「あまり口にしたくはないと思うが、比較的食べやすいよう、サンドイッチにしてみた。私は一足先に朝食を済ませたので後は貴方だけだ」
リビングに連れ出され椅子に座った後にノーチェの目の前に用意されたのは、色味が鮮やかで新鮮な野菜とハムやタマゴを使ったいやに美味しそうなサンドイッチだ。朝食として食べやすいように耳が切られていて、その隣にはしっかりと飲み物まで用意されている。
まるで客人のような扱いに理解が追い付かないノーチェは茫然とそれを見つめていたが、芳ばしい香りが鼻を擽るのに気が付いてふと俯かせていた顔を上げる。
リビングには扉があって、恐らくその向こうがキッチンなのだろう。――その向こうからパチパチと焼ける音と、仄かに甘い香りが漂ってくるのだ。
「少し席を外すから先に食べていてくれ」そう言って終焉は扉の向こうへ消えてしまって、残されたノーチェは目の前に用意された朝食はまじまじと見つめることしかできない。
やけに形の整った綺麗なサンドイッチだった。市販で売られているような見た目をしていながら、一切の型崩れを起こしていないのだ。テレビやゲームで見掛ける代物と思えば納得してしまうし、実は食べられるものではないと言われてしまえば、それはそれで納得できそうな気がしてしまうほど。
先日にも実感したが、これはどう見ても男が作ったようには到底思えない。丁寧な作りも細部に至る拘りも、無表情の男が作るようには思えないのだ。やはり作るときも無表情なのだろうか。
――いや、案外考え事をしながら丁寧に作るのかもしれない。
そう思うのだが、男の笑う表情など少しも想像できなかった。
「…………む」
ふと気が付けば何かが焼ける音が消え、終焉が何かを片手に扉を開けてノーチェを見やる。
彼は相変わらず茫然としながら朝食を見つめていて、自分から口にするということは一切しないように見えた。拒絶か、馴染みがないのか――終焉はパンの耳を使った自作のシュガーラスクを携えながら、ほんの少し小さめに眉を顰めつつ「嫌いか」と問う。
芳ばしい香りと共にやって来てノーチェの向かいに座る終焉の顔色は無表情でありながらどこか不満げで、嫌いなのかと問われたノーチェは確信もなく「……いや」と男の問いを否定する。
やはり何か枷があしらわれたように、自分から食べようとする意志が見られないのだ。欲がなければ付き従うことしか考えられない。選択肢をいくら与えられようと、与えられた選択の中からひとつを選ぶことはとても困難なように思えてしまう。
与えられた仕事を淡々とこなすだけの人形だと言われれば、納得がいくような気がするのだ。
終焉はそんな彼を鋭い目で見つめてから「そうか」と呟くと、徐に携えていた皿を置き、ノーチェの目の前に置かれた皿に手を伸ばす。
――一瞬でも男が代わりに食すのかと思う自分自身が居る、という錯覚を覚えたノーチェは、無駄な威圧感を与えられなくて済むと安堵の息を洩らす。
ほぅ、と溜め息にも似た吐息だ。肩の力を抜くように、緊張を解すように安堵したのだが、――やはり、男はこの程度で引き下がるような人物ではないようだった。
「仕方ない。私が食べさせてやろう」
「……………………えっ」
サンドイッチを片手に堂々とした態度で終焉は当然のように言った。当然、ノーチェは拍子抜けしたように口を洩らして別の意味合いでの緊張を体に抱く。
屋敷に来てから「いい歳した大人が」と言われるような出来事ばかりしか起こっていないのだ。風呂に入れられるのは良かったが、世話をされるとは思わず、況してや澄まし顔の男は無気力な彼にものを食べさせてやると言うのだ。
赤子の世話か、老人の介護か。似たような言葉をいくつも並べたが、相変わらずの無気力は拭えそうにない。恐らく、ノーチェの首に施されている首輪が何かしらの影響を与えているのだろう。
――思えば終焉は彼の首輪に手を伸ばしたとき、腕を飛ばされるかのように弾かれていた。あれもまた、何かの影響なのだろうか。
――とは言えそれが世話を焼かれる原因にはならないだろう。向かい側では食事を与えるに十分な距離ではないと思ったのだろうか。終焉は徐に席を立つと慣れた足取りで迂回してノーチェの元へと近寄る。
――男は本気だ。本気で成人男性を相手に世話を焼く気なのだ。
「や……別に食べなくても、問題ない……」
咄嗟に口を突いて出た言葉がこれだった。どんな面持ちで終焉がそれを用意したかなどこの際どうでもいいのだ。
咄嗟に両の手を翳して終焉に制止を促す。こんなこと、好き好んでやりたいわけではないだろう、と言いたげに。渋々ならやらなくても良い、置いておけばいずれ口にするかもしれないから。そう言おうとして、――不思議と終焉の手に収まった朝食がいやに美味しそうに見えてしまっていることに疑問を覚えた。
思えば昨夜もそうだった。テーブルの上に置かれた料理は確かに美味しそうであったが、口にするという行動にまでは移れなかった。しかし、いざ差し出されると不思議とそれが美味しそうに見え、食欲がそそられる。
例えるならば、雛鳥が親鳥に餌を与えられるときの感覚だろうか。口移しというわけではないが、どうにも彼は終焉が携え差し出すものは何故か安全だと思えてしまって、食欲が目を覚ます。地を這う蛇のようにしっとりと、沸き上がる泉の水のようにふつふつと、喉から手が出るほど欲しいと言わんばかりに唇がゆっくりと開いていって――。
「…………ふむ、どうだ?」
「………………美味しい……です…………」
小さいながらもたった一口含んでしまう。
柔らかな生地と新鮮味溢れる食材が仄かに香る。咀嚼を繰り返す度に甘みが溢れているような気がして、久し振りのまともな食事にありつけてしまったノーチェの喉は、半ば無理矢理押し流すようにそれをぐっと飲み込む。ほんの少し喉が渇いて用意されていたスムージーを飲めば、ひやりと体が冷えたような気がした。
きっと満足している筈だろう。そう思ってノーチェは自分を見下ろしているであろう終焉を上目で見上げると、変わることを知らない無表情を保っていたが、何故だか不機嫌そうに見えた。恐らく何か不具合をやらかしてしまったのだ。
ノーチェは習慣のように根付いた謝罪の言葉を口にしようと、咄嗟に口を開くと、再び食べかけのそれを口へと差し出される。ノーチェは反射的にそれを食べては飲み込んで、また食べては飲み込んでを繰り返していて、休憩を知らない食事に思わず「あの」と呟いた。
「ちょっ……と……休みたい」
「ああ……悪いな」
ハッとした様子で終焉はノーチェの呼び掛けに応えると、一度動きを止めると彼を見つめ、瞬きを数回繰り返す。ノーチェは若干溜め込んだものをひたすら飲み込んでいて、少しやり過ぎたかと身を案ずる終焉の気持ちなどこれっぽっちも気付いていないだろう。
スムージーを飲んで喉を潤すと、終焉がやめる気がないのに気が付いたのか、彼は男の手にある食べかけのサンドイッチに齧りついて確かに食べ進めている。
――まるで小動物の餌やりに見えたのは、言うまでもないだろう。こうでもしないと食事を摂ろうとしないのは、まともな食生活を送ってこなかったか、――食料に何か細工を施されていたか。
「…………美味いか」
何気なく終焉がそう問い掛ければ、ノーチェは首を縦に小刻みに振って、肯定の意を表していた。