夜の祭りに光は落ちて

 街を背に歩く道なりは仄かに暗く、どこからともなく光り輝く虫がほんのりとノーチェの頬を掠める中、終焉が「ここでいいか」とノーチェに振り返る。その手には見慣れないもの――線香花火――が二つ手の中に収まっている。街の明かりなど殆ど届かないほどの距離が気に入ったのだろう。「少しくらいは祭りに興じようか」なんて呟く。その向こうから、リーリエがパタパタと駆けながら「私も混ぜなさいよ~!」と叫んだ。
 終焉の表情が僅かに歪んだように見えたような気がして、ノーチェはぼんやりと眺めた後、「……あの人、火持ってるから」と呟いた。見たところ終焉は火を点けられるようなものをひとつも所持してはいないのだ。リーリエが参加できる理由といえば、火を持っているからの一言に尽きるだろう。
 彼はただ当然のことを言ったまでで、これなら終焉も納得するだろうと思っていた。――しかし、男はノーチェの一言に瞬きをひとつ。

「……花火の楽しみ方を知っているのか?」

 ――と小さく呟き、彼に問い掛ける。それにノーチェまでつられて瞬きをしては、「……あれ……?」と言った。

 ノーチェが覚えている限り、彼は花火などというものをいうほど嗜んではいなかった気がした。特に鮮明である奴隷真っ只中では娯楽などとは縁もなく、奴隷になる前の記憶など、古ぼけた写真のように霞んで仕方がない。その中で娯楽の楽しみ方を何故知っているのかと問われれば――、ノーチェは答えることができなかった。
 彼は押し黙りぼんやりと足元を眺めていると、代わりに終焉が口を開く。「幼い頃の記憶が体に染み付いているのだろう」と。ノーチェはそれに納得することはしなかったが、確証も得られない以上否定する理由もないと思い、頷くだけのことをする。
 すると、漸く追い付いたリーリエが肩で息をしながら「私ヒールなんですけど!」と声を荒らげる。

「仕方がないだろう」
「仕方なくないわよ!! 何が理由で私をいじめるの!?」
「約束のひとつも守れていないならだ」

 男の一言に咄嗟に口許を隠したリーリエは額に汗を浮かべながら、「何のこと?」と口を洩らす。――しかし、特別終焉のように力があるわけではないノーチェでも分かるその匂いは、鼻を常に掠めるのだ。
 酒独特の、鼻の奥をつんと刺すようなアルコールの香り――それが、リーリエから漂っている上に、彼女の顔は赤く染まっている。「酒を飲まない」という約束を悉く破っているリーリエに彼は呆れさえも覚えていたが、終焉は平静を保ったまま「守れるとはこれっぽっちも思っていない」とだけ呟いた。

 滲み出る信頼性の無さに彼女は涙を浮かべるものの、ノーチェもまた当然だと信じて疑わなかった。何せリーリエは終焉の屋敷へ訪れる度に真新しい酒を持ち合わせて来るのだ。彼女以外は飲まないということをまるで頭に叩き込まないように。「お酒は生活必需品」なんて言った女が約束を守るなど、終焉すらも思ってもいないのだ。

「いいじゃない! もう! あんたこそやけに美味しそうなの持ってるじゃない!」

 頬を膨らませながら終焉の手元を指差したリーリエが見たものは、花火の他に赤く熟れている果実がひとつ。ノーチェが買って渡した筈のりんご飴が未だに手の中にあるのだ。彼もそれを見て「食べればいいのに」なんて何度思ったことだろうか――「関係ないだろう」と突き放す終焉は顔を背けながら目を細めた。
 納得こそはしていないものの、りんご飴をもらったことを男は喜んでいるのか、それを大切なもののように扱っているのだ。あげた本人であるノーチェから見れば早く口にしてしまえばいいのに、と思うだけなのだが、終焉にとっては特別なものでもあるのだろう。

「…………早く食えば」

 何気なくノーチェがそう呟けば、言い争っていた二人は――特に終焉は――目を僅かに見開いた後、ゆっくりと口を閉ざした。「そうなるわよねえ」と口を洩らすリーリエに対し、男はやけに寂しそうに眉を顰めむぅ、と唸る。勿体ない――なんて言いたげな表情に、彼は小さく首を傾げた。
 横から口を挟むリーリエ曰く、終焉はノーチェからもらったという事実が嬉しいのだという。何せ、彼は何に対しても殆ど無関心であり、物を与えるという行動に出るような人物ではないからだ。奴隷という立場である以上、周りに気を配れる余裕などないと思っていた所為か、男の感動は計り知れないものとなっている。
 それに――やはり彼は小さく首を傾げて「…………よく分からない」と呟く。終焉が好きそうなものをあげただけでそんなに嬉しいものなのか、とうとう彼は理解することができなかった。

 ――不意に遠くからぱちぱちと何かが弾けるような音がノーチェの耳を掠める。それは、あまりに小さく、夜でなければ聞き逃してしまいそうな破裂音で、徐に振り返ってみれば街の方から温い風に乗って音が届いているようだった。
 「何かしてんの?」とノーチェが終焉に問い掛ける前にリーリエが声を放つ。「花火の開始ね! 私達も興に乗りましょ!」そう言って懐から持ち出したのは、終焉が携えているものとはまた違った手持ち花火であった。

「こういうのはパーッと弾ける方が楽しいもんよ~!」

 パチン。手持ちのライターで火を点けたリーリエの花火から勢いよく光が溢れ出す。熱が弾け、ホースから出てくる水のように――然れど勢いは比べ物にならない――光を放つそれに、ノーチェはおろか終焉までも目を細める。酔いが程好く回っているのか、彼女はそれを両手で持ちながら笑い、くるくると陽気に回り始めた。
 言葉を遮られたノーチェは目線を落としながら「花火」と呟く。大人のくせに花火を大きく振り回しはしゃぐ女をちらりと見やって、危ない、とだけ呟いた。
 いい年をした大人のくせに――いい年をした大人だからこそ、あんな風に楽しめるのだろうか、なんて思いながら。

「…………ノーチェ」
「………………」

 ぼんやりと空を眺めていると、不意に終焉が彼の名前を呼ぶ。何かと振り向けば男の手には花火が握られていて、差し出す様子から「一緒にやろう」とでも言っているようだ。
 ノーチェは思わず遠慮しかけたが、有無を言わさない威圧感を与えられるのを嫌がり、恐る恐るそれを手に取る。細長く頼りない花火はリーリエのものとは全く異なっていたが、火を点ければろくなものにならないことを遠くから見ていて何気なく察していた。
 終焉が火をねだり、リーリエが投げたライターを宙で受け取ると、男はそれらに火を点けてぼんやりと眺めるようにしゃがみ込んだ。ノーチェも真似るようにしゃがむと、目の前でぱちぱちと小さな音を立てながら弾くそれが視界に入る。リーリエが持つものとは比べものにもならないほど小さく、控えめな光だった。

 終焉はこういった大人しめのものが好きなのだろうか――。
 何気なくノーチェが問い掛けてみると、リーリエの笑い声を掻き消すように終焉が呟く。

「…………まあ……思い入れはある」

 随分と綺麗なものだった。――ノーチェを横目に終焉はぱちぱちと音を立てている花火をいやに愛しそうに眺めている。光自体が苦手なこともあるようだが、男には何かしらの理由があってリーリエが持つような勢いのいい花火ではなく、手元で弾けるだけの花火を選んだようだ。
 相変わらずの伏し目がちの瞳ではあるが、光を見つめているお陰だろうか――普段暗く落ち着いている瞳が、爛々と輝いているようにさえ見える。ぽつぽつと灯る赤や橙の光が随分と似合ってしまうように思えるのは気のせいだろうか。
 長い髪が火に触れることも、コートが暑苦しそうだと思うことも今は忘れ、ノーチェもまたそれをぼんやりと眺める。小さく弾けるそれが妙に懐かしくて、胸の奥が締め付けられるような苦しささえも覚えた。

 終焉は花火を見つめながらりんご飴を齧りだし、満足そうに口許だけで微笑む。「甘いものはいいな」といつの日にか聞いた言葉と同じものを口にして、ふぅ、と一息。買ってきた本人であるノーチェはその様子を見かねて、確かに安心感を抱いていた。
 緩い風が髪を撫でる。小さく瞬く星が着々と数を増していく。――すると、突然思い出したかのように終焉が口許を押さえて強く咳を繰り返す。渇いただけのそれに彼は再び目を配らせて、「……やっぱり体調悪いんじゃないの?」と呟きを洩らすのだ。

「アンタ、眠そうだし……」

 ノーチェがそう呟くと、「そんなことは」と終焉は呟いて、口を閉ざす。そんなことはない筈だと言いたいのだけれど、男なりに思い当たる節があるようで、ノーチェから目線を逸らして口をへの字に曲げる。何でもない、そう言って誤魔化すために話を逸らし始めた。

「……そう言えばノーチェ」
「…………何」

 あからさまに話を逸らしたと気が付きながらも、彼はその話に乗り始める。

「何か欲しいもの、考えておいてくれないか」

 ――両手に携えた花火を振り回し疲れたリーリエは、消えたそれを持ちながら終焉とノーチェを見やる。隅に隠れるように二人してしゃがみ込む様子に「元気ないわね」なんて呟きを洩らしたが――ふと気が付いてしまったそれに、思わず目を見開いた。
 丁度その頃、線香のように小さく弾けていた火が音もなく、虚しく地面に落ちるのだった。