「……その、淹れようか……?」ノーチェはそっと終焉に近付くと、ポットを指差して何気なく告げる。――しかし、終焉はふて腐れた表情のまま「……いい」と断るとすぐにリーリエの方を向いた。
明らかに拗ねているのは見て分かった。冷たかった筈の瞳は細められ、そっぽを向いているが、決して敵意の無い柔らかなものだ。彼は終焉の新しい顔を知ると、案外扱いやすい人なのかもしれないと瞬きをする。そして、「じゃあ何かある……」と訊くと、男は小さく呟いた。
「……戸棚に茶菓子があるから取ってきてくれるか」
――と、やはり命令口調でもない言葉遣いがノーチェに告げられる。
男はノーチェができる範囲のことを無理のない程度で手伝ってもらうつもりのようで、近頃はそれとなく彼に頼みごとをするようになった。子供でもできるようなことから、小さな力仕事まで、あくまでノーチェの現状に見合う程度の量だ。
時折ノーチェが物足りないと言わんばかりに力仕事を求めてみるが、顔を手のひらで押し返されてソファーへと座らされる日々がよく続く。その度に終焉は「ノーチェに押し付けるほど落ちぶれてはいない」とだけ呟いて、不服そうな顔をするのだ。
誰にでもできるようなことを男はやらせたがる。――ノーチェは肩で息を吐くと、「ん」とだけ言葉を残してキッチンへと向かって行った。客間では終焉とリーリエが何かを話し合っているようだったが、壁に阻まれてしまってろくに声も届かない。ただ、曲がる手前で見掛けた終焉の顔付きは酷く真剣なものだった。
ノーチェが奴隷であるように、二人にも色々な事情があるのだろう。リビングを抜けた先にある広いキッチンに入ったノーチェは、以前終焉が手を伸ばしていた戸棚へと目を向ける。高い位置にあるそれは、ノーチェにも届く範囲で「だろうな」と彼はぼうっと立ち尽くす。
危険なものは何一つ手をつけられない。恐らく終焉がそう仕向けているに違いないのだが、手を滑らせて最悪の事態が起こり得そうな状況にも持ち込めやしない。だからこそ、確信を持って言えるのだ。
――“終焉の者”は奴隷であるノーチェを痛め付ける気は一切ないのだ、と。
「…………」
彼は戸棚を見上げたまま一切動こうとはしなかった。――と言うよりは動けずにいた。何せ分からないのだ、開けるべきは右の戸棚か左の戸棚か。
確かに終焉はノーチェが立ち尽くしている場所で戸棚に手を伸ばし、小包を取り出していた。見つめる先に何かしらのものがあるには違いないのだが、手当たり次第に開けてしまってもいいのだろうか――。
「……なるようになれ……」
ノーチェは徐に右側の棚に手を伸ばす。取っ手を掴み、引き開けた戸の先には何の変哲もない、単なる物だけが陳列していることを想像して。本当ならば茶菓子の一つでも見つかれば上々のものだが――、彼はそんな偶然があるとは思わなかった。
どうせ一度では見付けられない。――そんなノーチェの眼前に広がったのは、予想もしないものばかりだった。
「うわっ……!」
咄嗟に出た声が無駄にキッチンで響いた気がした。その直後にノーチェの体に伝わるのは、軽く響く振動。彼は驚くと同時につい尻餅を着いてしまったようで、はあ、と大きな溜め息を吐く。見つめた先にあるものは大量の菓子類だった。
大きなものから小さなものまで、手作りのものから市販のものまで、それは幅広く取り揃えられたものだった。試しにひとつ指で摘まみあげたものは、丸い形が特徴的の可愛らしいキャンディだ。よく見れば大半を占めているのはキャンディの類いで、客人をもてなすために用意されたものだとは思えない。
これは一体何の意味があって存在しているのだろうか。――彼はそれをひとつひとつ丁寧に広い集めていると、不意に気配が近付いてきたような気がした。
「声が聞こえたんだが大丈夫か、ノーチェ。言い忘れていたことが――」
男がキッチンへ入っていくと同時に、吐き出されていた言葉が言い切られることもなくぷつりと途切れた。それは、ノーチェが大量の菓子類に囲まれて広い集めている光景を見ると同時だ。終焉は開いた唇を閉じることもなく、珍しく間抜けな顔をしている。
その後ろをリーリエが声をかけた。「ちょっとー、大丈夫ー?」と、女の声がよく耳に届く。それを無視して、ノーチェは「……これ」と呟いた。
「……開けたら落ちてきて…………沢山あるけど、誰かにあげんの……?」
終焉に見せるように手に取ったものは、ぐるりと渦を巻いたやけに可愛らしいキャンディだ。それを持つのは男ではなく、女がよく似合うだろう。それも飛びきり可愛らしい幼女に限るのだが――、生憎ノーチェは終焉はそんな相手がいるとは思えていない。
それでも目の前の男が口にするにはあまりに可愛らしすぎるだろう。――そう思った矢先、終焉はバツが悪そうにノーチェから顔を逸らし、何気なくこう呟いた。
「………………甘いものは好きか……?」
甘いものを口にするのは今に始まったことではない。だが、意図も読めない終焉の言葉にノーチェは小さく首を傾げると、リーリエが口許に手を当てて大きく笑う――。
「やぁだ、あんた! 自分がすっごい甘いもの好きだって言ってないのー!? そりゃこんな無表情で威圧的な奴が甘いものが大好きで、尚且つ常に食べるなんて誰も思わないわよねぇ! あっはっはっは!!」
それは、男にとってよくないものなのだろう。ぐっと悔しそうに眉間にシワを寄せる様はあまりにも貴重で、傍に居るリーリエは茶化すように人差し指で終焉の肩をつつく。長い爪であるにも拘わらず、女は楽しそうに笑っていた。
ふと手中に収まるそれを見て、ノーチェは「あまいもん……」と小さく呟く。――威圧的な男が可愛らしい食べ物を好くなんて、世の中可笑しなことばかりだな、とそれを眺めていた。