食後に甘いデザートを

 ――祈りを捧げる朝の時間。次第に寒さを持つ空気が肌を刺す。ぴりぴりと痛みが走るようになって、少しだけ寒くなったと思う早朝に、石像に向かって手を組んだ。
 そんな〝教会〟達の人間をひとりひとり眺めて、モーゼは小さく頷いた。人数に限りがあるため、基本的に膝を突いて捧げる祈りも、長椅子に座ってでの祈りだ。
 いくらか人が減ったとしても・・・・・・・・・・・・・、未だに変わることのない現状に、モーゼは「結構居るもんだね」なんて心中で言葉を溢す。白い衣服が暗い床を、長椅子を隠すように一面に広がっていて、朝から目にするには少し、目が痛かった。
 色とりどりの毛髪にももう目は慣れた。初めてルフランに迷い込んだときには物珍しいと思ったが、今ではそれすら当たり前のものとして認識している。この世界は広く、東へ行けば行くほど、色素の濃い者達が蔓延っているという噂も聞いたことがある。

 その中でも黒髪は、やはり唯一の存在であるようだった。

 モーゼは辺りを流し見たあと、最後尾の空いている長椅子へと座る。古い木造の暗い色の椅子は、人肌もなく冷えたもので、座ったあとに足元が冷える感覚がモーゼを襲う。「ああ、冷えるようになった」なんてひとりごちると、奥の部屋の扉が小さく開く音が聞こえた。
 扉の向こうからこっそりと現れた燃えるような髪。普段なら見掛けないようなそれに、モーゼは瞬きをする。祈りを捧げている人間達も数人、その影に気が付いたようで、多少身動ぎを繰り返す背が見えた。
 不安そうに辺りを見つめる赤い瞳に、迷いが見える。今日は珍しく起きたけれど、時間には間に合わなかったがゆえに、参加してもいいのか悩む顔だ。ちらちらと辺りを見渡す様は、まるで警戒する小動物のようにも見える。
 その様子を見かねたモーゼはくすくすと肩を震わせると、小さく手を上げて招く。手先を軽く動かせば、扉の向こうから顔を覗かせていたレインがそうっと部屋から出てきて、扉を閉める。邪魔にならないよう端を通って、駆け足でモーゼの傍へと近寄ると、懸命に頭を下げ始めた。
 間に合わなくてごめんなさい。――そう言いたげな様子にモーゼは「構わないよ」と言いながら、自分の隣を差し出した。座れ、ということだろう。指先が長椅子の天端を小突く様子に、レインはそうっと椅子に座った。

「いやはや、最近は秋になってきて寒くなったね。お前が隣にいると温かくて快適だ」

 何の気なしに呟かれた言葉にレインは何度も頷いたあと、赤い瞳を輝かせた。レインの服装は随分と軽装で、最早ワンピースだと言っても過言ではない服装に、寒ささえも覚える。首にあしらわれた鉄の塊にも冷たさを覚えてしまって、モーゼは服装を改めるべきかと、頭を捻った。
 何気ないモーゼの一言に意気込んだあと、レインは他の人間達と同じように手を組んで、目を閉じて祈りを捧げる。

 彼女が遅れて出てこようとも周りに咎められないのは、恐らくレインの性格によるものだろう。
 ヴェルダリアと共にいながら、彼女は酷く謙虚な性格で、ヴェルダリアが何か悪態を吐こうものなら、後々にレインが懸命に頭を下げる。時折〝教会〟達を労うように差し入れを持ってきては、会話はできなくとも意思疏通ができることから、少なからず人気はあるのだ。
 ――ただ、ヴェルダリアからの睨みが与えられるのだけが、上手く関わり合えない原因でもあるのだが。
 レイン自身には特別非はない。だからこそ、彼女は非難を受けることはなかった。

 ――そうして数分による祈りを捧げたあと、ゆっくりと周りが動き始めるのに合わせてレインも目を開ける。モーゼがにこやかに辺りを見守っていると、周りはレインが出てきた部屋をじっと見つめてから、動きがないことを知ると、そそくさと彼女の元へと集まった。

「すみません。今年も少し手を握ってもらえますか……秋になり始めると冷えてきて」
「待て待て、俺が先だろうが!」

 冷え性を抱える男が数人、レインの熱を求める。
 彼女は人よりも体温が高く、周りへと多少の影響を与えるほどだ。モーゼがレインを隣に置いたのも冷えの対策であって、彼女は人の役に立てていることを実感してしまう。
 差し出された手をぎゅうっと握り、レインは小さく「おはようございます」と呟いた。まるで少女のような軽やかな声色に、男は軽く笑みを溢して「おはようございます」と返す。包まれた手から伝わってくる温もりにほう、と息を吐くと、周りが「早く代われ」と急かし始める。

「こらこら、そんなに騒ぐと――」

 わいわいと騒ぎ始める男達をモーゼが宥め始めると、不意に教会奥の扉が勢いよく蹴破られる音が鳴り響いた。バァン、とけたたましい音が耳に届く。震えた空気が肌を刺激する。
 「起きてきちゃうからって、遅かったね」――そう呟くと、部屋から出てきたヴェルダリアがゆっくりと、鋭い眼光を彼らに向ける。

「何気安く触ってんだよ……散れ!!」

 獣の咆哮のように放たれた言葉に、肩を震わせた男達が一斉に散らばる。ヒィ、と言葉が洩れたあと、握られていた手を咄嗟に離して、「有り難うございました」と呟きを溢しながら、そそくさと離れていった。
 寝起きのヴェルダリアには、普段のような挑発的な表情はない。目付きの悪い三白眼を細め、眉間にシワを寄せるものだから、不機嫌極まりないもの。その様子のままモーゼとレインの傍へと近寄るものだから、男達の恐怖は計り知れないものだろう。
 コツコツと小さく鈍い音を立てながら近付いてきた。不機嫌そうなヴェルダリアに、レインは「おはようございます」と言わんばかりににこりと微笑む。彼女にはヴェルダリアに対する恐怖など微塵もありはしない。あるのはただ、目に見えない信頼だけだった。
 そんなレインにヴェルダリアは、無愛想のまま頭を撫でる。癖のある髪をくしゃくしゃと撫で回すと、彼女は至極嬉しそうに笑った。
 二人の様子を見かねたモーゼは、「仲が良いねぇ」なんて呟くと、ヴェルダリアが喧嘩腰に「あ?」とモーゼを睨む。

「てめぇには関係ねぇだろ」
「はいはいそうだね。ところでお前の寝起きは本当に面白いね。前髪が下りてる分、幼く見えるものだねえ」

 モーゼもまたヴェルダリアに対して恐怖心など抱いている筈もなく、普段とは異なった見た目のヴェルダリアを揶揄う。普段掻き上げている前髪が下りていることによって、いくらか幼さの残る姿になったヴェルダリアは、モーゼに向かって舌打ちをひとつ。うるせぇな、と呟いて、レインに向かって「着替えてこい」と言った。
 彼女はあくまで寝間着のままで祈りを捧げていたのだ。露出の多いワンピース調の服装に、彼は思うところがあったのだろう。ヴェルダリアの指摘にレインは自分の姿を見てから、立ち上がってそそくさと部屋へと戻って行く。
 思えばつい先日に部屋を同じにされてしまったのだ。何で寝間着のまま部屋から出たのかを問い掛けようとしたが、自分が置かれた状況に頭を掻く。
 面倒くせぇなと呟く姿を見て、モーゼは悪戯っぽく笑った。

「新生活じゃないか」
「ほざけ。野良生活と同じになっただけだっつの」

 揶揄うモーゼにヴェルダリアは欠伸をひとつ。くぁ、と目尻に涙を浮かべてから、金に輝く瞳で薄ら笑いを浮かべるモーゼを横目に見る。
 少ない人間達。数が減ったことにすら気がつかない〝教会〟の男。普段のように祈りを捧げる様子に、飛んでこない悪態の数々――。
 ヴェルダリアは髪を掻き上げながら「随分静かになったじゃねえの」と笑う。

「はは……何のことかな。まあ、少し……余計なゴミ掃除はできたかと思ってしまうがね」

 かたん、と音を立てながら席を立つモーゼ。その笑いには特別感情も含まれていない、作られたような表情そのものだ。もっというなら、明確な悪意が宿る、といっても過言ではないだろう。
 〝終焉の者〟は掃除が得意なんだねぇ、なんて呟いたモーゼに、ヴェルダリア「はっ」と鼻で笑う。

「てめぇにとっちゃ、聖母以外は全部ゴミでしかねぇだろ」

 核心的な言葉で突けば、モーゼはくつくつと笑いながら、外へと向かって歩いていった。
 答えの代わりに返ってきた笑みは、言葉よりも遥かに重みのあるもの。自分も確かに駒として扱われているのだと思うと、不愉快になるものがある。思わず二度目の舌打ちを溢していると――不意に、モーゼが振り返って懐から何かを取り出した。

「そうそう。今日は少し気分がいいから、芋を買ってきてくれるかい。そうだな――三十個くらい」

 放り投げられて放物線を描く財布を、ヴェルダリアは叩き落とす前に顔面で受け止めたのだった。