精霊という生き物の食事は随分と興味深いもので、自分が司る火や水、風や土を糧にしているようだ。――正確に言えば「食事」は魔力の補給に最も近いもので、その中にある微量な魔力を腹に収めているらしい。そもそも精霊自体に魔力の有無、枯渇の概念があるのかどうかは明確にはされていないが――、食事という概念は重要視されているのだろう。
――希少価値故に謎が多いものだが、かくいうそれも火を喰っていた。
森の中を当てもなく歩いていた彼は、洞穴や巣穴によく似た小さな洞窟を見付けた。背が高い彼にとってそれは酷く狭苦しかったのだが、雨宿りをするのには文句はないだろう。腕の中にいるそれの存在が気になる他、彼はもう雨にはうんざりしていたのだ。
狭い穴に体を入れて漸く一息吐いた彼は手の中にいるそれをゆっくりと解放してやる。絶えず流れていた血の量が多少減ったか、という見た目をしていて、しぶしぶ彼は懐に入れていた白い包帯を取り出した。
怪我をしたときに手当てができないのでは元も子もないと何気なく携えていたものだ。雨によって多少湿気っているが、ないよりはマシだろう。
彼は包帯をほどき、それの小さな体へと巻いてやる。応急処置程度ではあるが、あるとないとでは違いが大きく出てくる筈だ。
巻き付けている間、触れれば分かるのは冷めきった生温い体温と、見た目以上に柔らかな毛並みのようなものが感じられることだけだった。
「……寒ぃか。しゃーねぇ」
包帯の端と端をほどけないよう結び終えた彼はそれから手を離すと、溜め息を吐くように言葉を紡いだ。
何をする気だろう――そう言いたげにそれが彼へと目を向けると、彼は徐に手のひらを差し出す。ぼうっ、と音を立てて目の前に現れたのは――鮮やかな色の炎だった。
それは彼の得意な魔法だ。術式が要らなければ詠唱も必要ないほど、研ぎ澄まされた力だ。彼はそれを一時的に体を温めるものとして扱うつもりだったのだろう。炎を出している以上、体から洩れる魔力の量は増していて、体力を消耗してしまうのが不便ではあるが――ぐちぐちとものを言っている場合ではない。
寒さに震えるそれを温めてやろうという、彼なりの優しさだった。
彼の炎は純度が高いのか、酷く澄んだ赤や橙が点々と見受けられる。温かく心地のいい温度の火はそれの好奇心を擽ったようで、それは小さな鼻を軽くひくつかせながら彼の手元へ顔を寄せる。
そして――
「――ほぉ」
――彼の手元の炎を喰らった。
彼とて無知というわけではないが、実際に精霊の類いが何かを喰らう様子を見るのは初めてだった。何せ彼らは警戒心が強い。食事のひとつでさえ、人間に見せることはまず有り得ないのだ。その様子を初めて目の前にするということは、それにとって緊急事態でもあったのだろう。
それは彼の手のひらで燃え盛る炎を小さな口で啄むように喰らっていた。見た目では気付かないものだが、火が口の中へと収まる度に彼の魔力が抜け落ちるような酷い倦怠感を覚える。火、というよりは魔力そのものを喰らっているようで、まだまだ得体の知れないそれに彼は興味がそそられる。
熱くはないのかと何度も問い掛けそうになった。しかし、熱がるような素振りなど見せる様子もないのだから熱くはないのだろう。――心なしかそれの体がほんのり赤みを帯びてきているような気がして、彼はほんの少し嬉しく思えた。
「んにぃ」
――満足したような様子のそれが、猫とも言えないような鳴き声を上げて体を振った。水滴を弾くように身体中を振るって――胸元や額に浮かぶ宝石が一際目映い光を放ったと思えば、顔を上げて吠えるように息を吐く。
――いや、正確には火を吐いた。
「――おっ」
ごうっ、と僅かに音を立てながら勢いよく飛び出したそれは程好い火の玉になると、ふわふわと宙に浮かんで洞窟の中を照らす。純度が高く、まるで透き通るような煌めきに思わず彼は感嘆の息を吐くと、確かに温もりを感じた。
礼のつもりなのだろうか――そう思いながら足元にかかる重みにふと目を向ければ、それが小さく踞って寝息を立てている。酷く疲れてしまったのだろうか。それでも浮かび続ける火に悪くねぇな、と彼は口を洩らし、静かに目を閉じたのだった。
――眩しい、眩しい光だった。
瞼を閉じていようとも目を焼くような眩しさに彼は呻き声を上げて、閉じていた瞼を開く。キラキラと宝石のように輝いているのは、雨粒によって反射してきた太陽光のようで、「鬱陶しい」と彼は呟く。いつの間にか降り頻っていた雨はやんで、木々の隙間から木洩れ日が見てとれた。
膝にあった小さな重みはない。目を向ければあった筈の姿はなく、火の玉でさえもどこにも見当たらない。夢か何かだったのかと思うほどの静けさに彼は瞬きをしたが――ふと目にした指先には小さな傷痕があった。
容姿など関係はない。精霊のような存在は瞬く間に姿を消してしまう。あれもまたそういった存在であっただけで、彼は意に介することもなく壁に背を預けたまま腹をさする。空腹を訴えるように腹の虫がくぅ、と鳴いた。
「……起きるか」
気怠い、なんて思いを込めた小さな呟きを吐いた後、彼はゆっくりと重い腰を上げた。――途端に目の前に影が落ちてきて、彼は徐に顔を上げて見やる。そこにいたのは赤から青へ移り変わるような神秘的な髪と、ルビーのような瞳が特徴的な――。