句を口にする。
 本当はもっとちゃんと祭りを案内してから言おうと思ってたんだけどな、なんてほんのり苦笑を洩らして、応星は顔を離したかと思うと、徐に丹楓の体を抱き締めた。その際に厚い胸板の向こう――――、心臓が早鐘を打っているのが分かって、それとなく上目で応星を見やる。
 けれど、やはり応星の顔色は窺えなかった。
 平然な態度をしているとは思っていたものの、体はやはり正直なようだ。ぎゅっと抱き締められた丹楓は、空いている手を応星の背に回して軽く撫でる。「緊張しているのか」と何気なく問えば、「そりゃそうだろ」と苦笑気味に返事をしていた。

「恥ずかしいもんはあるが、こうしていたいと思ったんだよ」

 そうして酒もおざなりに、応星は飽きることなく丹楓の体を強く抱き締めていた。その所為か、応星の鼓動が乗り移ったかのように丹楓の心臓もバクバクと音を立て始める。花火の打ち上がる音よりも強く、夏の暑さよりも顔が熱くなるのが分かった。
 ――――しかし、丹楓にはこれが応星の言う「好き」なのかがいまいち分からずにいる。あれだけの惨劇に巻き込み、失った仲間の一人である応星を、好いていてもいいという自信が持てずにいる。
 そのこともあって返事は待ってほしいと告げたとき、応星は悲しみもせず、けれど「我慢はしきれないぞ」と笑いを交えて言っていた。友人としての一線を越えてもなお、応星は時折以前と同じような友人として接することがある。彼にとって丹楓に向ける恋愛感情は、その延長線なのかもしれない。
 ――――丹楓もそのくらいの気持ちであればまだ少しは楽だったのだろう。

 応星の腕の中にいる丹楓は、何だか少しずつ罪悪感が募り、堪らず「すまない」と小さく呟く。決定的な返事が出せなくてすまない、と。
 その言葉を聞いた応星は丹楓の顔を覗き込むと、一度だけ瞬きをしてから大口を開けて笑い、丹楓の頬を両手で包む。熱のこもる手のひらに頬を包まれた丹楓は、驚いたように呆然としていると「お前さんはバカだなぁ」と彼は言う。

「言葉があればそりゃ確かに安心するけどな? 拒絶されないだけマシだ」
「……そうか…………?」
「それに、聡いお前のことだ。前世から俺がお前のことが好きだって何となく分かってんだろ?」

 それを踏まえた上でこうしていられるってことは、答えは出ているようなもんだ。
 そう言って煮え切らない丹楓の答えを、応星は見透かしたように口にした。前世からつけている揃いのタッセルピアスを、彼はいやに嬉しそうに指先で撫でる。腕甲はないけれど、相変わらず身に付けていられるそれは、丹楓が知らずのうちに思い出に縋った結果だ。
 縁側で一人晩酌を楽しむとき、必ずと言ってもいいほど隣に使いもしない酒器を置いていたのも、きっと寂しいと思っていたのだ。
 ――――今はそのような不安を抱かなくてもいいのかもしれない。そう思うと突然、丹楓は胸の奥がむず痒くなったような気がして思わず応星から視線を逸らす。好きだと、再会してから言い聞かせるように紡がれる言葉に、少しずつ頭の奥を掻き乱されているような気がした。

「…………まあ、お前が他のやつに目もくれないことが一番でかいかもな」

 だからこうして余裕ぶっていられるんだなと、応星は視線を逸らした丹楓の頬をつまんだ。少年のような膨らみはないはずだが、彼はやたらと気に入ったように指の腹で頬を撫でる。ドン、ドンと何度も音を立てている花火には目もくれず、応星は再び「次はどこがいい?」と丹楓に問う。
 それに丹楓は一度だけ唇を尖らせたあと、「どこでもいい」と口を洩らした。

「応星がいるならどこでも楽しめるだろう」
「ほお、そりゃえらい口説き文句だな」

 注がれている酒を一口。漸くまともに見上げた花火は、応星の眩しさには敵わないななどと丹楓は思った。

 ――――そこから数日後。応星が海に行こうと誘ったのはまた別の話。