――不意に無機質な機械音が鳴り響いた。洗濯機が回り終わったのだ。
終焉は足早に部屋へ向かい、洗濯機から洗い立ての洗濯物をカゴに詰めていく。機械というものはやけに便利で、小さなポケットに柔軟剤を入れておくと、必要な時間になった頃に柔軟剤を混ぜてくれるのだ。取り出した洗濯物からは確かに柔軟剤の香りが漂って、「悪くない」と一言洩らす。
洗濯物を携えた終焉が向かうのはエントランスの向こう、然り気無く置かれた物干し竿にハンガーなどを使って洗濯物を丁寧に干していく。タオルの類いはノーチェの肌を傷めないように何度も振るって、繊維を立たせてやってから物干し竿に掛けた。
雲の隙間から覗く太陽はしっかりと洗濯物を照らしていて、運が良ければその日のうちに乾くのではないかと思わせてくるほど。――しかし今は湿気の多い時季だ。乾くのには時間がかかってしまうことも視野に入れておかなければならない。
それでも苦ではないと思ってしまうのは、やはりノーチェという存在があるからだろうか――。
あまりにも単純な思考を持つ自分自身に終焉は苦笑を洩らし、屋敷の中へと戻る。カゴを元の位置へ置き、十時をとうに過ぎている時計を見上げて頭を悩ませる。
やることがなくなってしまったのだ。普段なら何食わぬ顔で街の中を目的もなく歩き回るものの、今となっては匿う存在がいるからこそ表立って街を徘徊するわけにはいかない。過去とは状況が異なるのだ。
今まで避けていた筈の〝教会〟との接触――それが一番厄介だろう。その上外から来た〝商人〟は奴隷として捕らえていたノーチェを取り返すために街に潜んでいる。以前出会した〝商人〟の男と〝教会〟のヴェルダリアが何やら事情を知っているような素振りを見せたことも厄介だ。
奇しくも彼らの目的はひとつに集まっている。〝教会〟は終焉を、〝商人〟はノーチェを狙っているのだ。終焉が思うに彼らは一時的に手を組んでいるに違いない。〝教会〟が終焉を捕らえている間に〝商人〟がノーチェを奪い返し、そのまま街を出る考えでも練っていることだろう。
終焉としてもそれだけは避けたかった。
自分は何をされたとしても動じないとは思うが、ノーチェは無力化されていると言っても過言ではない。ただでルフランを出られるとは思っていないのだが――手離してしまえば終焉はいつノーチェと出会えるかも分からなくなってしまうのだ。
何としてもそれだけは避けていたかった。理由は簡単――終焉はあくまでノーチェの手で殺されたがっているからだ。
ノーチェ自身は無理だと言って何度も首を横に振るが、彼は一度も「そうしてやろう」という気持ちを持ったことがない。ただ言われるがままに奴隷としてこなしてきた彼にとって、人を殺めるということにただならぬ抵抗があるのだろう。
そうでなければ彼が――ノーチェが奴隷などというものに縛り付けられるなど、有り得ない話なのだ。
「――私がこうしているのも、彼が奴隷であるのも……彼が、人を殺せないのも、私の所為なんだろうな……」
ほう、と愁いを帯びた溜め息を吐き、終焉は部屋に戻る。立て掛けていたコートに袖を通し、逆十字の留め具を付けて部屋を出る。
――ふと見上げた階段の上は朝と変わることもなく、いくつかの扉が並んでいるだけ。ノーチェが部屋から出てくるような兆しは見られず、未だ眠っているのだろう。
人間である以上夜が不安なときもある。
終焉は軽く目を落とし、街へ買い物に行こうと扉に手をかける。
ノーチェ一人を置いて外に出るのは何度かあったが、どれも不安で仕方がなかった。心身共に弱っている彼の元へ誰かが――それこそヴェルダリアのような挑発的で心を抉ってくるような男が――来ないとも言い切れない。その事態に直面したとき、彼がどうなってしまうのか、表情にこそ出さないが恐ろしくて堪らなかった。
その上昨夜の出来事が気掛かりだ。なるべく傍に居てやるのがいいのだろう――。
そうと決まれば寄り道もせず、必要なものを必要なだけ買って帰ってくる計画を立てた。屋敷を留守にする時間は数十分程度。その数十分の間にノーチェに何かが起こるのではないかと気が気でないが――いつまでも留まってしまっていてはいけないだろう。
ノーチェの健康に気を遣うのも終焉の仕事だ。