刻まれた傷痕

 どんな反応を返せば良かったんだろうか。――そう考え込むノーチェの目の前に広がるのは、大きな窓と暗闇に包まれた広い庭だった。生憎の天気で煌めくほど輝かしい景色は見られたものではないが、雷だけは多少収まったような気がする。時折唸るような、地鳴りのようなものが耳に届くが、落ちてくるような気配はしなかった。

「愛されたかった、なんて……何で俺に言うんだよ……」

 意味分かんねぇ。ぽつりと呟いた言葉は雨音に掻き消され、終焉には届くことはなかった。
 ――そもそもの話、届くことなどまずないのだ。

 ノーチェは風呂から出た後、身なりを整えると浴室へ至る扉をそっと閉めた。その後に確かに風呂場から出てくるような音が聞こえるものだから、男は嘘を吐くなんてことはしなかったのだろう。
 そろ、とその場を離れて何気なく赤いソファーへと座り込む。何度座っても飽きないその座り心地に、人間として何かを駄目にさせられそうな感覚さえも覚えた。材質があんまりにもいいものだから、ここで眠っていても問題ないのではないかと思ってしまうほど。彼は何気なく体を伸ばすと、くぁ、と欠伸を溢した。
 すると、廊下から終焉が「何でもいいのか」と小さく問い掛ける。一度彼は悩む素振りを見せたが、男の問いがノーチェの喉が渇いたという発言に対するものだと気が付いて、「何でもいい」と言った。アンタが作んのは多分何でも美味い――そう呟きかけて、静かに口を噤んだ。

 ――何を言おうとしてんだか。

 ノーチェは軽く首を横に振ると、終焉がゆっくりとキッチンへ歩くような足音が時々聞こえる。普段の軽やかな足取りではなく、ふらふらと覚束ないような足取りだ。その調子のまま向こうへと行けるということは、雷の心配をもうしていないのだろう。
 そんな終焉にノーチェの呟きなど届く筈もないのだ。

 ざあざあとやみそうもない雨にぼんやりと視界を寄越しながら、ほう、と吐息を吐く。反芻する言葉、雨の音、向こうからノーチェの名前を呼ぶ声――。

「……今行く……」

 ――今日もまた胸の内に違和感を抱えながら、彼は終焉が居るキッチンの方へと歩きだした。