賑わいに潜む嵐の前触れ

 街の中は案の定活気と、人々と太陽の熱気に溢れていた。石畳を反射する太陽光が足元をじりじりと焼き付けて、まるで鉄板の上で焼かれているかのような気分に陥る。流石の住人も暑さには弱いのか、打ち水をする姿が他方から見受けられて、涼しくなるどころかじっとりとまとわりつく湿気が増すような気がしてならなかった。
 相変わらず人通りは多いのだが、春の頃に比べると大人は落ち着きを持っているようで、子供達は意気揚々と遊びに熱中する。石畳を駆け回り、躓いては転び、泣いては手当てを受けてまたはしゃぎ回る――そんな光景ばかりだ。灼熱の太陽ははしゃぎ回る子供達を煌々と照らし続けていて、気が付いた母親が水分補給を進めに行った。
 街の噴水は夏場になると自由に出入りができる期間に入る。流石にコインなどの現金は投げ込まれていないが、子供達は溢れる水に体を沈めたり、両手で掬って水をかけ合った。そのときに吹く風はさぞ心地のいいものとなるだろう。
 相も変わらず市場は展開されているが、所々日傘を差して商品を守る他、店内へ入れる店も春よりは多くなった。――と言うよりは、店内へ入れる店に注目がいくようになった、というべきだろう。特に生物を扱う店は空調が効いた店内が丁度いいのだ。

 その店から出てきた二人は――ノーチェは――荷物を片手に街の流れに逆らった。終焉はやはり慣れた様子で人混みを避けようとするが、寸ででノーチェの存在に気が付いて無理に避けようとしなくなった。代わりにノーチェの手を引いて、人混みが少ない道を選んで進む。人目が少なければ当然の如く犯罪に巻き込まれる危険性は高いのだが――終焉が人にぶつかってもろくに認識されないことから、その危険性は無さそうだと彼は安堵の息を洩らす。
 すると、それをどう捉えたのか、終焉はノーチェに向き直って「休憩しようか?」と問い掛けた。
 ほうっと一息吐いただけのそれが疲れによる溜め息だと勘違いしたのだろう――ノーチェは首を左右に振って「平気」と呟くと、終焉は「そうか」と言って彼の頭に触れる。

「……いや……少し休もう。太陽がもう高く昇っている。体の方は動きが鈍っているぞ」

 少し熱が溜まったな。男はそう言うとひとつの店に顔を出して何かを注文した。窓のように空いただけの小さな建物には人が一人。いくつかの機材を使って巧みにそれを作り上げていく。それが終焉の好物である甘いものだと気が付くのに時間は必要なかった。
 どうぞ、と料金と引き換えに渡されたのはジェラートだ。ワッフルコーンの上に盛り付けられ、小さなプラスチックのスプーンがジェラートに刺さっている。終焉はそれを受け取るとノーチェの方を向いて「どちらがいい?」と訊いた。
 どちらも甘いものであるのには代わりなかった。違うというのは見た目と味だろう。仄かに赤やピンク色がかった方はイチゴで、深くココアのように濃い茶色はチョコレートだろうか――より甘い方はどちらかを考えて、ノーチェはイチゴを指差した。
 終焉は瞬きをひとつ落とすと、ノーチェにイチゴを手渡して近くにある木陰の下にあるベンチを示す。身長よりも大きな背丈の木がさわさわと木の葉を揺らしていて。影が騒ぐように蠢いている。
 その真下にあるベンチに腰掛けて、ノーチェはほう、と息を吐いた。

「む……」

 ノーチェが一息吐く頃には終焉は既にジェラートを口にしていて、その甘味な後味に思わず感嘆の息を洩らしているところだった。よく見ればプラスチックのスプーンを使うことなく直に頬張っていて、余程耐えられなかったのだろうと推測される。唇の回りについたジェラートを指で拭って舐めては一心不乱にそれに齧りつく。
 ノーチェも負けじと――勝負をしているわけではないが――ジェラートに向き合った。終焉とは違い、プラスチックの小さなスプーンでジェラートを掬い、ちまちまと口へと運ぶ。甘く綻ぶように溶けて消えるそれを舌の上で転がして、飲み込んではまた次へと手を出す。イチゴの酸味が程好く甘さを引き立ててくる上に、暑さが功を奏してか冷たさを求める手が止まらなかった。

 ちまちまと食べ進めること数分、半分を過ぎた辺りで何気なく終焉の方を向くと、ノーチェの方をじっと見つめていた終焉と目が合う。その目は催促するようなものではなく、もっと別の――興味を示している子供のような目だった。ノーチェは不思議と終焉の考えていることが手に取るように分かってしまって、恐る恐る「……いる?」と食べかけのジェラートを差し出す。
 彼は終焉の手にジェラートが一欠片も残っていないことに気が付いていた。その上で見つめている先にあるものは、終焉が買い与えてくれたジェラートである。男はこのデザートをいたく気に入ってしまったのだろう――与えた筈のイチゴの味が気になって仕方がないのだ。

 いるかと訊かれた終焉は思考を放棄するように「え……?」と呟いて、瞬きを数回繰り返した。赤と金の瞳が丸く不思議そうにノーチェを見ている。彼もまた何故男が茫然としているのかが分からず、じっと見つめ返すだけだった。
 時間が経ち、じわじわと熱に溶かされるジェラートがワッフルコーンから垂れていく。それをきっかけに終焉は咄嗟に立ち上がり、先程の店へと足早に歩いていった。

「…………食べかけが嫌だったのか……?…………あ、食べかけか」

 先程と同じようなやり取りを繰り返す終焉を眺め、ノーチェは男が咄嗟に逃げるようにその場から離れた理由が分かった気がした。

 愛していると言う割には行動のひとつひとつを意識してしまっているようで、直接的である一定以上の接触を終焉は避けているのだ。手を触れることは構わない、自分から何かを与えるのは構わないと思う反面、ノーチェが手をつけたものを与えられるというのには酷く慣れていない様子だ。
 何とも言えないほどに初な反応に、ノーチェは「あの人でも狼狽えたりするんだな」なんて他人事のように呟いて、溶けかけているジェラートを食べ進める。先程のシャリシャリとしたシャーベット状の食感は殆ど消えてしまって、最早飲み物の一種のようだ。
 ほんの少しの不満を胸に抱くと、終焉がイチゴのジェラートを片手にノーチェの元へ戻ってきた。「食い終わったら帰ろう」なんて言う様子に先程の慌てぶりは見られず、首を縦に振ってノーチェはワッフルコーンを口にする。上部はジェラートによってふやけてしまっていたが、下部は焼き立てのクッキーのような食感を残していた。
 夏場の冷たいデザートは誰でも好きになってしまうのだろう。

 ――案外美味しかった。

 そう心中で微かに呟いてみると、隣では追加のジェラートをペロリと平らげてしまった終焉が黒い手袋をはめ直していた。流石の男も手袋をはめたままジェラートを食べるなんてことはしなかったが、見ていて暑苦しいと思えるので手袋を外してもらいたいと思っているのは彼だけの秘密になるだろう。
 がさりと音を立てて荷物を肩に提げるノーチェはゆっくりとベンチから立ち上がった。十分休んだと言いたげに背筋を伸ばし、「ん……」と小さく声を上げる。そのまま思い切り脱力して、再びほう、と息を吐いた。

「……重くないか?」

 徐にノーチェの顔を覗き込んで問い掛けてくる終焉は、無表情の下にノーチェの身を案ずるような感情を隠している。
 それに彼は一度間を置いて終焉を眺め――、「馬鹿にしてる……?」と小さく呟いた。

「別に重くない……というか…………多分、アンタも抱えられる……」

 ノーチェはあくまで自分が常人とは異なった力を持っていることを終焉に伝えてみせた。力仕事なら彼の得意分野だとも言えるだろう。「抱えてみようか?」なんて首を傾げるノーチェに、終焉は咄嗟に「いい、いらない」なんて断ってそっぽを向く。
 ああ、また照れているんだな、と分かってからノーチェはくっと男の袖を引いて、「帰ろ」と言った。
 荷物を肩に提げたまま終焉に近寄れば頬を撫でるように涼しさが増す。例えるなら夏の心地のいい夜の風だろうか。ほんの少し熱によって昂った鼓動を落ち着かせるよう、涼しさは心地よくノーチェの体を包んでいった。
 行く先は勿論街の外れにある屋敷だ。彼らは会話もなくただ黙々と歩いていて、流れていく人の波を見送る。――道中、ノーチェがふと街灯に目をやると、ひとつの貼り紙が目に飛び込んできた。それは夏の夜空を描いていくつもの花が咲き誇る一枚のポスターで、彼は歩く終焉の手を引いて「なぁ」と語りかける。

「……犯罪が増えるって、あれの所為……?」

 終焉がノーチェに目を配らせたことを確認して、彼はポスターに指を差す。

「ああ……どうにも〝教会〟が主催のようでな……今までもそうだったんだが、こればかりは夜間に行われるだろう? 規模も大きいし、いかないんだよ。悪さを企む者に目が」

 だから気を付けてくれ。男はそう告げると再び前を向いて歩く。コツコツと石畳を踏み鳴らす音が四方八方から聞こえてくるが、街の中央部に行けばそんなものは聞き取れないのだろう。終焉の声色は真剣で、ノーチェは本当に自分に何かあれば目の前の男が何かをしでかすのではないか、と小さく震える。

 祭りを匂わせる小さな風が、ゆったりと白い毛髪を撫でていった。