洗濯と看病と甘い洋菓子

 眩しい外へ、日焼け止めも塗らずに出て行ったノーチェを強制的に見送ってしまったリーリエは、頭を掻いた。勿論、あの色白の肌が焼けるのが気に食わないこともあるが――、何よりノーチェが一人で屋敷を出て行ってしまったことが気にかかるのだ。
 幸い、女の赤い瞳には、彼が痛い目に遭うことは見えなかった。――しかし、この先もそうであるとは限らないのだ。
 ノーチェの話は事前に終焉から聞いている。彼が奴隷であること、そして、何ひとつ覚えていないこと。
 話を聞いた女は、存在自体が同じであるだけで、自分達の知る彼はいないのではないかと終焉に告げた。――だが、終焉自身が間違える筈もないと、思っていたのもまた事実だ。
 それを裏付けるように、目の前にいた黒い男は、自分の素性をよく知っていたのだ。

〝――私は、自分の存在を知っている〟

 ――そう告げた終焉の不思議な言葉を思い出して、リーリエは顔を歪める。
 非現実的な話だが、男はどこかにいる「自分」の存在に気が付いているのだ。黒く長い髪に、愛用のコートを着て、息を繰り返していると言うのだ。
 そして、今まで記憶がなかったとは思えないほど、自分が覚えている限りのことを話し始めた。自分がどういう存在であったのか、何をして生きていたのか。――体についている傷痕を撫でながら、「可笑しな化け物だな、私は」と言ったあの顔を、リーリエは忘れることができずにいる。
 終焉が「彼はそうである」と告げているが、何故彼に記憶がないのか、女は頭を悩ませた。大方、〝女王〟が関係しているのは確かなのだが、一体何をしたのか、皆目見当も付かない。〝女王〟は彼が嫌いなのだ。余程酷い目に遭うよう仕向けているかもしれない――。

「……っはあ。馬鹿ねぇ、アンタも、あの子もみんな」

 あれに酷い顔をしてほしくないのは皆一緒なのに。
 そう呟いて、リーリエは額に手を添える。一本の糸がぐしゃぐしゃに絡まって、頭が痛むような感覚を覚えたのだ。ふう、と溜め息を吐いて「手が掛かる」という呟きは、母親の言動と酷似している。呆れて、ものも言えないような苦笑を浮かべた。

「無事に帰ってこないと、私が怒られんのよ」

 ――そう呟かれた言葉を、誰も聞くことはなかった。