不安の中で見えた気持ち

 夢だ。これは明らかに夢なのだ。何せ彼は、自分が「眠ってしまった」という認識と、「嫌なものを見ている」という意識がはっきりとできているからだ。夢にしては珍しく夢だと分かるタイプの、嫌な夢だった。

 望んでもいない理不尽な暴力が振った。抵抗ができないことをいいことに、顔だの腹だのを殴ってくる人間が純粋に嫌いだった。俺はあんた達のサンドバッグじゃない、なんて何度思ったことだろう。ストレスの捌け口にされるなど、彼は嫌で仕方がなかった。
 殴る蹴るの暴力は相手が気が済むまで止まらないものだから、彼は余計なことを考えることをやめた。考えるだけの思考と、意識が無駄だと分かるや否や、無駄な労力だと思って諦めを抱くことにしたのだ。そうすれば何も感じずに済むから。飽きた頃に収まるそれに、 いちいち感情をすり減らすことなどしたくもないのだ。

 ――だが、彼を襲うのは暴力だけではない。

 理不尽に振るわれる暴力に対してならいくらでも我慢ができた。殺して欲しいなどと思っていながらも、特別な一族である彼は決して死ぬことはない。殺してしまえば捕まえた意味がないと、奴らが言うからだ。
 だからこそ彼は暴力に対しては耐えることができたが、性的な暴力に対しては到底慣れることがなかった。
 同意などあるはずもない。抵抗ができない彼は、それから逃げることも許されない。いくら嫌だと声を上げようが、喧しいと言われ口を塞がれてしまう。そうして抵抗する術を失い、彼を欲の捌け口にしようとする酔狂な男達にすっかり囲まれてしまったのだ。

 痛みと共に溢れ落ちる涙も、プライドも、誰にも知られることはない。貞操を失い、胸に募るのは悔しさばかり。暴力とは異なり飽きが来ない所為か、何日にも亘って続くそれに、彼は着々と死を望むようになった。

 死ねばこんな目に遭わなくて済む。〝商人〟達からすれば重宝する生き物であるノーチェの死は、多大なる損害へと繋がる。自らの命でこいつらに報復ができるのであれば、なおのこと彼は死にたがるようになった。

 ――それと同時に、胸の奥底で誰かの助けを待っているのも確かだったのだ。

 彼に死ぬための勇気などありはしない。そんな勇気と抵抗があれば、とうの昔に命を絶ち、この世とは別れを告げている。たとえ父や母、友人達が悲しみに明け暮れてしまおうがなんだろうが、嫌だと思っている現状から逃げられるのであれば、手段は問わなかった。
 だが、それすらも「抵抗」と見なされ、途端に意欲を失ってしまう。下から突き上げる圧迫感と、酷い苦味に身体中を蝕まれ、ただただ都合よく犯されるだけの人形と化してしまう。彼、ノーチェ自身に人権などあるはずもなく、奴隷として好きなように扱われるだけの人生だった。

 こんな状況下で生きる楽しみも、助けも望めるはずもない。何度嫌だと思っていても、やめてくれるだけの良心すらも持ち合わせていない奴らにとって、彼は格好の餌食だ。
 だから彼はプライドを投げ捨てて、ありもしない助けに何度も縋った。

 もうこんな目に遭うのは嫌だ。これなら殴られていた方が百倍マシだ。汚い、気持ちが悪い、苦い、臭い。生きているだけでこんな目に遭うくらいなら早く死んだ方がマシだ。
 死んで、来世なんてものは存在しなくてもいい。同じようなことになるくらいなら、生まれ変わりたくもない。死んだその先に何かがあろうがなかろうが、今となってはどうだっていい。
 ――それでも今は、今だけは。

 ――――誰か、助けて。