生地を切るように混ぜて、型に流し込んで、焼いて完成。
――その行程を目にすること数回。ノーチェは皿に盛られた焼き菓子を見つめて、「うわぁ」と小さく口を盛らす。
カボチャの色に染まったクッキーならまだ許せる範囲だが、紫色に染まったそれには流石に引け目を覚えた。着色料か何かを使っているのかは、生憎ノーチェには分からない。
ただ、普段のものを見ている分、紫色のそれを食べたいとは思えなかった。
本で嗜んだ程度の知識を得たノーチェは、「確か、『ハロウィン』って言うんだっけ」と言うと、同じようにクッキー達を見つめていた終焉が「そう」と答える。
「本来のものは儀式的な……こんな菓子を集り歩くようなものではなかったようだが」
私にはよく分からない。
そう言って紫のそれを手に取り、一口。祭りの雰囲気に乗るためか、珍しくカボチャやコウモリなどの形をしたクッキーを食べて、終焉は頷く。
味は悪くない。そう呟くが、どうにも次には手を伸ばそうとはしない。
「味は悪くないぞ」
「色味が悪いよ」
それとなくノーチェに勧めてきたが、食欲をそそる色ではないそれに、彼は言葉を返した。
終焉が次に手を伸ばすことがないのは、やはり色味が原因なのだろう。腕を組み、小さく唸ってから「色は重要なんだな」と納得するように呟く。
まるで「初めて知った」と言わんばかりの声色で――、この人もまだ知らないことがあるんだ、とノーチェは男を見た。
完璧な生き物だとしても、やはり欠点はあるのだ。
彼は終焉を化け物扱いはしない。その分「人間」の中で「完璧」の部類だと位置付けている。奴隷である自分にとっては、男は貴族のような人間なのだと。
――思っていたが、やはり完璧な人間などいないようだ。
「……アンタも大概人間なのな」
何気なくひとりごちる。
「私を人間扱いするのはノーチェだけだよ」
ノーチェの独り言に終焉は素知らぬ顔で返事をした。ほんの少し、口許を緩めたように見えたのは彼の気の所為ではないだろう。
人間扱いが嬉しいのかと思うと同時、ノーチェの視界の端で何かが動く。人間の動くものを目で追う仕組みが、例に漏れずノーチェにも働いた。
何だろう――そう思って目を向けた先には、どこから出したのかも分からないマフィンが載った皿が、終焉の手元に収まっていた。
ココアのように深い茶色。きつね色に染まる色。二種類のマフィンに手を伸ばして口直しと言わんばかりに頬張り、男は咀嚼をする。
「色を変なものに染めるのはやめよう」
甘いそれを呑み込んで、思い立ったように発した終焉の言葉に彼は「そうだな」と言う。
いつ出来上がって、どこから取り出したのか――ノーチェの頭にはその疑問だけが浮かんでいて、独り言に生返事をしてしまう。
そもそもの話、嫌だと思うのなら可笑しな色に染めなければいい話なのだ。味は間違いなくとも、見た目から食べたくないと思わせるものなら、尚のことである。
それでも終焉が紫色に手を出した理由は――。
「見た目は……ノーチェの色なんだがな……」
ぽつりと呟かれた言葉。それに時間を掛けて理解を示したとき、彼は咄嗟に自分の目元に指を添える。
ほんのり黄色に寄せたプレーンの色味と、紫を彼の瞳の色と見立てたようだ。思えばいくつかの形の中に、器用に三日月の形をしたものが混ざっている。
それらを的確に手に取って、ひとつひとつ丁寧に並べ始める。
三日月から始まって、半月を迎えて、満月になる。そこからまた半月になり、三日月を迎えて、新月を紫の生地で再現したクッキーが順番に並ぶ。
今年は貴方がいるから遊んでしまった、と終焉は呟いた。心なしか、声色が弾んだように聞こえるのは気の所為だろう。
たった一人、世話をする人間がいるだけでこんなことをするのか。
食べてもいいぞ、と言ってくる終焉にノーチェは「そのうち」と答えた。
自分がモチーフになったものがあるというのは、どこか嬉しいと思ってしまう自分がいる。――しかし、それを食べようと思える色味ではないことが一番の問題である。
彼は並べられたクッキーを回収して皿に戻した。味に問題はないと言った終焉の言葉を信じるのなら、相変わらずの美味しさを誇っているのだろう。ほんのりと甘くて芳ばしい香りが鼻を擽るのは相変わらずだ。
並べられたうちのひとつ――三日月を摘まみ、口へと運ぶ。プレーンの見慣れた色味だけは食べられる筈だと噛み砕き、咀嚼をする。噛む度に漂う芳ばしさに胸を躍らせながら、喉の奥へと流し込む。
――ああ、やっぱり美味しい。
癖がない筈なのに、他にはない味わいが終焉の手料理にはある。
特別他のものを食べた記憶はないが、他の人間が男の手料理を口にすれば同じように思うことがあるだろう。魔女であるリーリエさえも絶賛しているのだから、他人が食べれば舌を肥やす筈――。
「…………?」
「……どうした?」
ふと自分の思考に不快感を覚えていることに、ノーチェは気が付いて首を傾げた。黒い靄が胸の奥に募っているような、奇妙な感覚だ。
彼の一連の動作を見たであろう終焉が、どこか不安そうにノーチェに訊ねる。もしやあまり美味しくなかったか、なんて続けて言うものだから、彼は咄嗟に「美味しい」と言い放った。
「美味しい。美味しい、から――」
他のにはあげたくないなって。
――そう言いかけて、ノーチェは咄嗟に口を閉ざす。自分が何を言おうとしていたのかを考えて、終焉が不思議そうに見つめているのを見ていた。
思えばリーリエに色々なことを言われて以来、不思議と意識してしまうことがある。
好きだとか嫌いだとか、そういった感情が言動に影響を与えてくるのだとすれば、彼は少なからず終焉を好んでいるのだろう。料理、言動ひとつ取ってもノーチェ自身の感情に響くものが、ないこともない。
美味しいだとか、綺麗だとか、終焉に対する感想が好意から来るものだ。
ノーチェは終焉のことを嫌っている節はないが、明確に好いている感覚もない。ただ何となく、傍に居て悪くないという感覚で屋敷に居続けていることもある。
何をしなくても殴られることもなければ、怒られることもない。やたらと好意を寄せられているが、変に手を出されることもない。
――そういった事実から、彼は男の傍に居ることを選んでいるのだ。
ただそれを、明確に「好意」とまとめてもいいのかは分からない。
それでもこの独占欲は、好いているものへの感情であることは確かな筈だった。
「――これ、赤色はねぇの……?」
長くも短い沈黙のあと、固まった雰囲気を誤魔化すためにノーチェはクッキーを手に持つ。満月を模した丸い形のそれに、他の色はないのかと問い掛けた。
男は考えるような仕草を取ったあと、「他の色は作ってないな」と彼に答える。作ったとしても赤色は難しいのではないか、 と悩み、何故他を求めるのかを彼に訊いた。
終焉からすれば美味しそうと思える色以外は作るつもりも、もうないのだろう。
終焉の問いにノーチェは反射的に唇を開いて
「だって、これを黄色って見立てんなら、赤色作ったらアンタの……目の色に……なると思って……」
――と言った。
――咄嗟に口を突いて出た言葉ではあるが、ノーチェ自身も何を言ってしまったのか理解はできていない。目の色が揃ったとしても、ノーチェや終焉に得するものはないのだ。
誤魔化すためとして発した言葉に、ノーチェはおろか終焉さえも首を傾げる。「お揃いがいいのか」なんて男に言われて返答に困っていると、終焉は徐にポケットをまさぐってキャンディの包みをふたつ取り出した。
「どうせならこっちの方が美味しそうだと思わないか」
そう言って机の上に転がった赤と、黄色に染まったキャンディを見て、ノーチェも呟く。
「……俺もこっちでいいじゃん……」
こっちの方が食べやすい。――そう告げると、終焉も納得したように「それもそうだったな」と言って、視線を逸らす。
男は上機嫌のまま、赴くままに行動した結果がこの状態なのだろう。恐る恐る紫のクッキーを手に取って、口にしてみれば――見た目は奇抜だが、味は悪くはなかった。
美味しいからいいやと思ったと同時、終焉が再びキッチンへと向き直る。料理をするときに稀にしているポニーテールが尻尾のように揺れたのを、彼はじっと見ていた。
「まだ何か作るの……?」
ぽつりと問い掛けた言葉に、終焉が答える。
「取り敢えず、作れるだけ作ろうと思って」
私の食事にも必要だしな。
――そう言って用意されていく材料達を見て、あとどのくらい作るつもりなんだ、と彼は眉を顰めて椅子に座った。