猫と魔女と団らんと

 取って付けたような台座を動かして、暖炉からそれを引き離し、大きな衝撃を与えないようにそうっと台の上へ置く。
 広い屋敷、ということもあってか、そのテレビは随分と画面が大きく、一人で画を見るには余計なほどだ。比較的新しいのか、薄型のそれは些細な衝撃を与えただけでも割れそうで、思わずノーチェも慎重になってしまった。

 台は一人でも運べる大きさだったから、というだけで率先した彼とて、電子機器を運ぶのは終焉と行った。両手いっぱい広げた程度の画面を両端から持ち上げ、下ろすときも息を合わせる。数十センチの身長差が男に負担を与えていないか気にしながらも、解放された途端に肩の力が抜けた気がした。
 ほう、と思わず息を吐くと、終焉が慣れた手付きでノーチェの頭に手を置く。
 そうして長く伸びてしまった髪を見ながら撫でるのだ。

「無事か?」
「……そんなに柔に見える……?」

 ここまで来るともう頭を撫でられるのを避ける理由がなくなる。
 ――そう言わんばかりに終焉の手を堪能すると、男はゆっくりと手を離したあと、「そう見えてしまうものだ」と呟いた。まるで独り言の――自分に言い聞かせるような言葉に、終焉の中にある寂しさを感じてしまう。

 この人が見ているのは俺ではない――それに何度虚しさを覚えたことだろうか。

 踵を返し、終焉の黒い髪が揺れる。言葉の端に感情が見え隠れしている筈なのに、表情や行動には一切現れない男が不思議で仕方がなかった。

 いくら感情が表に出せない状況下にあるといっても、生きている以上喜怒哀楽は隠しきれない筈だ。目元が緩むだとか、眉が顰められるだとか、そういった変化が見えて初めて感情が窺えるのだ。
 しかし、対する終焉はほんの少しの変化が現れたような「気がする」程度のものだ。五秒だとか、十秒だとか、そんな時間が掛けられた変化ではなく、ほんの一瞬だけ。見間違いかと思い、瞬きをする頃にはすっかり元の無表情へと戻ってしまっていて、感情の見る影もない。

 恐らくそれが終焉なりの「死なない対処」なのだろう。
 一見便利に思える男の〝永遠の命〟は、蘇生に体力を消耗することが分かっている。傷の深さが深ければ深いほど蘇生には時間と体力が必要となる。起き上がったあとの終焉は酷く疲れ切ったような――とはいえ、ただ無表情で顔色が一層青く見えるだけだが――顔をするのだ。
 動きは鈍く、声を掛けても反応が全くないか、一点を見つめるだけでノーチェの存在にすら気が付かないかのどちらかで、日常生活に支障が出るほど。
 
 それらの不具合を避けたいがために、男はすっかり表情を出さなくなったのだ。
 
 ノーチェも自分自身の表情がろくに出なくなった自覚はしているが、終焉ほど「押し殺している」人間を見たことはない。笑いたくとも笑えない、幸せだと思いたくても思えない――そんな印象を強く受けるようになった。
 以前終焉の〝命〟について教えてもらった所為だろうか――ノーチェと顔を合わせる度に時折強張るような表情が、彼の瞳に映り込む。僅かに動いた兆しのある口許が手の下に隠されると、我慢しているのだと思わざるを得ないものだ。

 ――とはいえ、以前リーリエの家へ泊まりに行って以来、より一層無表情に磨きが掛かったようで、我慢するような兆しは全く見受けられなかった。
 何かあったのだろうかと彼の口許が小さく歪む。揺れる黒髪は相変わらず小綺麗で、交じる赤のメッシュが勿体ないと思える。白いシャツにシワがなければ、黒地に白のラインが施されたベストは汚れひとつも残されていない。一日の言動――主にノーチェに対するもの――は少しの変化もないのだが、男本人に何らかの変化が起こってしまったようで、少しの表情も読めなくなってしまった。
 
 過ごしてきた数ヶ月、観察して漸く読めてきた終焉の表情が全く読めないことが、彼にとって少し不服だった。
 
 むぅ、と小さく唇を尖らせるノーチェを他所に、終焉は屋敷の暖炉に手を掛けて不備がないかの確認をする。少し埃がかぶっているだとか、柵の取り付けが悪いだとか、独り言を洩らしていて彼の顔など見る余裕もなさげだ。
 そもそも終焉に暖炉のつけ方が分かるのかどうかが疑問に残る点ではあるが――今の男にはそれすらも眼中にないようだ。

 終焉にとってはノーチェの体が一番大切で、寒さから身を守るために暖炉と悪戦苦闘するのは当然のこと。それらに関する知識は本を中心に掻き集め、それでも足りなければ他人――と言っても終焉と関わっている人間など限られている――に知恵を貸してもらう。それが、男のあり方なのだ。

 暖炉の状態と、不備の確認ですっかり汚れてしまった終焉の服の袖口は、ほんのりと煤のようなものがこびりついていた。思わず彼が「あっ」と声を洩らすと、男はそれに気が付いてノーチェに目を向ける。どうした、と不安げな声色で訊ねてくるものだから、ノーチェは首を横に振って「大したことじゃ、」と呟いた。

「んと、袖……」
「……ああ」

 小さく人差し指を向けると、終焉は今気が付いたと言わんばかりの態度で袖口を摘まむ。白い生地に薄黒い汚れがついてしまっているが、終焉は興味なさげな表情のまま手先で払い、ふう、と息を吐く。その動作で汚れが取れるなど少しも思わないが、男もまたノーチェと同じように汚れが落ちないことを知っていたようだ。
 まあ、仕方ないと独りごちて、重い腰を上げるように立ち上がる終焉に、彼は「どうだったの」と小さく呟いた。
 状態は悪くはないらしい。いくらかの手入れを施し、綺麗に整えれば使えないこともないようだ。いくつかの問題点を並べるとするのなら、火を点すための道具と、薪の類いなのだが――終焉は心当たりがあるようで「仕方がないな」と溜め息を吐く。
 暖炉は終焉の専門外なのだろう。軽く頭を掻きながら悩むような仕草を取り、鬱陶しげな表情を表に出してくることから、男が何をしようとしているのかが分かった。

「……魔女でも呼ぶ?」

 ――何の気なしに口を開いてみれば、終焉は小さく頷いて答えるのだった。