仲秋の名月 2

 〝教会〟の庭は広く、手入れには数時間ほど掛かってしまう。枯れ葉が舞い落ちれば、その分掃除に時間が掛かると、誰もが嫌そうな顔をするほどだ。
 そんな庭の一画で声を上げているのは〝教会〟の面々だった。

「レイニールさんの手作り……!」
「女性の手作りが食べられると聞いてやってきました」
「何か! お手伝い致しましょうか!?」

 わらわらと集るように集まって、レインの周りに集う人間に、ヴェルダリアは顔を顰める。普段挑発するように八の字に下げられる眉が、眉間にシワを寄せて苛立ちを露わにしていた。
 数歩離れた場所にレインがぼんやりと立ち竦んでいて、両手には見慣れない台座と白玉がピラミッド状に詰まれている。そして、集まってくる男達に遠慮がちに微笑んで、ちらりと後方を見た。
 視線の先にいるヴェルダリアがあからさまに不機嫌になっている。それが、彼女にとって良くないことであるのは確かで、悩ましげに眉尻を下げた。

「集るんじゃねえ! 散れ!」

 唐突にヴェルダリアが荒々しく声を上げると、レインの周りに集まっていた男達は「うわ、出た!」なんて言って、そそくさと離れていく。その際にレインの手元にあった団子を奪い去って、そそくさと用意されたテーブルへと走っていった。
 彼らがナンパ目的ではないことはレインは重々承知している。だからこそ、何食わぬ顔でレインの隣に並ぶヴェルダリアに対して、少女のように頬を膨らませて見せる。
 「悪い人達ではないんですよ」――なんて言いたげな視線に、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。

「そんな顔したって俺は気に食わねぇんだよ」

 溜め息がちに言葉を吐いて、レインの燃えるような色合いの髪を軽く撫でる。どう見ても口説き目的にしか見えないから、なんて取って付けたように言うが、レインは頬を膨らませたまま彼の手から離れていった。
 彼女は悪意に疎く、基本的には人を疑う性格ではない。それを十分に理解してヴェルダリアは辺りに警戒を配らせているのだが、肝心の本人はそれすらも気が付いていないようだった。
 レインが向かう先にいるのは先程の〝教会〟の面々で、いそいそとススキを飾る彼らに混ざって飾りつけをする。今夜は酒を飲んでもいいだとか、この白玉は絶対に美味しいだとか、他愛のない会話が聞こえた。
 冷えてきた風を頬に受けて、レインが風邪を引かないかだとか、あいつら近すぎるとか、何気ないことを考えていると――後方から声を掛けられる。「やあ」と、無感情な声色が、ヴェルダリアの耳を擽った。

「フラれたのかい」
「は?」

 ふらりと現れたモーゼに対し、再び険悪な顔をすると、男が笑う。「言っただろう、勝手に集まってくるって」と続けて言えば、安直な男達の考えが分かって彼は小さく舌打ちをする。

 思えば疑問だったのだ。モーゼがレインを手招き、地下にあるキッチンに招いたときに嫌な予感はしていたのだ。
 月見団子なんてものを作ると言って、作業をレインにやらせることを聞かされた男達は。こぞってモーゼに詳細を訊ねた。月見とは何ですか、なんていう言葉がヴェルダリアの耳に届く。
 月を鑑賞する風習だとモーゼは本を携えながら言っていた。モーゼ自身、月見というものを熟知しているわけではないようだ。ただ、本に載っているものに興味を示して、実践してみようという気持ちにでもなったのだろう。
 十五夜と呼ばれる満月を見上げながら、月に似ている白玉を食べるんだ、と言えば、周りは参加すると口を揃えて言ったのだ。

 午後八時近くの夜の空には、随分と綺麗に輝く満月が爛々と輝いている。辺りには星屑がチカチカと小さく瞬いているが、街の灯りに押し負けて、一望することは叶わなかった。
 街から離れた場所の森に行けば、夜空の星も全て目にすることができただろう。
 レインが作ったらしい団子に集るのは片手で数えられる程度の、数人の男達。その男達がレインが作った団子を口にして、何やら涙を流している。安直に言えば、彼らは女との関わりのない人間達なのだろう。
 ふて腐れた顔を見せ付けられたヴェルダリアは、声を張り上げることを諦めてモーゼへと耳を傾ける。「お前が思うようなことなんて全くねえ」と言えば、「それは勿体ない」と予想外の言葉を掛けられた。

「恋はいい。空っぽな自分を満たすのに打ってつけだよ。恋は盲目、なんて言葉があってね。相手以外のことなんて全く考えられなく――」
「うるせえ」

 得意気に語るモーゼに一喝して、ヴェルダリアも軽く月を見上げる。
 予想に反してモーゼはそれ以上のからかいを口にすることもなければ、何か重要な話をするわけでもない。ただ、「そうかい」と呟いて、片手に携えていた酒を軽く呷る。
 夜はいい。余計な雑音が聞こえないから。
 ――今日ばかりは騒がしく、耳障りな声が離れた場所から聞こえるものだから、彼はあからさまな溜め息を吐いてみせた。

「――まあ、今日は適当に過ごしておくれ。やりたいことがこれからあるんだ」

 トン、と肩を叩いて、モーゼはその場を後に踵を返す。目的地は勿論教会だ。恐らく、あの棺へと向かうのだろう。
 暢気だな、なんて呟いて、ヴェルダリアは視線を月から下ろす。すると、小柄な影がこちらへ近付いているのが見えて、腰に当てた手を下ろした。
 軽く駆け寄ってきたのは白玉をひとつ、手に持ったレインだ。アメジストのように瞬く瞳を彼に向けて、携えたそれをぐっとヴェルダリアに押し付ける。どうやら食べてくれと言っているようで、キラキラと輝く瞳はまるで夜空に浮かぶ星のようだった。
 先程ふて腐れたような顔をしていたのを、彼女は覚えていないのだろうか。僅かに期待した視線がヴェルダリアの視線に絡み付く。――だが、今ここで断れば、再びふて腐れてしまうのだろう。
 ――というよりは、悲しそうに肩を落とすのかもしれない。
 どうしたものかと視線をレインの向こうへと向ければ、男達が「受け取れ」「食べてやれ」と囃し立てていた。まるで野次馬のような存在に、ヴェルダリアがとうとう嫌そうに口許を歪める。

「……仕方ねぇな」
「……!」

 そう言ってレインの手元に収まる白玉を、ヴェルダリアは口へと運んだ。
 それを見守ったレインは嬉しそうに目を輝かせて、再び男達の元へと駆けていく。まるで報告しているかのような光景は、兄妹のそれとよく似ているように見えた。
 口へと運んだ団子を咀嚼して、彼は再び空を仰ぐ。

「……これ、あんま好きじゃねえな……」

 小さく呟かれた言葉を、聞く人間は誰一人としていなかった。