恋、患い2

「正直、私から言わせてもらうと────原因は応星にあると思うよ」
「景元! それに鏡流も! 来てくれたんですね……って、景元はどうして肩で息をしてるんですか……?」
「気にすることでもない。それよりも白珠、今回も無事に帰ってこれたのだな」

 行く先々で何度も星槎が壊れた話を聞いていたぞ。────そう言って鏡流は白珠の隣の席に座り、そのまま広がっている料理に手を伸ばす。彼女は飄々とした態度で、見ていて涼しさを覚える姿ではあるが、反面景元は少し草臥れた様子で応星の隣に座った。心なしか、彼の頬には一筋の汗が滴っているようにすら見える。白珠が言った肩で息をしている、というのはあながち間違いではなさそうで。差し出された水を彼はくっと一息に飲み干した。
 話を聞くに、彼らは連絡を受けたあと、鍛錬の一環だと言って鏡流は景元を走らせたようだ。数回の深呼吸を繰り返している景元を見ると、鏡流の指導は今でも健在なのだと応星は背筋が凍る感覚を覚える。────そのお陰か、自分の胸の奥に湧き続ける不快感が少しばかり紛れたような気がした。

「────で、俺が原因ってどういうことだ?」

 景元と鏡流が白珠と応星に合流してから数分。それぞれが軽い食事を摂って空腹を満たしてから、応星は景元が言った言葉を掘り返す。彼は酒を飲んでいる応星に向かって、丹楓が婚儀を承諾した原因は応星にあるとはっきり言った。当の本人である応星は一体自分のどこに原因があるのかも見当が付かず、溜まらず景元に言葉の意味を窺う。
 彼はふわりと柔らかな微笑みを浮かべながら、その薄い色合いの髪を小さく揺らして「単なる憶測だけど」と付け加えた。

「多分、丹楓は何度も君に話しかけようとしていたよ。その度に覚悟をするように拳を握り締めてね」

 緊張していたのだろうね、と景元は和やかに呟いて酒を一口。応星が飲んでいるものよりはいくらか度数が低く、到底酔うには至らないようなもの。それをくっと飲み干したのを見守ってから、応星はそろそろと視線を手元に移す。丹楓が何度も話しかけようとしていた────という話が俄に信じられなくて、きゅっと唇を噛み締める。
 応星は丹楓と仲がいい自信があった。丹楓の親友は自分以外には有り得ないとすら豪語できるほどの自信だ。だからこそ、気安く声をかけてもらえなかったという事実に、少しずつほとぼりが冷めていく。目の前では白珠と鏡流が会話に花を咲かせているのが見えた。恐らく白珠も肩の荷が下りて気持ちが楽になっているのだろう。
 そうすると突然、周りが噂している龍尊の婚儀が自分の体に突き刺さるような痛みを覚えた。先程までは怒りが体を支配していて、何に対しても苛立ちしか覚えなかったものの、今では応星のことを責め立てるようにズキズキと鋭い痛みを与えてくる。
 婚儀を承諾したのは、自分が原因かもしれないと思えば思うほど、応星の罪悪感が体を押し潰すように大きくなっていくのが分かった。

「思い出してくれるかい、どうして応星が丹楓とまともに会話をすることがなくなったのか」

 ここ最近のことを思い出せば分かるかもしれないと言われ、応星は一度だけ手元にある酒器をテーブルに置く。そして口元に手を当ててじっくりと思考を働かせ、原因に成り得るものを探った。
 応星の日常は大抵が鍛冶で埋め尽くされている。丹楓も既にそのことは把握していて、相手にできないことがあると言えば理解を示してくれていた。────それどころか、武器を作る応星を見ているのは飽きないと言って、応星の仕事ぶりを観察さえしていたのだ。鍛冶が原因で丹楓が応星に話しかけるのを躊躇うなど、有り得ない話である。
 ────しかし、そうとなれば応星には皆目見当もつかなかった。いくら頭を捻り、唸ったとしても原因となりそうな要素は見つからず、遂には目の前にいる女性二人に助けを求める。彼女らもまた景元と同じく丹楓と応星を近くで見ているのだ。そのお陰で応星が丹楓に向ける好意に彼女らも気が付いているのである。
 だが、応星は鏡流がただで物事を教えてくれるような性格ではないと知っていた。それ故に助けを求めた相手は白珠ただ一人に等しいのだが────、彼女は少しだけ機嫌が良さそうにぽやぽやとしたまま、「そう言えば~」と口を開いた。

「あたし、この間飲月に『応星と話をしても構わないだろうか』って聞かれたんですよね~。あたしとしては全然、寧ろどうして話さないんですかって感じで、いいですよって言ったんですけど~『大切な話をしたくて』って言ってましたよ~」

 結局何の話をしていたんですか、と白珠はじっと応星を見た。ほんのり笑みを浮かべていると言っても過言ではないその目付きに、応星は言葉を失う。白珠は何故か丹楓に応星と話すことの了承を求められたようだが、応星は「大切な話」というものを切り出された試しがなかった。
 白珠にその旨の話を切り出された日がいつ頃なのかを尋ねると、彼女はううんと小さく唸りながら懸命に頭を働かせる。あれは確か、十四日前、だったような────と彼女が言ったところで、応星はハッとした。

 十四日前、応星は確かに丹楓に声をかけられた。その日も仕事が好調で、終始気分が良かったのを覚えている。晴れ晴れとした空に機械鳥が飛び交っているのを見かねて、今日もいい天気だな、と暢気に思っていたのだ。一説によれば仙舟の一部の天気は龍尊の機嫌次第で決まるとの話があるが、実際のところは定かではない。一時期丹楓に訊いてみようかとすら考えたこともあったが、結局のところ応星は真実を知ることはなかった。
 そんなことがどうでもいいと思えるほど、応星は気分が良かったのだ。ちらほらと応星を見やる仙舟人の目が、普段通り応星の生まれを蔑んでいるとしても、この日ばかりは応星は寛大でいられた。
 何せその日は仕事を軽快に終えられた上に、五人で集まれる機会に恵まれたのだ。景元は鏡流と戦場へ赴くことが多く、白珠は相変わらず星槎に乗っては不幸に見舞われながらも無事に帰ってくることができた。応星が密かに想いを寄せている丹楓は、龍尊という立場上、普段から時間が取れることが少ない。
 ────つまり、応星が唯一何の気遣いもせず息抜きができる機会がやって来たということだ。
 そうして応星が足軽に待ち合わせの場所へと向かうと、既に白珠と丹楓が揃っていた。何やら話をしているようで、「今日の飲月はちょっと変ですよ、もっと楽しくいきましょうよ」なんて白珠が言っていたのを遠巻きから眺めた。さすがに横入れするのも無粋だろう、と彼は歩み寄る速度を落とすと、会話を終えた辺りで白珠が応星を見つけて声を張った。

「応星も来たんですね! あたしたちもさっき来たばかりで」
「お、さっき合流したのか? じゃああと二人ももう少しで着くかな」

 日中に集まれるなんて珍しいからな。────そう世間話に花を咲かせていると、応星の視界の端でふと、丹楓が揺れ動く。

「応、」
「────と、白珠、また今度時間取れるか? 作った作品を見てもらいたいんだが」

 丹楓がそっと手を伸ばしながら応星に声をかけようとしたのと同時、応星も思い立ったように咄嗟に白珠へと声をかける。ここ数日の仕事は好調ではあるが、応星は仙舟人とは違い、明らかに寿命が短い。今はまだ大丈夫だとしても、全員が集まったあとにはしゃいだ後で白珠に予定を聞く、なんていう些細なことを覚えていられる自信はなかった。
 白珠は優しい。応星が大人になったとしても、彼女は変わらず応星のことを弟のように、家族のように接してくれている。それは、両親と故郷を失った彼にとっては良薬のようで、いつの日か恩を返したいと思っていた。
 その気持ちと話の内容に関連性はないが、白珠はにこりと笑って「分かりました!」と了承する。日付と場所を話し合って予定を取り付けてから、応星は丹楓が声をかけようとしていたことを思い出して、丹楓へと視線を投げた。
 ────彼は少しだけ寂しそうな顔をしていて、応星が「丹楓?」と声をかけると、ハッとしたように肩を震わせる。

「さっき俺を呼んだろ? 何か話があったんじゃないか?」

 応星が話の場を設けようとして丹楓の顔を覗き込む。彼は無表情ではあるが、その顔に多少の寂しさや不安が見え隠れしているような気がしてならなかった。丹楓は応星に声をかけられたあと、恐る恐るといった様子で伏せていた瞳を応星に向ける。青い瞳が応星の心を揺さぶるほど、深く、美しかった。
 普段なら見せないような顔色と様子に、心配という気持ちと可愛らしいという感情を応星は掻き抱く。これは不純な気持ちが混ざっていると、慌てて気を持ち直せば丹楓は視線をちらりと白珠に向けてから首を左右に振った。

「いい…………もう、いい……」
「…………?」

 ────その後に景元と鏡流が待ち合わせに合流して、その日は皆の記憶にある通り食事をして他愛ない話をして、一日が終わった。
 丹楓が切り出そうとしていた話は、それ以来一切切り出されることはなかった。
 そしてその三日後。仙舟全体に広がる噂を、応星は初めて耳にしたのだ。