足早にラウンジを出たワタリは、駆け込むような勢いのままエレベーターに乗り込み、自室へと向かう。共有されているスペースとは打って変わって、部屋の近くはすっかり賑わいも冷め、しんとした空間が広がっていることが多い。
その中でもワタリの部屋は手荒いに程近く、他の光霊達の部屋に比べれば多少は賑やかであったが、このときばかりはいやに静かであった。
鳴り響くのはワタリが奏でる足音のみ。コツコツと靴底が巨像の床を踏み鳴らして、どことなく耳触りのいい音だった。
幸い他人とは擦れ違うこともなく、彼は自室の前に辿り着くことができた。そして、扉を開けると惜し気もなく部屋の中に押し入り、無意識に勢いよく扉を閉める。そのあとに部屋の中に足を運ぶ――のではなく、閉めた扉に背を預けると、そのままゆっくりと膝を曲げた。
ずるずると力なくへたりこむワタリは、小さく頭を抱える。はあ、と溜め息を深く吐き、数回深呼吸を繰り返した。恐怖だか驚きだかで暴れる心臓が不気味で、頭の奥からほんの少しの鈍痛を覚える。ズキズキと、まるで頭を悩ませているワタリを嘲笑うかのよう。
――欲を見た。青く空のようの澄んだ瞳の奥底で、燃えるような感情がワタリをじっと凝視していた。
名前を呼ばれるまですっかり気を抜いてしまっていた。落とすことにした、と言う割には特別何かを仕掛けてくる様子もなければ、手を出してくることもない。ただ、普通よりもいくらか距離が近くなり、言葉を交わすことが増えた程度で、ワタリが警戒していた明らかなものは少しも顔を見せることはなかった。
それが――機会を窺っていただけに過ぎないというのに、彼は今更気が付いてしまった。
「…………っはあ」
警戒を怠ってはならない。
ワタリは大きく息を吐き、徐に立ち上がる。生活に必要最低限の家具が並ぶ部屋にある、研究のための道具を求めるよう、彼は棚へと一直線に歩いていった。
――ほんの少しでいい。悩みの種を、忘れてしまいたかった。
ズキリと痛む頭を抱え、ワタリは慣れ親しんだメスをそっと取り出すのだった。