俺の部下の愛が重い1


 ――彼らは元よりこの世界の住人ではない。彼らのいる故郷はこの世界とよく似ている別の場所だ。彼らは決まった形式で招待を受け、ある日を境にこの地へとやって来た。極力彼らが混乱しないように『主』と呼ばれる者がこの世界のルールを定めたものの、時折こうして反逆を企てる人間が現れるのだ。
 話を聞くに、彼らはこの世界のルールに従う気がなくなっているらしい。初めの頃は気持ちがいいほどにハッキリと肯定の意思を見せたものの、いざそのときが来ればどうやら気持ちが揺らいでしまうようだ。

「どうして……何が楽しくて、愛した人をもう一度、殺さなきゃならないんですか」

 涙を堪えるかのように彼は言葉を絞り出し、そのままぐっと歯を食い縛る。碧眼が微かに憎しみの色を湛えていて、男はそれを赤い瞳で見つめていた。男の瞳に宿る感情は汲み取れず、ただ見下ろしているその目は酷く冷め切っているようにすら見える。獣のように鋭い縦長の瞳孔が、ほんの少しだけ開いたような気がした。
 そして男は、その疑問に応えるかのようにコートのフードを目深にかぶりながら口を開く。

「では――何故、お前はその『愛した人』とやらを殺したんだ?」

 純粋な疑問。小首を傾げながら呟かれた男の言葉に、彼の瞳が大きく揺れる。それは、と小さく口ごもり、男の疑問に対する返答を紡げないでいた。
 ――この世界に招かれる人間は二種類いる。それが、誰かに殺された者と、誰かを殺めた者だ。男の下につく人間は誰かを手にかけ、殺してしまった者たち。誰を殺めたのかなど大した理由にならず、誰かを殺したという実績を持つ者だけが、男の配下につくことが許されている。
 そうして招かれた人間は、数ヶ月に一度、敵対する者との戦闘に身を投じなければならなかった。その相手というものが――何らかの理由で誰かに殺されてしまった人間たちだ。
 森を隔て大きくふたつに分かれている大陸は、殺された者と殺した者でそれぞれ住む場所が異なっている。陸地や環境、衣食住は彼らの故郷と全く同じものではあるが、殺し合いが始まるという点だけは慣れがたいものだろう。
 ――それでも。男は確かに説明をしていたはずだった。この世界にやって来て間もない頃、右も左も分からない彼に向かって男は言った。「ここでは数ヶ月に一度、殺し合いがあるが、その覚悟はあるか」と。その問いに、彼は確かに多少の興奮を交えながら「問題ない」と答えたはずなのだ。
 それなのに、彼は一度殺し合いに身を投じた際に、その姿を目にしてしまったのだという。自分が最も愛したという、人間の姿を。

「後悔が募ったか? ならば何故、それを殺めた? お前が殺さなかったら、お互いここにはいなかったはずだが」

 いくら待てど彼からの返答はもらえず、痺れを切らした男は言葉を並べる。先程と変わらない純粋な疑問は、男の好奇心から来るものだ。初めは意気揚々と殺し合いに投じたくせに、こうも簡単に手のひらを返せる人間が珍しくて仕方がなかった。
 男は知っている。彼が嫉妬からその愛した人間を殺したことを。そうして自分のものになったと興奮して、狂気に身を染めたことも。一度染みついた汚れは落ちることはない。彼がいくら後悔しているとしても、彼が人を殺めたという事実は一切消えることがない。

「怖じ気づいたか。自分より遥かに人を殺し慣れている人間を目の当たりにして」

 冷めたかのように男が呟くと、彼が小さく口を開閉している。はくはくと何度も言葉を紡ごうとしているが、その言葉はことごとく空気となって消えていくだけだった。
 しかし、一度でも人を殺めた犯罪者は、どこへ行こうとも罪を抱えて生きていくしか他ないのだ。あのまま彼は自分の故郷で生きていれば、いつの日かその罪は暴かれ、然るべき処置を受けることになっていただろう。その罪を隠して生きても良いというべく、彼はこの世界に招待されたというのに、――彼は気持ちが揺れ動いてしまったのだ。
 そのことは他でもない彼が十分に知っているはずだ。それでも意志が揺らいでしまうのは、人間としての性か、男には理解できなかった。

「分かっているはずだ。お前はもう普通にはなれないと。だからこそ招かれたのだ。何故、主の意向に背いた?」

 先程は答えられなかった同じ問いを繰り返す。男の言う『主』は、この世界を作り、ルールを定めた人物だ。その人物に付き従い、忠実に動く存在が他でもないこの男であり、彼らからは「ボス」と呼ばれる立ち位置にある圧倒的な存在となっている。
 男にとって『主』からの命令は絶対。『主』に対する反逆心は、男の逆鱗に触れるのと全く同じ意味になる。言葉の端々に滲む、男の隠された怒りは彼の肌をゆっくりと撫でた。『主』の意向は、彼らにとってある種の慈悲にも等しいのだ。
 男が同じ問いをしてから凡そ数秒――彼は一度だけ歯を食い縛ると、キッと男を強く睨み付ける。

「意向? 慈悲? そんなもの、聞こえの良い建前だ……っお前らは俺たち人間をただの道具としか見てない、精神異常者だろ!」

 意を決した叫びにも似た怒号が彼の口から放たれる。涙に濡れる彼の瞳は、もう恐れを抱いていなかった。代わりに、目の前にいる男が心底憎いと言いたげだ。睨むために細められた瞳から、涙が一筋溢れたように見える。
 彼は言った。人間たちを集め、殺し合いをさせるなど頭のイカれた遊びだと。それに堂々馴染んでいる仲間と称される者たちも精神異常者の集まりだと。こんなことに巻き込まれるなら死んだ方がマシだった、と男の下で強く言い放った。
 風が吹き、木の葉が揺れる。草木が立てる音は冷め切った空気を切り裂くようではあったが、男は依然、彼を見下ろすだけだった。
 ――否。冷め切っている男の赤黒い瞳は、静かに怒りを湛えていた。獣のように細い瞳孔が少しずつ、確かに膨らみ、開かれていくのが分かる。その証拠に、彼は自分が言葉を吐ききったあと、周囲の気温がぐっと下がったことに気が付いた。日が高く昇っている明るい時間だというのにも拘わらず、まるで真夜中の秋のように冷たい空気が肌を撫でてくる。
 彼の怒号は、男の怒りを強く踏み締めただけだったのだ。彼の怒りは、主張は一切目の前の男には刺さらない。
 ――それも、当然のことだった。

「理解ができない。貴様、己の罪を棚に上げ、身内のみならず『主』のことを異常者と宣ったな? 俺からすれば――愛した人間に手をかけた貴様の方が、異常だと思うが、違っているか?」
「あ……、そ、れは……」

 彼はあくまでこの世界に招かれた一人の人間だ。それも、誰かを殺めたという実績を持った上で。そのことを忘れ、自分の周りの人間を、男を、『主』を異常だという。
 その主張は、男にとってただの我が儘でしかなく、自分が仕えるべき『主人』を侮辱するためだけの言葉でしかなかった。そこに正当性も、男を納得させ、見逃してもらえるだけの意味など含まれていなかったのだ。ただ――、己の主張をしたいだけの言葉の羅列に、男の興味が削がれていく。
 所詮人間は裏切りを働く生き物だ。正当性のない根拠に意識を奪われ、それが正しいものであると誤認してしまう。男はそういった人間を何人も見てきた。初めは誰もが面白そうなものを見つけたと言わんばかりに、男の言動に賛同する様子を見せた。もちろん、男もそういった人間は誰であろうと受け入れ、平等に接してきた。
 男にとって仲間とは、子供のような存在に思えていて。だからこそ男は彼らを皆、平等に愛してきた。どんなに愚かで、道を踏み違えた人間であろうとも、受け入れ意味を与えてやった。
 自分にとって『主』が絶対的な存在であるのと同じように、男にとって身内とは愛してやるべき存在であると。――そう信じて疑わなかった。
 だが、そんな男に反して、人間は唐突に手のひらを返し、敵意を露わにし始める。まるで男が行っていることの全ては無意味であり、間違っていると言わんばかりに刃向かってくるのだ。
 そういった人間を、男は等しく受け入れていた。最後まで自分が面倒を見なければならないと言わんばかりに、受け入れ――そして、その手で屠ってきたのだ。

「お前たちは本当に愚かだ。『主』に逆らうなど、許されるはずもないのに」

 男は体を踏み締めている足に力を込めた。口調こそは落ち着いているように聞こえるものの、その足に込められた力は計り知れない。足下にいる彼は、咄嗟に男の足に手をかけるが、指先に力がこもらず裾を掠めるだけだった。
 男の怒りに同調するよう、彼の真下にある影が妙に蠢き始める。すると、同時に森中から鳥たちが飛び立ち、見えない獣たちが逃げ惑うように辺りの草木が大きな音を立てるのが分かった。ガサガサと走る音、警告を促すようにギャアギャアとけたたましい鳥の鳴き声。彼は死を悟り、「畜生」と小さく苦し紛れに呟く。
 何か言い残すことがあるかと男が問えば、彼は一度だけ強く目を閉じた。眉間にシワを寄せ、痛みに耐えるかのように額に汗をかいていく。その汗がゆっくりと顔の輪郭をなぞり、耳の方へと伝っていくのを見送っていると、――彼は言った。

「――化け物がッ」

 ――瞬間、彼の胸を槍のように鋭い刃が貫く。地面から突き出したそれは影のように暗く、何色にも染められない黒一色に染まっている。彼の体は一度だけ大きく痙攣したあと、そのまま静かに息を引き取っていった。
 碧眼はみるみるうちに光を失い、憎しみに染まっていた瞳は虚空を写す。言葉を紡いでいた口元からは一際大きく赤い血液が溢れたかと思えば、ピタリと止まってしまった。男の足に絡みついていた彼の手は、力なく地面へと向かって落ちていく。――その手は地面に触れることもなく、真下に広がる影へと呑み込まれていった。
 気が付けば影は墨を溶かしたかのように黒く、深く色付いている。それが、足下で息絶えた彼の体を少しずつ、しかし確実に呑み込んでいった。時折骨が折れるような音が森中に響き渡り、その度に未だ沈みきらない彼の体がビクリと震えている。
 男はそれを、ただ黙って見つめているだけだった。 
 

 「化け物」――そう、彼が最期に呟いた言葉が男の頭の中に残り続ける。どれだけ見た目を人間に近づけようとも、彼らにとって男は未知の生き物でしかないのだ。人間は自分の理解を超えた未知の生物を恐怖の対象として見る節がある。その対象に男が当てはまるようで、男に詰められた人間は揃いも揃って男を「化け物」と罵った。男はその言葉に対して傷付いているつもりはなかったが、妙に息苦しさを覚えて静かに胸元に手を添える。音も伝わらない胸ではあるが、急速に冷めていく体温が「傷付いている」という事実を物語っていた。
 何もその蔑称に男は傷付いているわけではない。野生の獣が人間に警戒心を抱くのと同じように、男は人間に嫌われる運命にあった。人間の見た目をした奇妙な何かであることは他でもない男自身がよく分かっているが、人間も皆、本能的に男に対して恐怖に似た感情を掻き抱くようだった。男がいくら人間を平等に愛したとしても、彼らは男に対して「裏切り」という形で拒絶をしてくる。決して愛されない生き物であると裏付けるように、誰も彼もが男を裏切り、男の手によってその命を刈り取られた。
 これが、男が人間にしてやれる、最大の慈悲だった。たとえ見逃したとしても、いずれは邂逅を果たし、未だ男を信頼している身内の手によって死に至る。――そうなる前に誰にも知られることもなく殺してやるのが、最善の選択だと男は疑わなかった。
 そうすることでいくら自分が傷付こうとも、他の誰かが傷付くよりは遥かにマシだと、思っているからだ。
 たとえ、自分が一生愛を返されなくとも――。

「…………」

 ――そう思ったところで、ふと男は目を細めた。眼下では亡骸が既に影に呑まれ、あと指先といったところまで沈んでいる。一切の痙攣はなく、流砂に呑まれるようにその体が見えなくなったところで、男は小さく喉を鳴らした。――嚥下だ。

「…………例外がいたな……」
 ポツリ、自分が悶々と考え込んでいた思考に対し、男は呟きを洩らす。人間に裏切られてしまう体質上、自分は決して愛されることがない存在である――その考えを真っ向から否定し始めたのも、男だった。