――その日も頭がおかしくなるほどの晴天だった。誰もが洗濯物日和だと、ピクニック日和だと口々に言うほど、心地の良い晴れた日だった。クレーベルトは執務室にこもり、机の上を指先で小突く。目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませるようゆっくりと呼吸を繰り返していた。
トン、と机をひと突き。背後にある窓から穏やかな風が吹く。遮光カーテンを広げたままの執務室は薄暗く、到底昼間だとは思えないほど。その中で男は沈黙を貫いている。耳を澄ませば鳥の囀りが聞こえてきた。外にいる人間たちの談笑が聞こえてきた。風に揺れる木の葉が擦れる音も、獣たちの足音も確かに聞こえてくる。
――そうして意識を研ぎ澄ませているうちに、ひとつの視界を男は共有した。
この世界には外から招いてきた人間の他に、人工的に造られた獣たちがいる。彼らはこの世界の頂点に立つ男に従う忠実な僕であり、男の代わりに辺りを監視していることが多かった。男の代わりに森の中を彷徨き、敵対するものがいれば牙を剥く。――それだけでは平等さに欠けるといって、一部の獣たちは男の支配から逃れ、自由に生を謳歌している。そのため、クレーベルトの身内に手を上げることもあるのだが――、男の身内は全員が手練れだ。不意を突かれない限りは手傷を負うことはない。
もちろん、クレーベルトの存在を忘れ、男に手を出す愚かな命も存在した。その度に男は誰が主人であるのかを思い出させ、自分の支配下に置き直すことがある。
男の忠実な僕たちは決まってボスの障害となり得る存在を見つけると、クレーベルトにその情報を共有した。彼らは元々命をなくした小さな生き物だ。その亡骸に魔力を込めた血を分け与えることで、仮初めではあるが新しい命を宿せる。――ボスとして男はいくらかの僕を造り上げた結果、彼らは少しばかりの凶暴性を孕んだ生き物へと変わってしまった。
だが、生きたいという本能は変わらないのだろう。男に対する恩返しのつもりか、はたまたそうするべきだという本能が働いているのか――、彼らは体内を巡るクレーベルトの血液を伝い、目を、耳を共有した。
森の奥深く、人が入り込まないような、獣道すらない鬱蒼とした場所で、数名の人間がいる。男と女、年齢は比較的若い方。それらのうち、二人ほど男が気にかけている身内であり、その他は敵対しているはずの人間たちだった。彼らは周囲を警戒しながら内緒話をするように極力声を潜め、話をし始める。頭部が見える視界、木の枝と木の葉が目一杯に映り込むそれは、鳥か何かのものだろうか。
敵対関係にあるはずの人間たちが協力し合うために費やした時間は計り知れないものだっただろう。いくら顔見知りであろうとなかろうと、一度は殺し合いに挑み合った関係性。殺された側の人間と、殺した側の人間である。――そんな彼らが手を取り合い、ひとつの目的を持って協力し合う――物語の中であればそれは美しい話になったものだろう。
――だが、生憎なことに彼らが目的を遂行するためには、男の排除が必要不可欠なのだ。
クレーベルトはボスの割には身内に甘かった。初めは興味がなかったものの、折角仲間になるのだから、と興味を持ち、関心を寄せて以来情が湧いたのだ。彼らはボスという存在に従い、獣たち同様に従順だった。本能が男に従うべきだと、指示を下しているからだろう。圧倒的な権力者には楯突くことはせず、従っていれば不自由はないのだと、誰もが理解しているからだ。
しかし、その中でも時間が経てばこの世界に嫌気が差してしまう人間たちが少なからずいる。生まれ育った故郷を恋しく思う者、以前のように人を殺すことに疲労感を覚えた者。大抵の人間が現状を忌み嫌い、男に裏切りを働くようになるのだ。
初めは身内の話についていけなくなり、少しずつ街の居心地の悪さに気が付いてしまう。やがて自分の行いに嫌悪感を抱くようになり、最後には敵対関係にある人間たちとの接触を試みてしまうのだ。
その理由は簡単――、相手方にはボスを倒す褒美として元の世界に戻る権利が与えられるからだ。
彼らは皆志半ばで何者かの手により、命を落とした人間たちだ。それらを集め、やり直しの機会を与えることで自分好みのゲームを作ろうと『主』が企てた設定だ。それが真実であれ嘘であれ、招かれただけの彼らはその情報だけを頼りに殺し合いに参加せざるを得ない。何せ、故郷にはいくつもの未練が残っているから。伴侶を残してしまっていたり、子供を置き去りにしてしまっていたり。やり残したことがあったりと。
それらを自らの手に手繰り寄せるべく、後悔をなくすべく、彼らは慣れない武器を手に取るのだ。
――殺した者と、殺された者。時折手練れが何者かによって殺められ、向こう側に落ちない限りは殺し合いは一方的な虐殺へと変貌する。その状況下で人間がどれほど足掻いてくれるのか――それを見るのが楽しみなのだと、『主』は言ったのだ。
子供のように純粋で、子供のように無邪気なそれがいかに残酷なことであるかを、男の『主』は知りもしなかったのだろう。『主』のために働く――それがクレーベルトの役割であり、ボスとしての役目だ。男はふたつ返事で了承して、今のような環境を築き上げてきた。
そうしてぽつぽつと湧いて出てくる反逆者たちは、揃って男に向かって敵意を露わにする。慣れない相手方の代わりに獲物を手に取り、男の不意を突いて殺してしまおうと言う魂胆だ。その結果として自分が故郷に戻れるかも定かではないというのに、彼らはこぞって小さな可能性に命をかけ続けた。
もしかすると、故郷に戻る鍵はボスにあるかもしれないと――。
――次の満月の夜に…………
――本当に不意を…………保証は…………
――それでも、試してみる価値は…………