弱る体に治療薬を

「薬を作るから一度帰るわね」

 妙に真剣な眼差しを向けるリーリエに、終焉は瞬きで答える。付き合いの長い友人のような言動に、話を折るものはない。赤いヒールを履き慣れた足で階段を下りて、女は黒いドレスのまま玄関口へと歩いた。
 そのあとを終焉が追いかける形で階段を下りる。極力彼の眠りを妨げることがないように音は控えめに。身支度をするリーリエに、「朝食は」と終焉が問い掛ければ、「後ででいいわ」と女は言った。「処分はしないでね」と取って付けたような言葉を洩らし、玄関口に置いてあるヒールに足を滑らせる。

 その様子を終焉は黙って見つめていた。すらりと伸びた足や、女独特な仕草に特別情を抱くことはなく、至極興味がなさげな瞳を向けたまま、リーリエを見守っている。その瞳の奥にどこか焦燥感をちらつかせながら、「分かった」と生返事をする。
 ――すると、唐突にリーリエが終焉に振り返り、真剣な眼差しを向けた。
 真紅の瞳が酷くまっすぐに終焉を見つめる。
 そうしてすぐに悲しそうな顔をして、「あまり言いたくないんだけれど」と言った。

「あの子、酷く弱っているわ。体にガタが来てるの」
「…………はっきり言ってくれ」

 口振りとは裏腹に何かを躊躇っているような表情を浮かべるリーリエを見て、終焉は呆れがちに唇を動かした。それは、リーリエが何を言おうとしているのかが分かっているような言葉だった。無表情の中にほんの少し寂しそうな色を湛える男に、女が口ごもる。
 そして、ゆっくりと唇を開いたかと思えば、右腕を擦りながら悲しげに言った。

「今のあの子はあんたに耐えられない。以前のあの子は受け入れられても、今のあの子はあんたを受け入れられない」

 他人の命を蝕む特性が一心にノーチェに降り注がれている。だからこそ、彼が急速に体を悪くしたのも、全ては終焉による影響が強い所為だった。

 万物に忌み嫌われる〝終焉の者〟――辺り一帯にある命あるものを無差別に、無意識に死に追いやる特性を持つ。たとえ男が好いたとしても、基本的に例外が現れることはない。知らず知らずのうちに不幸を呼び、周りを追い詰めてしまう。

 ――だからこそ男は万物に嫌われるのだ。どれだけ好いていようが、信頼していようが、終焉は裏切りという形で好意を弾かれる。自分では到底気が付けないような潜在的な本能で男を拒み、離れていく。
 それが男にとって常だった。
 同じ轍は踏みたくはない。そういった心構えから、男は一定の距離を保つように努めた。リーリエのように妙な親愛を向けてくる人間に淡白に接して、誰もが近寄りがたい雰囲気を出す。助けを拒み、自分の力だけで生きていくのが最善だと思った結果が、今の暮らしに繋がった。

 ――その最中でノーチェを見付けてしまったのだ。

 最愛が故に信念を曲げて傍に置いてしまった。敵意のない相手なら特別刃を向けられることはないと踏んでいたが、また別の方向でノーチェを苦しめることになってしまった。

 ――結局自分は誰かを救うことすら叶わないというのだ。

「……エンディア?」
「……………………ああ」

 考え事に没頭していた終焉は、リーリエに呼ばれて漸く事態を把握する。
 小さく俯いて額に手を当てて、悩むように唇をきゅっと結び始める。彼のためにやっていることが、彼にとって仇となっているという事実が酷く気に食わないのだろう。普段よりも顔に出てきている悔しさが、リーリエからも見て取れた。
 微かな溜め息が終焉の唇から洩れた。それが落胆から来るものであると、女はよく知っている。信念を曲げてまで彼を好いてしまっているのだと、リーリエは重々承知していた。
 ――だからこそリーリエはひとつ提案をする。

「……あんたの血って、一応魔力が流れてるわよね」

 落ち込んだ様子の終焉の顔を覗き込み、リーリエは問い掛ける。それに男は首を縦に振って、大抵体内に流れているものに準ずると告げた。

「これは憶測なのだけれど、あんたの魔力って他の人より全く違うものじゃない?」
「…………そうだな」
「それが影響を及ぼしているとしたら……少しくらい耐性をつけたら和らぐんじゃないかしら」

 神妙な面持ちで、真面目そうな声色をするものだから、終焉ですらもほんのり驚きを露わにする。

 男が周りを巻き込んでしまう特性は、単純に自分が忌み嫌われた〝終焉の者〟であるからこそのものだと思っていた。誰に止められるものでなければ、自分の意志で食い止められるものではない。成す術もなく、ただ流れに身を任せて行く末を見守るしかないのだと。
 しかし、リーリエは終焉の体内に流れる魔力が主な原因なのではないかと思っているようだ。

「耐性、か」

 玄関口で終焉は口許に手を当てて、考え始める。一分一秒が惜しいと思っている筈なのに、ほんの少しでも可能性があるのならばと思わず頭を悩ませてしまう。ある一定の距離を保っているリーリエには現状作用していないようではあるが、屋敷にいるノーチェともなれば話は変わってしまうのだ。

 だが、本当にそんなことが可能なのだろうか――。

「単なる憶測でしかないけれど……それでも何もしないよりはきっとマシになるわ。もちろんちゃんと風邪に効く薬も作ってくるから安心して」

 悶々と悩む終焉を後押しするようにリーリエは男を説得し続けた。当然、副作用だの、拒否反応も現れてしまうかもしれない。しかし、それを中和して「薬」を作るのがリーリエの役目だった。

 魔女には魔女なりのやり方がある。そのやり方に終焉の口出しは許されない。薬のついでに可能性があるものを生み出してやるのが、リーリエなりの終焉の慰め方だった。

 女の懸命な説得により、悩み続けていた終焉は躊躇いながらも首を縦に振って了承を示す。少しくらい他人の力に縋るのも悪くない筈だと言って、自分は何をすべきかリーリエに問い掛けた。
 何も小難しいことではない。リーリエは懐から十センチ程度の小瓶を取り出すと、蓋を開けて「ここに数滴、あんたの血を頂戴」と口を差し出した。透明なガラス瓶の向こうには、リーリエの手が透けて見える。

「数滴でいいのか?」

 そう疑問を口にしながら終焉は袖口を捲り上げ、手首を露わにした。衣服に隠れていた白い肌が顔を覗かせる。「数滴で済ませてみせるわ」と告げる女に対して、「そうか」と生返事をしながら手首を自分の口許に寄せると――、男はゆっくりと口を開ける。
 人間よりも鋭く鋭利な八重歯が男の手首を捉えた。そしてそのまま、惜しみ無く強く手首を噛み締める。それを端から見つめるリーリエは、「普通に切るだけでいいのに」なんて呟いて小瓶を傾けた。

 皮膚を歯が貫き、傷口から黒い血が溢れ出る。その傷口を小瓶の入り口に傾けると――、バタバタと溢れ出た血液が小瓶の中へと落ちる。その量は数滴を遥かに超えていて、小瓶の半分ほどが黒い液体で満たされた。

「…………多いわね」
「……問題はないだろう」
「ないけれども」

 半分ほどがどす黒い液体で染まったのを見計らって、終焉は手首をそうっと自分の元へと引き避ける。未だに溢れてくるそれに片手を押し付けて、止めるようにぐっと押さえれば、みるみるうちに傷口が塞がった。

 終焉が行うそれは、傷口に魔力を集めて自己治癒能力を大幅に上げたものらしい。以前リーリエが気になって問い掛けた際に、終焉は軽い口調でそう告げた。実際にやろうものなら魔力を集めることはできるものの、それを治癒に回すことは難しい。
 ――特に戦闘に身を投じることが多い人間であるほど、治癒に回す能力が欠けている傾向がある。
 リーリエは補助に回ることが多い分、感覚を掴めるには至ったが、多用しようとは思えなかった。普段とは異なる力の使い方は、どうにも精神が疲れてしまうからだ。

 ――そんな光景を目の当たりにして、「相変わらず便利ね」と告げてリーリエは小瓶の蓋を閉める。血生臭い香りに蓋をして、再び懐にしまってからエントランスの扉に向き直り、「頑張ろうかしらね」と意気込んだ。

「あんたが体調を崩したときには確かに悩んだけど、今回の相手はただの人間。薬は御茶の子さいさいだけど、あんたの血液――もとい、魔力をどう中和して特効薬にするかが鍵ね」

 薬以上に時間が掛かっちゃうかも。
 そう言ってリーリエは扉の取っ手に手を掛け、振り向きながら終焉に力強く笑う。

「でも安心しなさい! なるべく早く作ってきてあげるわ!」

 何て言ったって魔女様だからね――そう言って強く足を踏み出した女に、終焉は小さく笑った。

「外は寒いぞ」

 ぽつりと呟かれた言葉。扉の向こうから見える一面の銀世界に、意気込んでいたリーリエの足が止まる。赤く輝くヒールを一際目立たせる如く、地面に敷き詰められた真っ白な雪化粧に、女の苦笑いが洩れた。
 赤い紅を引いた唇から白い吐息が洩れる。あはは、と力なく溢れるそれに、リーリエは意を決した。

「やってやるわよちくしょー! 私を嘗めるんじゃないわよ! 雪ごときで折れる柔な神経なんてしてないわ!!」

 己を奮い起たせ、女は外へと身を投じた。扉を閉める直前に「温かいスープを用意してね!」と捨て台詞のように吐かれた言葉を、終焉は聞き逃すことはない。扉が閉まり、遠くから聞こえてくる喚き声を聞き入れながら、終焉は一息吐く。

 やることは多い。早く済ませて彼の元へと急がなければ。

 リーリエばかりに全てを任せるわけにもいかない。ノーチェの体が終焉を拒む以上、あまり近くには居たくはないのだが、彼の望みを叶えないわけにもいかないのだ。
 洗濯と、掃除と――ノーチェが少しでも何かを口にできるよう、軽い食べ物を用意しなければ。

「――でも、可笑しいわね……あれだけ一緒にいるんだから、もっと悪化していても可笑しくないのに――ああ! 寒い寒い!」

 雪の中を突き進むリーリエの為にもひとつ、終焉は力を貸してやろうと、袖を捲り上げていた。