お菓子配りと道案内

 ――どこだろうか、ここは。

 ルフランは広く、街というよりはひとつの国として称しても全く問題がない。中心部に近ければ近いほど、手の行き届いた綺麗な街並みが広がっているが、あまりにも広い所為で未だに端は手が行き届いていない。
 雑草は生えて、森の傍は酷く薄暗い。土は硬く、ところどころ石とも思えるものが足に引っ掛かる。
 ――その分虫や動物達は見掛けるのだが、お世辞にも綺麗とは言い難いのが欠点だろうか。
 街並みのような光がなければ、特に目立つ何かがあるわけでもない。夜がよりいっそう辺りを暗くしているようで、レインは瞬きを繰り返した。

 街を歩いていた筈なのに、全く見慣れない場所に辿り着いてしまった。
 普段は教会付近でしか過ごすことがないレインは、誰か一人でも傍にいなければすぐに迷子になるほどの方向音痴だ。
 ただ赴くままに歩いている所為だろう――ふとしたときには知人が誰一人として傍には居らず、周りは見慣れないものばかり。その度に見つけ出してくれていたのがヴェルダリアだったのだが、今日ばかりは少し、見つけてもらうのは厳しいのかもしれない。
 今日は収穫祭だ。彼は毎年沢山の子供達にねだられ、その度に不機嫌そうに顔を歪める。周りに他の人がいようとも、何故か彼の周りに集まるものだから、レインは嬉しくなるのだ。

 小さい子はきっと、あの人のいいところを知っているのだわ――なんて。

 ――そんな暢気なことを思っている場合ではないのは分かっている。騒がしかった場所にいた筈が、一変して静寂にまみれた場所に移り変わっているのだから。
 賑わいを目指して歩くことを考えたが、自他共に認めるほどの方向音痴だ。下手に歩かない方がいいのは明白だった。
 最後に残っている記憶は身元も知らない少女と軽く話したときだ。何をしているのかを問われたので、散歩だと答えた記憶がある。そのときはまだ街の明かりも、賑わいも、すぐ傍にあったものだから、安心しきっていたのだ。
 どうしたらいいのか、思案を繰り返す。
 やはり歩こうか。適当に歩いていれば、いつの間にか街の中心部に着いているかもしれない。それとも立ち止まろうか。誰かが自分を探しているのにすれ違うかもしれない。

 助けを呼ぼうか――でもどうやって?
 首元にある異物が邪魔をするのに、どうやって助けを呼ぶというのだ。

 暗闇でさわさわと揺れる雑草が不気味に思えて、レインは肩を震わせる。得体の知れない何かがそこにいるようで、咄嗟にその場に屈み込む。服が汚れるなど構うことはない。
 両耳を押さえて、強く目を瞑った。

 懐かしい記憶がふと甦る。あの日も暗い夜だった。雨が降っていて、雨宿りができる場所など木陰くらいしかない。はぐれた自分が悪いのだと思いながら、寒さに震えて、孤独と戦っていた。
 暗い場所は好きではない。寒さも好きではない。燃えるような赤い光が酷く恋しく、泣くのも堪えて丸くなっていたような気がする。
 そのときは草木を掻き分けて、彼が呆れた顔で手を差し伸べていて――。

 ――不意に、くしゃりと草を踏み締める音が鳴った。
 突然の音に咄嗟に顔を向けたレインは、大きく目を見開いた。
 視線の先にいるのは一人の少女。薄金の髪を三つ編みに束ねていて、躑躅色の瞳を瞬かせる。目に優しい淡い緑のローブを着ていて、ほんの少しバツが悪そうに顔を顰めた。

「迷子かしら」

 ――と、少女らしからぬ落ち着いた声色で少女が呟く。
 しかし、そんなことも気にせず、レインは人に会えた喜びを表した。勢いのままに少女の手を両手で掴み、柔らかく微笑む。
 たった一人、然れど一人。寂しさから救われた彼女は少女の手を握りながら「よかった、」「ありがとう」なんて呟く。少女自身、何らかの意図があって訪れたわけではないのだが、礼を言われるのは心地が好かった。

 ひとしきり少女の手を上下に振ったあと、レインはハッとしたように少女を見る。
 ここは街の中心部から離れたやけに静かな場所だ。普通なら人の姿など見掛けることはないが、レインのように迷子なら話は別だ。
 少女も迷子なのだろうか。――そう思ってじっと姿を眺める。今日は収穫祭だが、少女に仮装をしている様子は見られない。
 薄緑の若芽のような色のローブ。白いブラウスに、ローブと同じような色合いの長いスカート。ワンポイントに小さな猫のシルエットがあしらわれていて、とても仮装には思えなかった。
 少女もまたこの国の人間ではないのだろうか。
 うぅん、と小さく首を捻るレインに対して、少女は呟く。

「私は別に迷子ではないのだわ。散歩をしていただけ」

 あくまで素っ気ない言葉遣いだが、無愛想な言葉などいくらでも聞いていた彼女は「お散歩」と繰り返す。散歩をするのにこんな場所に来るのか――なんて疑問に思って、躑躅色の瞳をじっと見つめていた。
 ほんの少し桃色寄りの赤い瞳だ。どこかで見たことがあるような気がして、懐かしい気持ちになる。
 ほわほわとレインが胸を温かくさせている中、少女は顔を顰めたまま、軽く辺りを見渡す。「貴女の方向音痴を見くびっていたわ」なんて言葉を洩らしてから、ぐっとレインの手を引いた。
 子供宛らの小さな手に引き寄せられ、彼女は目を丸くする。何をするのかと問い掛ければ、少女は「歩くの」と言う。

「こんな場所でのんびりなんてしたくないのだわ。それに――」

 貴女がここにいると私に支障が出るの。
 ――そう呟いて、少女は立ち上がるレインの顔を見る。その言葉が何を指し示しているのかは分からない。だが、自分に危害を加えてくるような人物ではないのは分かった。
 だからこそ彼女は立ち上がり、にへら、と笑う。

「……間抜けな顔ね」
「……!?」

 自分よりも遥かに大人びたような少女に、レインは驚くように目を見開いた。そのあと、ふて腐れるように唇を尖らせる。
 普段通りの表情をしたつもりだったのだが、馬鹿にされてしまったのだ。「どうしてそんなこと言うの」と言わんばかりに頬を膨らませていた。
 そんな事情を知ってか知らずか。少女はレインの顔を一瞥したあと、足を踏み出す。伸びきった雑草の合間を縫うように歩くのは、小さな体ではほんの少し難しく思えた。

 ――だが、歩けないわけではない。

 小枝が踏み締められてパキン、と音を掻き立てる。その隣から、草が踏み締められる音が鳴る。秋も半ばというだけあって、明かりのない場所では目の前がよりいっそう暗く見える。
 肌寒くなってきた風が小さく肌を撫でた。
 ほんの少し、背筋が凍るような印象を覚えたのは、レインだけだろう。

 得体の知れない何かが迫っているような気がして、彼女は頻りに辺りを見渡し始める。どこを見ても整地がされていない場所ばかりで、時折森が視界に入る程度。明かりがない所為で暗く見えているのが原因なのか――気持ちが落ち着かずにいる。
 隣を歩く少女には何の変化も見られないことから、自分の気の所為ではないかと思った。金髪は珍しいわけではないが、見失う色でもない。じっと見つめながら歩き、少女からはぐれないよう専念した。

「――……暗いわ」

 不意に、ぽつりと少女が呟く。不思議そうにレインが少女の顔を眺めていると、ふて腐れたような顔をし始めた。視線の先を睨み付けるような様子に、レインが小首を傾げる。

 暗い。暗いのなら、明かりが必要だ。

 レインは思い付いたようにパッと手を合わせると、そのままふぅ、と宙に息を吹き掛ける。すると――どこからともなく淡い火の玉がひとつ、ふたつ、と姿を現した。
 燃えるようにぱちぱちと音が鳴るが、どうも何かを燃やそうとする意思は見られない。ただレインと少女の周りをふわふわと飛び交って、辺りを照らしている。
 どうやら火の玉はレインの意志で生まれたようだ。
 これで明るいね、なんて言いたげにレインが少女に向かって微笑む。ほんのり赤や橙に染まるそれが、二歩先辺りまで照らして、足元の安全が確保された。――そのことに安堵したのか、険しかった少女の表情が、僅かに緩むのを彼女は見る。

 それが、誰かに似ているような気がして、思わず首を傾げた。

「……これで少しは安全ね。行きましょう、きっと向こうも見付けやすいから」

 ぽつり、と少女が呟く。まるで鈴の音のように静かで、波のない大人しい声だ。レインの腰ほどまでの身長しかないのに、少女の足取りは誰よりもしっかりとしたものだった。
 少女の足に迷いはない。まっすぐ歩いていたと思えば、急に曲がって、時折ぴたりと足を止める。数秒立ち止まったかと思えば、再び歩きだして、自由奔放に歩き回る少女にレインはついていくのが精一杯だ。
 何故歩く速度に緩急をつけたり、突然立ち止まったりするのか。
 それを聞こうとして唇を開くが、数回目に亘ったところで彼女も次第に気が付く。

 明かりの届かない暗闇の場所に、何か・・がいる。

 それが一体何であるかは説明ができない。本能が不安を掻き立て、早く逃げろと言うものだから、何であるかなど分かりたくもない。
 得体の知れないものが一定の距離を保っている所為か、不安からレインは少女の服を掴む。手を下ろした先にあるローブのフードを掴んで、そろ、と身を寄せた。
 そんなレインに対して、少女は僅かに鬱陶しそうな表情を浮かべて、「歩きにくいのだわ」と愚痴を溢す。

「大丈夫よ。明るいところには来ないの。だから街には沢山の灯りが点くのよ。悪意のある悪い虫は、眩しいところが大嫌いなの」

 「ランタンを持って歩くのもそういうことね」少女はそう呟くと、レインに歩幅を合わせるようにゆったりと歩く。
 そういった話を彼女は周りから聞いたことはないが、少女の確かな口振りに安心感を覚えた。
 時折本物が混じる、だなんて聞いたときはどう対処するのか疑問ではあったが、眩しいことが弱点ならば好都合である。

 歩きにくいと言われたレインはほんの少し少女との距離を取ると、再び横に並んで歩く。ふわりと浮かび続ける火の玉は、それぞれの顔を仄かに照らしながら周りを回る。
 寒さが増してきた秋の夜には、その火が僅かに温かく思えた。
 少女の言葉の通り、何かが二人を襲うこともなく、雑草を踏み締める音が鳴り続ける。少女の見た目をしているが、少女は特別無駄話をするような人間ではない。加えて、レインは滅多に言葉を発することもない。当然のように聞こえてくるのは、踏み締める音ばかりだった。
 その中にほんのりと虫達の鳴き声が聞こえてくる。秋の音楽祭が背を押すように耳を掠めるものだから、彼女は気分を良くし始めた。

 収穫祭は街の中心部。眩しい明かりと、子供達のはしゃぐ声で虫達の合唱など聴く機会はない。整地がされていない場所は森に近く、何が起こるか分からないという不安から、誰も近寄ろうとはしない。
 無論、レインでさえもそうだ。
 ――いや、レインだからこそ近付いてはいけないというべきだろう。
 度を越えた方向音痴が一度森に入れば、無事に街へと辿り着ける保証はない。彼女はただ歩いているだけで、街の外れまで辿り着いてしまうのだ。
 森に入らなかっただけマシだと言えるだろうか――。

 気分良く歩いているレインの横で、少女が「暢気ね」と溜め息を吐く。まるでレインの代わりに「森に入らなくてよかった」と思っているようだ。
 小さく肩を落として、二度目の溜め息を吐く様は、まさに保護者のようだった。