────代々龍尊、飲月君は仙舟との同盟関係をよりよくするために、「婚儀」という習わしがあった。
仰々しく行われていたそれは、いつしか最少人数で粛々と行われるようになり、一晩共に過ごしてお互いの信頼関係を凝固するという目的がある。そうすることで仙舟は民を守るために尽力を尽くせるようになるのだ。
たった一晩、寝食を共にするだけ。そこに深い意味はないのだが、────それを決めるのは当の本人たちだ。形式だけの婚儀だとしても、執り行えば以降の時間には龍師たちが訪れることはなく、たった二人だけの時間を過ごすことになる。普段の流れをいうのなら、龍尊と将軍の間にはただの信頼関係だけが築かれているはずだった。
────しかし、それを打ち破ったのが雨別の代だ。
先代将軍は人望が厚く、誰からの信頼も得ていた。ここぞとばかりに人をまとめあげ、仙舟人を守る彼の姿は、誰から見ても立派な将軍だった。当代の将軍は何の弱点もないとさえ噂されたほどだ。
その将軍が、龍尊である雨別に心を奪われていたという話が、ある書物に記録されている。彼は人間離れしたその美しい容姿の龍尊に惹かれ、対等な信頼関係を築いていた。雨別もまた彼のことを信頼しており、互いの仲のよさは誰もが周知をしているほど。
そんな彼らが、婚儀のあと、特別な一夜を過ごしていたという話が囁かれている。確たる証拠など存在しないものの、婚儀以来やけに距離が近くなった二人を目撃する龍師たちの証言はいくつも上がっていた。
特別な仲になろうが何だろうが彼らには関係はないのだが、より強固となった信頼関係に喜んだ仙舟人は、丹楓にもそうなることを望んでいる節がある。仙舟を代表する将軍との仲が深まれば、持明族との関係は良好のままであると────そう思っているのだ。
────しかし、そのときを迎えたとしても丹楓は婚儀を挙げることを拒み続けていたのだという。
────ダンッとテーブルに力強く打ち付けられた酒瓶に、白珠は驚き肩を震わせる。賑わいを見せる金人港の一角では、周りの雰囲気を損ないかねないほど殺気だっているのが誰から見ても分かった。極力人目のつかないような席を選んだつもりなのだが────、彼の言動に白珠は何度も自前の尻尾を膨らませている。
夜の金人港は昼間とは異なった賑わいと、周りの明るさで目を惹いた。昼間では忙しなく空を飛び交う機械鳥も、星槎も、極力その身を休ませている。転々と町を彩る明かりと夜空についつい酒を呷る手が進むものだが、応星は何をしていても気分が晴れることはなかった。
どうにか気持ちを晴らすために白珠を食事に誘ったのはいいものの、人が集まる金人港で食事をするのは間違いだった。外ではなく室内を選んだまではよかったが、どこもかしこも話は「龍尊様の婚儀」で持ちきりなのだ。
長い間待たされていた分の期待と、野次馬のような会話の端々が応星の耳に届く。その度に彼は体の奥底から黒々とした何かが湧き立つような不快感を得て、何度も拳を握り締める。気持ちを晴らすためにと選んだ食事は、応星の神経を逆撫でする劣悪な場所へと変わっていた。
「落ち着いてください、応星……あなたが飲月のことを好いているのは知ってますが、彼らには非はないんです……」
こそこそと耳打ちをするように白珠は口元に手を添えて、小声で応星を宥める。
いつからか、白珠は応星が丹楓に想いを寄せていると知っていて、応星に「気持ちは伝えないんですか?」と目を輝かせながら訊いた。当然、隠しているつもりだった応星は、目を丸々とさせてから「何で」と問えば、彼女は不思議そうに首をかしげて「皆知ってますよ?」と言う。
「応星はとっても分かりやすいんです。あれだけ周りに牽制してたら嫌でも気付きますよ」
────そう告げられてから応星は、本人の前以外で自分の感情を隠すのをやめた。どうせ気付かれているのなら隠す必要もないと思ってのことだ。だからといって明け透けに全てをさらけ出すわけでもないが、それでも一人で悩みを抱えるよりは気持ちが楽だった。
特に白珠は幼少期と同じよう、応星に構うことが多かった。まるで、小さい頃から見守ってきた弟に春が来ていることを心底喜んでいるようだった。それに甘え、応星は丹楓が如何に魅力的で、誰から好かれてもおかしくないという旨の話をした。
丹楓の一番の親友は自分で、丹楓の隣に居座りたいのなら自分を殺してでも奪ってみせろ、だなんて言った。
────そうして胸の内を話せば話すほど、抱えていたものが軽くなったような気がして、鍛冶に身を投じる時間が楽になった。今までは一人で悩み、考えていたことを打ち明けることで、雑念が混ざらなくなった。
武器の出来は上々、依頼は好調。このまま上手くいけばまだまだ新しい武器を生み出して、忌み者を屠るのも夢ではないとさえ思っていたのだ。
────近頃、丹楓が工房にも姿を現さなくなったと、気が付くまでは。
「婚儀はあくまで形式だけの儀式で、応星が懸念することはないはずですよ……」
ぽそぽそと白珠は周りに聞こえない程度の声量で、応星に声をかけ続ける。彼は突っ伏していた顔をゆっくりと上げるが、白珠が顔を見るや否や眉間にシワを寄せて「酷い顔をしてますね……」と言った。目元には隈ができていて、心なしか頬は少しばかり痩けているようにすらも見える。普段なら愛想がいいはずの目付きは、今にも人を殺しかねないような鋭いものへと変貌していた。
ほら、料理も食べてください。そう言って白珠はテーブルに置かれている料理の皿を応星の方へと突く。応星は白珠と共に金人港に来てからというものの、料理の類いには一切手を付けず、ただ一心不乱に酒を呷っていた。空きっ腹にお酒は駄目ですという彼女の忠告を全て無視して、酔うべく酒を飲み続ける。
────しかし、何の因果か。遂に応星は酔うことはできないまま、白珠に水を勧められるほどにまで瓶を空けてしまっていた。
「折角の料理です、食べてください。このままじゃ倒れますよ」
そう忠告を受けてから、応星は漸く重い手を上げて、箸で料理をつまみ上げる。一口で食べきれる程度の量をゆっくりと口へ運び、気が重いまま咀嚼をする。ピリリとした辛みが応星の目を覚まさせるように、舌の上を走った。米が欲しくなる適度な辛さに、彼は小さくほうっと溜め息を吐く。どうやら食欲はあるらしいと判断した白珠が、追加の料理を注文した。
白珠は心配することはないと何度も言うが、応星はどうしても気持ちが晴れないままだ。噂を耳にして以来、今まで順調に思えていた鍛冶は殆どが手に付かなくなり、依頼は溜まる一方だ。頼まれていた図案もろくに考えがまとまらず、何日も頭を抱えて続ける始末。
その応星の姿を見かねた弟子からは、いよいよ寿命なのでは、と囁かれているほどだった。
いくら短命種であるとはいえ、応星はまだまだ数十年は余裕で生きられる歳だ。本来なら「そんな下らないことを言ってないで、手伝うなら手伝え」と叱咤を飛ばしてやるものだが、────今回ばかりは到底言葉を交わす気にはなれなかった。
再会して以来────恐らく幼少期から応星は丹楓に惹かれ続けていたのだ。朱明に戻り、鍛冶に専念すべく工房を得たのも忌み者を屠る武器を作るため。その次に丹楓が言っていた「其方が打った武器で戦えることを楽しみにしている」ことを実現させるためだ。
そのために応星は人生を賭けて鍛冶に尽力してきた。極力丹楓を思い出さないよう、応星はわざと自分を嘲笑う仙舟人の元へ赴いたりもした。そうでなければ浮かれて鍛冶もままならなくなると、本能的に悟っていたからだ。
彼はあまりにも魅力的だった。復讐心にばかり気を取られていた自分が、初めて美しいと思ったものを目にした。彼を守る武器を作るとなると、今まで育て上げてきた復讐心が崩れてしまいそうで、極力考えないようにもした。
鋭さのない武器はいとも容易く壊れてしまう────そんな懸念から、応星は自分が立派な職人になれるまで、感情を見て見ぬふりをしてきていたのだ。
それなのに。
────自分の知らない奴と丹楓が結婚を挙げるなんて、許せるわけがない。
ギリリと箸を握る手に力がこもる。応星の体を這いずる不快感がそうさせているようで、手中で箸はミシミシと小さな悲鳴を上げていた。頭ではそれが同盟をよりよくするのには一番だと分かっているものの、応星の心がそれを良しとはしないのだ。
「応星ってば…………でも変ですね……今まで拒み続けていたのに、どうして飲月は承諾したんでしょう?」
彼のことだから龍師に大人しく従った、というわけではないと思うんですけど。そう首を傾げて白珠は料理に手を伸ばす。ぱくりと頬張った料理に美味しいと尻尾を振って、彼女は酒を呷った。儚げな見た目とは裏腹に気丈な白珠は、やはり印象とは異なって想像よりも酒を飲んでいく。薄ら頬は赤くなっているように見えるものの、応星とは違って冷静で酔っているようには見えなかった。
彼女のふとした問いに、応星も確かに疑問を募らせていた。
婚儀が予定されているのは数日後だ。あまりにも急すぎる日付ではあるが、噂を聞く限りではその儀式は随分と前から予定がされていたらしい。その予定を丹楓は何らかの理由を付けて一蹴し続けて、────先日とうとう折れて承諾したという話を聞いた。応星を始めとする仲間たちはこぞって丹楓の元へと駆けつけたが、元より応星は龍師たちからはいやに嫌われている。「話すことはない、飲月君はお忙しい」の一点張りで彼に会うことはできなかった。
これは単なる儀式。────分かっているはずなのに、焦る心が応星の理性をぼろぼろと崩していく。本当に結婚するわけでもない、誰かのものになるわけでもないと思考を働かせるのに、そのたった一晩だけ誰かのものになる丹楓を応星は受け入れられなかった。
頼むから話だけでもさせてほしい。────自らを滑稽だと思うほど、応星は真摯に懇願をした。普段あれだけ傲慢な態度を見せびらかしているというのに、このときばかりは頭を下げてまで頼み込んだのだ。
詳しく話を聞いて、あわよくば丹楓には相手に対する特別な感情などないという話さえ聞ければ、心は落ち着きを取り戻せそうだった。────その様子を、白珠と景元は心配そうな目で見守っていて、鏡流は澄ました顔で腕を組んで見ていた。
しかし、龍師から投げられた言葉は「仙舟人でもないくせに」と、応星を否定するものだけだった。
「────仙舟人だったら話くらいさせてくれたってか!?」
「落ち着いてくださいってば応星~! ほら、料理が来ましたよ! 何なら鏡流や景元も呼びますか?」
さすがに一人では手に負えないと判断した白珠がそれぞれに連絡を取り始める。折角だから一緒にご飯でもどうですかと懸命に話している彼女を横目に、応星は再び酒を呷った。じりじりと焼け付くような熱い液体が食道を通り、胃へと収まっていく。その感覚にいくらか気分は晴れるものの、蔓延る噂が嫌でも耳に入って気が散っていった。
新しく追加できた料理に手を出して衝動的に食事を進める。先程までは特に食欲が湧いているわけではなかったのに、龍師たちへの怒りを思い出してからは堰を切ったかのように食欲が湧いた。まともな食事を摂らなければ反抗する気持ちも起きないと、体は分かっているようだ。
「話を戻しますけど……応星は飲月から聞いてないんですか? 貴方は飲月と親しいでしょう」
半ばやけ食いを始めている応星を見ながら、連絡を終えた白珠が不思議そうに訊ねてきた。自他共に認めるほど丹楓と親しいのは応星であると、彼女は言っているのだ。
彼はそれに、口の中のものを飲み込んでから「いや」と首を横に振る。
「何も聞いてないんだ。それに……最近はあまり話をしなくてだな……」
「え!? 応星、飲月と喧嘩でもしたんですか!?」
「してないが……タイミングが合わなくてな」
口の端に付いた汚れを指先で拭って、応星は小さく笑った。
────思い返せば丹楓と話すタイミングを見失ってから、それなりの時間が経っているような気がする。何度も五人で集まることがあったはずなのに、一日二日と日を跨ぐにつれて、応星は丹楓の顔を見る機会が減っていた。
その頃には応星の仕事が軌道に乗っていて、何を任されても傑作しか生み出せないと豪語できるほど調子が良かった。普段なら二日や三日、時間をたっぷり使って書き出す図案も、そのときばかりは数時間から一日で仕上げられた。武器の製造も、新しい方法があるのでは、と試してみて成功を収めてから気分が良かった。
こんな状況に入っているのに手を休めるわけにはいかない。────そう思ってから必死に工房で作業をしている間は、不思議なことに丹楓は応星の元を訪ねてくることはなかった。丹楓は不定期に現れては応星に休憩を勧めてきていたが、それでも応星が鍛冶に没頭することを邪魔することはなかったのだ。今回訪ねて来なかったのは、その延長戦だと応星は思っていた。
────そうして仕事が一区切り付いた頃に、気紛れに小物でも作ろうかと着手したときだった。ここ最近の話題である婚儀の噂が立ったのは。
もしかしたら丹楓はこの婚儀が原因で姿を現さなくなったのかもしれない。思えば応星が丹楓に会話をしようとしたとき、大抵彼は龍師たちと会話をしていた。応星には丹楓の邪魔をする理由がない上に、応星は短命種だからと龍師に邪険にされている。ここで反発を起こすのもどうかと思って何度もその場を後にすることがあったが────、それは間違いだったのだろうか。
────そう頭を悩ませていると、応星の視界の端にある隣の席に、ポンと手が置かれるのが見えた。