故郷を追われ、家族を奪われた応星が流れ着いたのは、仙舟という場所だった。朱明に転がった内気な少年は、身の内に煮えたぎるほどの復讐心を宿していて、故郷や家族を屠った忌み者を全滅させてやりたいと思うほど強い気持ちを抱えている。それは、切っ先のように鋭く、誰にも解きほぐすことなどできやしないような、重苦しい感情だった。
忌み者を屠るにはそれ相応の武器が必要だと、彼は幼いながらに悟っていた。故に武器を作るための勉強は欠かさなかったし、興味はいくらでも湧いて仕方がなかった。
――――しかし、応星が流れ着いたのは仙舟。応星とは見た目も種族も全く違う人物たちがごろごろいるのだ。応星の寿命は一般的に八十から凡そ百までの年齢を重ねられる程度ではあるが、仙舟にいる彼らにとって応星の寿命はあまりにも短すぎた。仙舟人の彼らは理性を失い、攻撃的になる魔陰の身に堕ちるまでの凡そ八百から千までの歳月を生きられるのだ。
そんな彼らから見れば応星など短命も短命。仙舟人は長い年月をかけて技術を磨けるが、応星のように星の瞬きほどの寿命で何ができるのかと、彼らは嘲笑うだけで技術を教えようとはしなかった。
煮えたぎるほどの復讐心に加え、自分を蔑ろにする仙舟人に対する憤り。
――――それは、応星の心を折るどころか、火に油を注ぐのと全く同じようなものだった。
そこから応星の行動はいくつもの苦難が立ちはだかった。内気なままではいつまでも長命種に嘗められてしまうことは分かっていたが、やはり根付いた性格は到底変えられそうにもないという錯覚を覚えていた。星槎落としと呼ばれてしまっている白珠と知り合ってからはいくらか自分自身を表に出すことはできていたが、種族の壁によってできた劣等感はいくら経っても拭えやしなかった。
彼女もまた周りからは厭われているようで、頻繁に応星の元へと顔を出しては、「気にすることはありませんよ」と何度でも応星を慰めた。――――それが、絶えず応星のみっともなさを掻き立てているようで、不甲斐ないとしか思えずにいた。
勉強のためと師に連れて来られたのは、羅浮という場所で。種族は朱明とは大差ないものの、衣服の違いはありありと見えた。連れて来られた金人港で食事をしたり、工造司がどのような技術を用いて武器を作っているのかを学んだ。――――道中、工房を見学させてもらえたりなんてことは、短命種という理由だけで断られてしまったものの、師曰く、「忌み者を殺すのならここで学び、百冶という称号を得なければならない」のだそう。
――――正直、応星にとって長命種がこの工房を独占していることは、非常に不愉快でしかなかった。武器を作っている工造司ならどれほどの武器を作っているのか、心底わくわくしていたからだ。応星自身に今その技術がないにしても、いつかはモノにできるのだと、心が躍っていた。
――――けれど、実際はどうだろう。
応星が目にした武器はどれもいまいち決定打に欠けるものがあり、振り回すには少しばかり重量を感じた。それは、応星がまだ子供だったから、という理由もあるだろうが、忌み者は絶えず湧き出るもの。大量のそれを相手にするとき、肝心の武器が重くては長期戦には向いていないときた。
その上、工房を占める長命種たちは皆、この武器を作る技術を洗練させようという気持ちがこれっぽっちも湧いていないようだった。どうにも彼らは寿命が来るまでの長い年月をじっくりと堪能しながらそれに臨んでいるようで、応星からすればやけに贅沢な暮らしをしているように見えた。
自分はせいぜい百年程度しか生きられない命。だからこそ今のいう今に全力を尽くしていきたいというのに、この体たらく。武器たちはまだ改善の余地がある。材料を変えて軽量化すれば長期戦でも疲れを覚えにくくなる。強度を高めて壊れにくくすれば、無駄な出費も減るはずなのだ。
それなのにこの長命種共は――――応星が内気で何も言えないのをいいことに、体よく使っては小馬鹿にしたように嗤い続けた。どうせ百年程度しか生きられないガキに何が作れるのだと、そう言いたいようだった。
こいつらを見返してやるためにはそれ相応の実力を身に付けなければならない。自分が納得する得物を作るには、百冶の称号も得なければならない。
――――しかし、その具体的な方法が掴めないと、応星は悩みに悩んでいた。
羅浮へと研修に赴いてから、朱明へと帰るまでに凡そ数ヵ月といったところで、応星は運命的な出会いを果たした。
今日も今日とて特別これといった成果も得られず、ただ「こうしてみたい」「ああしてみたい」などといった案ばかりが浮かんでいた。それを試せるだけの工房は与えられず、不満を胸に募らせるばかり。一体どう行動を起こせば認めてもらえるのか、悩みながら苦労して雑務をこなしていると、突然工房や周囲からのざわめきが立った。
バタバタと駆け回る雑音。粗相のないように、と慌てるような声色。応星を羅浮に置いてから仕事をこなすために朱明へと帰った師が、珍しくふらりと姿を現したかと思えば、微笑みながら手招いて応星を呼びつける。
この騒ぎだとそれ相応の偉い立場の人がやって来たのだと、幼いながらも応星は自覚していた。それなのに彼の身なりは草臥れているどころか、手やら何やらに真新しい傷が刻まれている。こんな成りで姿を見せてもいいのかと思案したものの、どうやら師は彼の人に応星を紹介したいらしいようだった。
彼は滅多に姿を見せない存在。それでも工造司へと赴いたのは、己の相棒とも呼べる武器を新調するためだと、誰かが言っていたのを聞いた。
バタバタと駆けていく仙舟人を横目で見ながら、応星は師の隣で周りが落ち着くのをじっと待った。応星自身、今までの扱いを受けていて、自分が前に出るなどという思考はこれっぽっちもなかった。紹介したい、と師は言うが、応星は紹介に与るような人間であるとは思えなかった。身の内に救う憎しみがどれ程深かろうが何だろうが、内気な性格は直せるような気配はなかったのだ。
周りの人たちが恭しく頭を下げては何やら拙い敬語で懸命に話をしていた。応星もそれに倣うようにそっと頭を下げたが、身長の壁に阻まれて恐らく相手からは見えなかっただろう。この時間に一体何の意味があるのかと、自問自答していると、人混みの中から「鬱陶しい」と静かな声が聞こえてきた。
「余はこのような扱いを受けるためにここに来たのではない」
「しかし、貴方は龍尊なのですから……」
「余がここに来たことで手を止めるくらいであれば、知らせる必要もなかっただろう」
「それは内密に工造司に赴くということですか…………? そんなことは――――」
などなど、人混みの中から確かにそんな言葉が聞こえてきていた。聞き慣れない敬語を使っているのは、これまた工造司には滅多にいない――――お付きの人、という者だ。その彼が宥めるように懸命に声をかけているのは、龍尊と呼ばれる存在だった。
龍尊――――ポツリと応星が耳にした言葉を呟くと、隣にいる師がそうっと語った。
不朽の末裔、龍の子孫。持明族の中でも一際特別で、代々受け継がれている龍尊の地位を保っている存在。――――幼いながらも理解できたのはその程度で、つまるところこの汗臭い工造司にとんでもないお偉いさんが来たのだと、彼は悟った。
そんな存在に、紹介したい、だなんてとんでもない。
応星は肩を震わせて咄嗟に師を見上げ、「無理です」と小声で言い放った。――――しかし、応星の声は彼の龍尊が放った「仕事に戻れ」という言葉に綺麗さっぱり掻き消されてしまう。
「このように囲われるためにここに来たのではない。普段のように仕事に励むがいい」
彼がそう言うと、周りはどよめき指示に従うか否かという話し合いを始める。その言葉にすぐに従うということもしないため、数秒ほど「本当にいいのか……?」とざわめきが立ったが、それを見た彼が「戻れと言っているのが聞こえなかったのか?」と一言洩らす。
あからさまに不機嫌で、低い声色だった。偉い立場の人が怒ると相当に怖いものだと、応星は背筋がゾクリとする感覚を覚える。それは、応星のみならず、周りの仙舟人もまた同じようで。そそくさと道を開くように彼らは散っていった。
この人を不快に思わせてはならない。――――無意識でそう感じた応星は、自分も流れに任せて去るように身を翻しかけたが、師が応星の襟首を掴む。穏やかに笑いながらこさえた髭を軽く撫で、無言で「逃げるな」と言ってくる彼に、応星は観念して身を縮めた。
背中を丸めた影響で、幼い体はより小さく見えるだろう。こんなことで時間を潰すよりも、こっそり技術を盗み見ていた方がマシではないかと何度も思った。ちらりと視線を足元から前方へと向けると――――、彼の龍尊がこちらへと近付いて来るのが見える。
何かの間違いであってほしいと応星は心から願った。――――しかし、彼は一直線にこちらへ歩いてきて、不機嫌そうに溜め息を洩らすのだ。
「これはこれは……飲月君ともあろう方が、このようなむさ苦しい場所へと赴くなど」
「其方が呼びつけたのだろう? 紹介したい者がいるから何がなんでも時間を作れ、と」
「ほっほっほ」
師は龍尊の威厳に臆することもなく、悠々と構えて話をしている。その陰に隠れていた応星は、己の師の態度に背筋が凍るような気持ちを覚えた。これだけ慕われている人に対してこんな態度を取っていいのかと、内心慌てていると、「それで」と彼が言う。
「紹介したい者というのは、其方の後ろにいる者か?」
随分と小さいが。――――彼はそう言いながら応星の方をちらりと見下ろしたが、肝心の応星は師の後ろに隠れたまま出てこようとはしなかった。それを見かねた師は応星の肩をトン、と叩き、挨拶をしろと言わんばかりに合図を送る。こんな偉い立場の人に自分のような短命種が言葉を交わすなど、烏滸がましいだろうに――――なんて思いながらおずおずと姿を見せると、応星は言葉を失った。
――――美しい人だった。
呼吸さえも忘れて応星は彼をじっと見上げる。海のように深く青い瞳。泉の水のように煌めく神々しいツノ。女に負けず劣らずの顔の良さに、思わず感嘆の息を吐く。持明族ということは百も承知だが、それを抜きにしたとしても、あまりにも綺麗だった。
職人を目指すものとして、彼の美しさは目を見張るものだ。まるで細部にまで拘った造形のように、非の打ち所がない。長く垂れる黒い髪すら、ひとつひとつが絹のようで身震いさえもした。
世の中にはこんなにも綺麗な人がいるのだと、応星は初めて知ったのだ。
「――――せい、応星」
「――――ッ! はい!」
「どうした、ボーッとして。自己紹介をしなさい」
師に呼ばれ、応星は大きく肩を震わせてハッとした。初めて見るその美しい風貌に目が奪われていたと言えるはずもなく、サッと視線を逸らしながらも一本前に出る。復讐に燃える心の中にひとつ、見慣れない感情を見出だした気がした。
「あ、と……僕……じゃなくて、私は、応星といいます……」
体を小さく丸めながら応星はそう名乗ると、彼はじっと応星の姿を見つめたまま、何かを考えるように口元に手を添える。「応星……」そう名前を呟かれると、名前を知られてしまったという実感がふつふつと湧いて気恥ずかしかった。
「応星…………其方が白珠が言っていた、応星か?」
「! 白珠をご存知なんですか!?」
恥ずかしさを吹き飛ばすが如く、彼の口から紡がれた名前は随分と見知ったものだった。応星にとって彼女は姉のような人で、ここ最近は互いに忙しいからと顔を合わせる機会もなかった。彼は「余にいちいち其方が如何に職人としての才能があるかを話してくる」と溜め息混じりに呟いて、羞恥心が勝ったものの、彼女の安否が確認できたことにホッと胸を撫で下ろす。
いつか星槎ごと、墜落してしまうのではないかと気が気でなかった。目の前の彼や師の存在を忘れて、「よかった……」と呟く応星に、彼は「其方、」と口を開く。
「手が随分と傷だらけだが」
「え――――わ、なん……!?」
彼の龍尊に手を取られて驚き肩を震わせる。彼は素肌を晒してはいなかったが、その衣服の下からでも分かる細い指にドッと心臓が跳ね上がったのが分かった。女とも見紛うほどに細く、長い指がつい、と応星の手を撫でる。いくつもの雑務をこなしてきた応星の手は、少年とは思えないほどボロく、痛々しいものに変わっていた。――――そんな手を見て分かるほど高貴な存在が、やたらと慈しむように撫でるのが信じられなくて、応星は呆然とする。
先程から不思議な感覚に囚われていることは十分に理解しているが、応星の少年心はどうにも止められなかった。
――――それよりも自分の手は油やら何やらで黒ずんでいる。そう気が付くや否や、応星は咄嗟に手を引こうとしたが、いち早く応星が手を引こうとしたのを察した彼が、ぐっと指先に力を込めた。
「あ、あの、手が汚れてしまいますよ……っ」
このままでは不敬にあたりかねない。――――そう思って震える唇を動かして会話を試みる。薄汚れた衣服を纏う下っ端と、綺麗な服に袖を通した人物を見て、誰が咎められるなど一目瞭然だ。その上応星は短命種だからと誰も彼もに蔑まれて生きているのだ。これ以上の悩みを抱えるなど、したくはなかった。
――――しかし。
「構わん。このようなものを見せられて何もせずにいる方がおかしいだろう」
そう呟きながら彼は微かに吐息を吐くと、何もない空気中に水滴が舞い始める。どこからともなく現れたそれは、ぱしゃんと軽やかな音を立てて応星の手を軽く包んだ。踊るような水に思わず「わっ」と小さな声を上げて、咄嗟に龍尊と呼ばれる彼を見上げる。
気のせいだろうか――――彼の瞳は先程の深い青よりも少しばかり明るく、光を伴っているように見えた。それに加えて龍の象徴とも言える鮮やかなツノさえも、目映く輝いて見える。何とも言えないほど心地よく、そして幻想的な印象を受けた。
そんなことに目を、意識を奪われていると。ふと、自分の手から痛みが引いていくのが分かった。彼から目を離し、自身の手へと視線を戻すと――――薄汚れ、傷塗れだった応星の手はすっかり綺麗な手へと変わっている。それこそ、武器やら何やらに現を抜かす前の、子供さながらの手だった。
「き、傷が治ってる…………」
思わず応星が驚きを露わにすると、彼は水を引かせてする、と応星の手を離す。握られている間は緊張で気が付かなかったが、彼の手はいくらか人肌よりも冷たい印象が合った。
「これは餞別だ」
――――そう言って彼は、自分の身を守るかのように両腕を前に組む。そうしてじっと応星を見下ろしながら、自分が何者であるのかを告げた。
「余は龍尊、飲月君。覚えておくといい」
たったそれだけ。自分がいかに偉い立場かを口にすることもなかった彼を、応星は呆けたように「飲月君……」と呟くだけだった。