その街はとても明るく大きく、広い所だった。石畳の上を歩く人の足音。大通りを、キャリッジを引きながら歩く馬の足音。店から聞こえてくる大きな笑い声や、市場などが遠くから見ても賑わっていることは確かだった。街にある時計塔の鐘は一時間毎に鳴り響き、午後の鐘が五回鳴る頃には街から店はなくなってしまう。
理由は簡単。光の裏に闇があるように、この街にもまた良くないものが流れて来るからだ。そして、それに見付かってしまえば住人の抵抗も虚しく、自分の人生を曲げられることも少なくはない。
だからこそ日が落ちる五回目の鐘が鳴る頃には、誰もが家へと隠れるように帰るのだ。
――しかし、夜だけがそういった危険性に晒されるだけではない。日中でもまた自分の身が危険に晒されることも多々ある。
例えば人通りの少ない路地裏に居た。例えば誰かと肩がぶつかった――というだけでも暴力を振るわれる可能性がある。その大半が自分の体に宿った力を過信してしまって、意気っている血の気の多い若者なのだ。
街には魔法使いと呼ばれるものが存在していて、ただの一般人にも魔力が宿っていることも発覚している。魔法と呼ばれるものを扱えるようになる切っ掛けは人によって異なっていて、魔法使いが重宝されるこの街では誰も魔力持ちには逆らえなかったのだ。
――たった一人を除いて。
彼は魔法使いが嫌いだった。同じ人間であるというのにも拘わらず、魔力持ちが特別視されるような環境が酷く嫌いだった。それ故にまともな少年時代を擲って道を違えた彼は、誰が見ても分かるほどにぐれたのだ。
初めはただ、自分の憧れていたものが全く別の道を歩んでしまったことが酷く気に入らなかったのだ。
彼の実家は有名ではなかったが無名でもない執事の家だ。主人の為に全ての時間を割き、主人の為に全てを尽くす。掃除や家事などは当然の如く、主人を中心とする人間の身の回りの世話でさえも手を抜くことは許されない。勿論、一杯の紅茶や朝食に至るまでも妥協など認められないのだ。
そんな家柄を彼は特に気に入っていた。決して楽な仕事ではないことは幼いながらも理解していて、それでも執事として胸を張れる家族が誰よりも格好いいと思っていたのだ。
特に格好いいと思っていたのは彼の実兄に当たる人物であり、歳が離れていながらも彼はその兄の背をひたすらに追い続けた。兄はろくに喋ることもなければ表情を変えることも少なかったが――、懐いて背を追いかけてくる弟である彼を可愛がっていた。自分のやり方をそれとなく教えてやれば、彼は目を輝かせながら兄の真似事をするものだから、純粋に面白いとも思えたのだろう。
そんな兄を彼は好いていた。何せ仕事も速くこなせるだけでなく、背を追いかけている自分自身に惜しむこともなくやり方を教えてくれるのだ。無表情であり、時には怒らせることもあったが、幼い彼にとって兄は誰よりも近く、誰よりも目標となるべき人物であった。
いつか肩を並べてみたいとさえ思っていたのだ。
――しかし、彼の兄は唐突に執事の仕事も辞めて実家を去ってしまった。理由は簡単なもので、彼の兄には魔力が確かに宿っていたからだ。
魔力持ちは最早職業に困ることはない。彼の両親は彼の兄に執事の仕事も辞めてもいいと言った。主人だけに尽くす仕事などろくなものではないと思っての発言で、それを裏付けるように彼の兄は静かにそれを辞めてしまったのだ。
その頃には既に齢二十を越えていた彼は納得することができず、ただただ反論をし続けた。当然両親は聞く耳も持たなかったが、彼の兄だけはたった一言
『――これが俺の人生だ』
――そう告げて、弟を置き去りに実家を出ていったのだ。その後ろ姿は憧れていたものよりも遥かに小さく、頼りなく――彼は間違いなく失望してみるみるうちに性格が変わっていったのだった。
真面目に取り組んでいたものを投げ捨てるように、執事として働いていた仕事先を辞めてまで彼は自由を選んだ。目標も憧れもなくなってしまった今、こんなものに打ち込んでいる暇などないと、見繕われた深い濃紺の燕尾服をしまい込んで街を出歩く。その街には魔法使いや魔力持ちが確かに多く、彼にとっては誰も彼もが敵にすら見えてしまっていた。
そうしてある日、彼は自分の中にあるそれに気が付いてしまうのだ。
煙草を吸おうが人を殴ろうが真面目だった性格を根っこから変えることなどできず、彼は両親に実家を出ることを告げた後、不意に身近にある植物が時折うねる感覚を得る。今まで萎れていたはずの草花が、何故だか元気を取り戻してしまって――触れようとした矢先に彼の手のひらに巻き付いたのだ。
勿論怪異の類いなのかと彼は疑ったが、それが「一度気にかけたことがある植物」であると気が付くのには時間はかからなかった。彼の魔力は植物にとってひとつの栄養分であり、植物は彼に忠実に動こうとした。自分を助けてくれた者への恩義として、彼の助けをしたかったのだ。
――しかし、彼はそれを拒否した。自分から憧れを奪ったものが体にあると分かって、酷く嫌気が差したのだ。
「要らない……要らないこんなもの…………こんな……」
望まずとも宿るそれに、怒りを抱いてしまった彼は感情を人間にぶつけることしかできなかった。人々を助けてくれるという魔力持ちである人間に、魔法使いにただ喧嘩を売ることしかできなかった。
巷で道を歩いては特に意気がる若者を中心に拳を振るった。勿論相手も抵抗したが、彼は力に対する拒否感をぶつけるようにただ殴り続けた。頬だけでは飽き足らず、取っ組み合いだけに留まらず――喧嘩を続ければ続けるほど傷は増えるのだが、心が満たされるような気はしたのだ。
――そうしていつの間にか彼は『魔法使い狩り』と噂されるようになったのだった。