広い聖堂の中。妙な音色を奏でるのはパイプオルガンの音。色鮮やかなステンドグラスから溢れる光を胸に、〝教会〟の人間がマリア像に祈りを捧げる。神と同一視されているマリア像はステンドグラスから溢れる光を背に受け、煌々と輝いていた。
――やがて音色が止まると、彼らはゆっくりと顔を上げて立ち上がる。白い修道服を着こなし、胸に十字架を抱える。その視線の向こう――マリア像の傍らに悠然と立つモーゼが「やあ」と微笑む。
「さて……皆分かると思うけど、夏や秋には残念なことに犯罪率が上がってしまう。それは恐らく、今回も免れないだろう」
モーゼが胸に手を当てて、ゆっくりと彼らに語りかける。夏や秋にはイベントが多く、犯罪率が上がってしまうことは〝教会〟達もやはり問題視しているようだ。規模が大きければ大きいほど彼らの目の届く場所は限られてきてしまう。――それにいくつかの手を打とうと試みたが、どれもこれも失敗ばかりだった。
モーゼは言う。「マリアは悲しんでおられる」と。より良い街にするべく創設された〝教会〟が、なす術もなく犯罪を許し、被害に遭う人間がいることを。
誘拐、暴力、窃盗、強盗――そして性的暴行。数知れない犯罪が〝教会〟の目を掻い潜り、起こっているのだ。勿論彼らは規律を守ることも重視しているため、許せないと言わんばかりに怒りを胸に募らせる。それは、聖堂内の空気さえも揺るがすようだった。
他人事ではないのだ。彼らにも知人や恋人、家族が勿論いる。そんな彼らの大切なものに犯罪の手が伸びないなどと、確約することができないからだ。元より彼らの多くは〝教会〟のやり方を推奨している人間達ばかりで、犯罪を減らしたいという願いを抱えている者ばかり。
その多くの矛先が〝終焉の者〟に向かっていただけであり、街に目を向けていないということではないのだ。
彼らの怒りはモーゼの肌を針のようにチクチクと刺し続け、男は思わず「痛いよ」と小さく笑う。肩を竦めて彼らを宥めるが、一向に止む気配がない。恐らく己の不甲斐なさを痛感しているのだろう――モーゼはふう、と溜め息を吐くと、「気を張り詰めないで」と笑う。
「お前達が怒るのも無理はないね。本来なら奴隷商人すら受け入れたくない筈なのに、悠々とそれを逃してしまっているのだから」
だからと言って自分を追い詰めることはやめてほしい。男は全ての罪を赦すような微笑みで諭すように呟く。
本来なら受け入れない筈の奴隷商人を受け入れる理由はただひとつ。外の街との交流を避け続けるルフランにとって、唯一の情報網だからだ。
ルフランの周りは広大な森に覆われている。そこは昼でも夕暮れ時のように薄暗く、夜は光さえも呑み込むほどの暗い闇に覆われてしまう。獣の犇めく声は森中に反復し、梟は静かに鳴いて人々を迷いに誘う。一度道を外れれば街に戻ることは叶わず、仮に道を辿っていたとしても、不可思議な現象によりルフランに戻されてしまうのだ。
街に訪れてくる外の人間は大体が奴隷商人である理由は、人の目を避け続けるからによるもの。多少の危険があろうとも、一級品を持ち歩いていれば誰もが盗られないよう独占したがるだろう。希少価値が高ければ高いほど、彼らはそれを金品そのもののように扱うのが殆どだ。
――ただし頑丈な人間は別だが。
――そんな人間達が生まれ育った故郷を荒らすなど、彼らは許さなかった。〝終焉の者〟の存在を異様に敵視しているのも彼らが街を、家族を好いているからだ。自分達人間が無事に人生を全うできるのなら多少の犠牲も付き物だという認識をしている。
全ては街を――家族を守りたいという思いが彼らを突き動かしているのだ。
「――というわけでね」
パン、とモーゼが自分の手のひらを合わせ、心地のいい音を胸元で鳴らす。あくまで沈んだ気持ちを押し上げるよう、モーゼの声色はどこか明るく、彼らもモーゼが雰囲気を変えようとしていることを察して瞬きをする。
男はあくまで薄っぺらい笑みを浮かべたまま彼らを見つめていたが、やがて唇を開くと、彼らは目を丸くした。
「私もお前達と同じように見回ってあげるよ」
茫然とした間抜けな顔がひとつ、ふたつと増える。その理由は簡単――モーゼは〝教会〟の責任者であるというのに殆ど顔を出さないからだ。それを知る男達は一度言葉を噛み締めるように瞬きを数回繰り返すと、「よろしいのですか」と徐に言葉を紡ぐ。
よろしいのですか――その言葉にモーゼは小さく頷くと、「この本も希望の内容が書かれていなかったからね」と懐から一冊の黒い本を取り出す。それには題名は勿論、著者などの名前が記されていない他、目を引く表紙のイラストなども一切見当たらない本だ。
墨を溶かして滲ませたかのように不気味なほど黒一色で塗り潰された本――それを再び懐へとしまうと、「また探さないとね」と小さく笑う。
それに彼らは目を伏せて、「本当にあるんですか」と男に問い掛けた。
「〝永遠の命〟を他者に移す方法なんて、本当にあるんですか……」
その問いかけにモーゼは答えを返すわけでもなく、ただ柔らかく微笑んだまま、否定も肯定もしなかった――。