恋、患い2

「もしかして、あのときか……?」
「もうそれが原因としか考えられないんだけど」

 応星が顎に手を添えて眉間にシワを寄せていると、呆れたように溜め息を吐いた景元がじっと応星を見つめている。夕日に煌めく小麦の色をした瞳が怪訝そうに応星を睨んでいた。それが原因で丹楓が疎遠になったなど応星は納得がいかず、「そんな目を向けるなよ」とつい睨みを利かせる。丹楓も応星と白珠の関係性は把握しているはずで、幼少からのそれを今になって気にされるなど理解ができなかった。

「じゃあ他に何があるんだい。それに、最近の二人はやけに一緒に過ごすことが多いけど……その日も何の約束をしていたのかな」

 景元はあくまで優しく、応星の機嫌を損ねないようにと気を遣っていた。彼の指摘を食らって思わずぐっと口を閉ざしてしまう応星は、ちらと白珠へ視線を向けてみる。彼女はすっかり気分が良くなったようで、応星の代わりに自分が答えると言わんばかりに「応星はですねえ」と口を開いた。

「おい、やめ」
「あたしにずーっと飲月への惚気を話すんですよ~。鏡流や景元じゃろくに聞いてくれないだろうからって。一緒に食事に行っては飲月のどこが綺麗で、何が魅力的なのか」
「やめろ……」
「あの日はですね……応星が作った作品っていうのは、飲月に贈るもので……自信がなかったみたいで、あたしに相談してきたんですよ~!」

 応星が作るものなら何でも嬉しいと思うんですけどね、と白珠が明け透けに話したところで、応星は遂にテーブルに顔を突っ伏した。彼らも応星が丹楓に想いを寄せていることは知っているが、誰かに打ち明けなければ気が済まないほど拗らしているとは思わなかったようだ。それでいて今日を迎えている白珠に、「この料理も美味しいよ」と景元は差し出す。一種の労いで、彼女は嬉しそうに食事を進めた。
 応星も分かってはいるのだ。自分の感情を誰かに聞かせたところで何の解決にもならないと。それは一時的な解消にしかならず、彼に対する気持ちは落ち着くどころか増すばかりだと。
 応星が丹楓に物を贈っていたのは好意の表れだ。百冶の応星は正式な依頼の手順を踏まないと、まともに取り合ってはくれないと言われている。その理由は、応星の寿命が仙舟にいる他の誰よりも短いことと、武器を作ることに尽力したいからだ。彼が職人を目指した根本的な理由はあくまで「忌み者を全滅させること」で、他の誰かから認められたいからではないのだ。
 ────その応星が、唯一無償で、何の見返りもなく物を作り、贈っている相手が丹楓だった。
 初めは花瓶、次に装飾。一緒に酒を飲むことが多いから、と酒器の一式まで作って贈ったところで、ふと応星は自分の好意が変に思われていないか気になってしまった。友人として贈り物をするには頻度が高くないだろうか。丹楓本人に不快に思われてはいないだろうか────そんな不安が胸をよぎる。
 もしかしたら、もしかしなくとも丹楓は応星と仲が良いことを気にして、本当はいらないにも拘わらず、受け取っているのではないだろうか。
 ────実際に聞いてもいない不安が一度胸に募ると、そこから先は常に不安が付きまとっていた。ただ好きな相手に物を贈り続けているだけだが、不信感を抱かれたら一巻の終わりだ。そうなれば応星は倒れるまで鍛冶に没頭し続けてしまうだろう。
 そう思い、応星が何度も考えあぐねた結果、彼は身内のように親しい白珠に不安を打ち明けることにした。本当ならば景元や鏡流に話をしてもよかったのだが、応星の想像では親身になってくれるような姿を見せてはくれなかった。────その反面、白珠は応星の不安を打ち消すように何度も「これくらいなら大丈夫ですよ」と笑って肯定し続けてくれていた。
 ────そんな一連の出来事の話をすると、景元が納得したように「それでか」と独りごちる。うんうんと首を緩やかに縦に振ってから「馬鹿だね」と応星を罵倒した。丹楓がその程度で応星を嫌うはずがないだろう、と分かりきったような口調で言うものだから、応星は思わず「そうか……?」と呟く。向かいの席では鏡流が小さく「女々しいな」と言ったのが聞き取れた。
 女々しくて結構。そう唇を結んでから徐に手元の酒を口元に近づけていると、隣で景元が僅かに気まずそうな顔で「それでか……」と同じ言葉を繰り返した。その様子が少しだけおかしく思えて応星は首を傾げると、景元は鏡流に話を切り出す。

「師匠、この間のおかしな噂を覚えていますか……」

 慎重に、逆鱗に触れないように────そんな様子で鏡流に話を振りかけた景元は、彼女の反応を待った。鏡流は隣に座る白珠を軽く愛でたのち、少しばかり考えるような素振りを見せてから、「あの噂か」と怪訝そうな顔をする。熟れたリンゴのように赤い瞳が僅かに不機嫌そうに揺れた。

「何の噂だ?」

 それは今の婚儀よりも重要なことだったりするのか?────そう、応星は二人の間に入って疑問をぶつけた。自分が原因だと言われて始まった話で、自分を蚊帳の外に追いやられるのは気分が悪かった。
 しかし、景元は頭が痛いと言わんばかりに額に手を押し当てるだけで、答えてくれそうにはない。仕方なくちらりと鏡流に視線を向けると────、彼女は呆れがちにふう、と溜め息を吐いてから言った。

「あれは婚儀の噂が蔓延る以前の話だ────」

 その日は天気が良かった。偶然にも道端で出会した景元と鏡流、そして丹楓は息抜きがてら雑談を交わしていた。近々集まれるならまた食事でもしないかい、という景元の誘いに、珍しく機嫌のいい鏡流が頷く。彼女も忙しい身ではあるが、五人で集まろう、と言えばある程度は参加を決めていた。
詳しい日取りはまた後で決めるから。そう言って景元は丹楓の顔をちらりと見やる。彼は普段ならふたつ返事で了承してくれるものの、この日は何故かどこか呆けていて。景元の話も上の空だった。
 思わず「丹楓?」と名前を呼べば、彼は肩を震わせて咄嗟に「構わぬ、無理にでも時間を作ろう」と普段の口調で言い張る。丹楓は龍師たちを毛嫌いしているのだ。彼が時間を作ると言えば本当に無理やりにでも作るのだろう。
 その点では丹楓はいつも通りで、何の違和感もなかった。ただ、先程の呆けていた時間が気になった程度で、それ以上の出来事はなかったのだ。
 丹楓の様子がおかしくなったのは、その後だ。

 ────不意に鏡流がガンッと酒器をテーブルに叩きつけ、鋭い剣幕で応星を睨み付ける。

「応星、貴様が白珠と付き合っているという、根も葉もない噂が飛び出てきた」
「……………………はあ!?」

 鏡流が酒器を叩きつけたときの衝撃よりも遥かに強く、頭を殴りつけるような噂が応星を襲った。
 曰く、応星が懸命に白珠に相談している姿を、仙舟人の誰かが何度も目撃していたのだ。本人たちにその気はなく、あくまで家族間の付き合い程度のものではあったが、そのようなこと親しい間柄でもなければ知る由もない。仕事を終えた夜、たった二人で何度か食事に行く姿を見た仙舟人が、二人は付き合っているなどという噂を立てたのだ。
 ────当然、その噂をした仙舟人を鏡流は黙って見逃すはずがなかった。彼女は恐れられている鏡流に分け隔てなく接し、気の緩い笑みを向けてくる。それに少なからず好意を抱いている鏡流は、仙舟人の胸倉を掴んで撤回を申し立てた。
 本人がそう言っているわけでないのなら、証拠もないまま噂など立てるな、と。
 そのときの様子を、景元はぐっと何かを堪えるような仕草を取りながら言った。胸倉を掴んでいる様子を応星は見たわけではないが、不思議とその光景が思い浮かぶ。彼らは応星を短命種、白珠を星槎落としと称して好奇な目でこちらを見てくることがある。その二人ならお似合いだと言ってケラケラと笑っている様子を鏡流は見たのだろう。
 仙舟人と言えど尊厳を守るためなら殺しも厭わない────なんて剣幕で責められたら、応星ですら噂を撤回せざるを得ない。二人が付き合っているという噂が広がらなかったのは、彼らが早急に対処してくれたためだ。
 その点に関して応星は礼を言うべきだと、この場を借りて「助かった」と言った。白珠はと言えば自分が応星と付き合うなんてあるはずがないのに、と軽く笑っている。その言葉の意味を彼は真っ直ぐに受け取ってはいたが、裏を返せばそういった魅力がないのでは、という懸念点が生まれた。
 ────だが、問題はそのあとだ。景元は気持ちを落ち着かせるように水を一口飲んだ後、重々しく口を開く。

「事態は収束したんだけど、偶然────本当に偶然居合わせて聞いてしまったんだ」

 両手を組み、彼は陰鬱とした雰囲気で語った。勿体ぶるような言い方に遂に応星が彼を急かすと、景元は困ったように応星を見やる。

「丹楓が、君たちは付き合っているという話を」
 
 事態は収束したはずだった。仙舟人に撤回をさせに走らせてから、景元は「根も葉もない噂だよ」と宥めるように言う。応星と丹楓本人は気が付いていないようではあるが、丹楓も応星に気があるような素振りを見せていた。彼らの距離感は誰がどう見ても近すぎるもので、本当に付き合っていると噂をされても仕方がないと思うほど。────だが、当の本人たちはそれぞれ想いを隠しているようで、見守っているこちらがやきもきしてしまうことが常だった。
 ────或いは伝えるつもりがなかったのだろう。応星は短命で、丹楓は持明の、龍尊ときたものだ。圧倒的な寿命の差と立場の違いは、彼らにとって大きな問題だ。軽率に口にしてしまえば、関係性が壊れてしまうことも有り得る話なのだ。
 もしくは本当に、互いに自分の気持ちに気が付いていないだけという場合もあるのだが────、部外者が口を挟んで無理に解決させる話ではないだろう。
 ────とあくまで見守っていただけの立場を貫いていたのが間違いだったのかもしれない。

 景元の言葉を聞いた丹楓は、「分かっている」と一言呟くだけだった。
 酷く悲しそうな顔をして、蚊の鳴くような声で分かっていると、独り言のように呟くだけだった────。