「――…………」
――そう思えば不思議と悔しく、胸の奥に厚いものが込み上げてくる。熱を出してしまったことによる情緒の不安定さが影響しているのか、彼は撫でられながら再び涙を流すと、男は困ったように微笑む。
「……参ったな。俺は主以外の宥め方を知らない」
犬が泣くことはない。その点を考えると、やはり男は彼をしっかりと人間として見ている。
「別に、気にしなくていい」堪らず彼がそう呟くと、男は首を横に振った。看病すると言った手前、離れる気はないのだろう。しきりに彼の頭を撫で、懸命に宥める姿は物珍しい。何事もそつなくこなす男が苦戦しているのを見かねて、彼は何気なく、この人も人なのだと思えた。
「そうだ、何か欲しいものはあるか? 取ってきてやる」
ふと気を逸らすように話をするものだから、彼は理解ができず、瞬きをひとつ。そうして離れていく手に寂しさを覚え、彼はそれを目で追っていた。冷えていた手のひらが頬を離れ、宙を漂う――それがあまりにも寂しく、気が付けば彼の手は男の手を掴む。
眠気と熱と、知らない間に溜まっていた疲労により、彼の手のひらは酷く熱かった。
「――……どうした?」
彼が男の手を掴んで数秒。なぜ引き留めたのかも分からない男は、小さく首を傾げながら彼に問い掛ける。何かしらの理由があって留めたのだろうが、彼は特に唇を開くことはなかった。ただぼうっと男の顔を見つめるものだから、男は小さく唸る。
――初めて見るような光景に彼はほんの少しだけ優越感を抱いた。自分以外は知り得ないであろう男の顔は、下手に人間を装う人外よりも遥かに人間らしかった。この人も自分と同じなのだという嬉しさが半分、彼の胸に募る。
――そうして遂に、夢だか、現実だか区別がつかなくなった。
男にしては小綺麗な顔立ちに長い睫毛、絹のように滑らかな黒い髪、日に焼けていない白い肌。女が憧れていそうな容姿を持つ男に彼は目を奪われる。透き通るような金の瞳も、まるで酸化したような暗く赤い瞳も、彼は知っているはずだった。
知っているはずなのに、どういうわけか違和感が残る。まるで長い間その顔を見ていなかったときのような懐かしさに、彼の胸に募るのは悔しさばかりだった。
「…………いらない……」
「…………ん」
ぽつりと絞り出した言葉に男は聞き返すよう、首を傾げる。相変わらずボスらしくないような優しい顔をするものだから、彼の情緒が更に不安定になるような気がした。
「いらない、から……アンタはどこにも、行かないでくれよ」
理由もなく溢れ落ちた妙な懇願に、男は再び困ったように微笑むのだった。