恋、患い4

 ────そう意味がありそうな一言を洩らして、夢を晴らしたあと、一度でも眠りに就けば何度でも丹楓は現れた。時には鱗淵境で、またある時には応星の家で酒盛りをしていた。その度にハッと意識を取り戻して冷たく突き放せば、彼は大人しく夢と共に姿を眩ませる。
 それを何度も繰り返すうちにさすがの応星も罪悪感が込み上げていて、目覚めると決まって居心地が悪かった。一体何が原因で想い人と全く同じ姿形をした存在を突き放さなければならないのかと、一人で頭を抱えたほどだ。一度でも会話を試みてやろうかと思いもしたが、そうすれば取り返しのつかないことになるような気がしてならなかった。
 彼は何度でも会いに来て、突き放される度に落ち込むような素振りを見せる。いくら夢だと分かっていたとしても、落ち込ませるのは本意ではないのだ。
 ────そうして応星が辿りついた結論は、極力眠らなければいいというものだった。彼自身、立て込んでいる鍛冶が一向に終わらないから何度も徹夜をしたことがある。どれほど体に負担をかけようとも、丹楓を悲しませるよりはマシだという結論に至った。
 その結果として景元に心配をされてしまうという、奇妙な出来事に苛まれているものの、罪悪感で頭をおかしくするよりは遥かにマシだった。
 夢を掻い摘まんで景元へ告げれば、率直に馬鹿だという感想を投げられた。罪悪感を募らせるよりも、体を追い込む方が危険であると、至極当然の話を食らわされる。君は百年程度しか生きられないのだから、もっと体を労るべきだと何やら説教じみたことを言われてしまった。
 そうしている間に鏡流と白珠が遠くから駆け寄って来るのが見えた。どうやらこの無謀な出待ちを景元がこっそりと連絡していたらしい。白珠は応星の顔を見るや否や、酷い顔をしていると尻尾を大きくして驚いていた。今朝からずっと張っているが、屋敷から丹楓が出てくるような気配は一切ない。さすがに少しずつ騒ぎは大きくなり、いつしかバタバタと龍師が廊下を駆けていくのが見えた。

「…………何だ? 何か随分と騒がしくなってるが」
「ううん……少し遠いですね……ちょっと近付いてみましょうか」

 気が付けば白珠も出待ちに乗り気で、興味津々といった様子で木陰から屋敷を覗き込んでいる。彼女の提案で四人揃って少しずつ屋敷へと近付いてみれば、足音に混ざって「飲月君が」「時間はとっくに」などといった声が聞こえてくる。
 丹楓は龍師たちの目を掻い潜って応星たちに会いに来ることはあったものの、約束事や業務に関しては遅刻をしたことがない。遅刻をすれば龍師たちに小言を言われると以前呆れたように愚痴を洩らしていたことを、応星は知っている。その丹楓が、婚儀という大切であろう儀式の当日に一向に姿を現さないなど、有り得ない話だ。
 しかし、現に何かしらの問題が起こっていて、その発端は丹楓にある。有り得ないと分かっていても何が起こっているのかを知りたくて、応星はそうっと木陰を覗き込んで屋敷を見た────。

「……っ」

 ────瞬間、応星は背筋にゾクリと悪寒が走ったのが分かる。どこからか殺意をそれとなく含めた鋭い視線が向けられているような気がして、思わず辺りを見渡した。景元や鏡流も戦場に身を投じるからか、それには気が付いているようで軽く辺りを見渡しているのが分かる。唯一白珠だけは大きな耳を活かして会話を聞こうと懸命に努力していた。

「もう少し…………ええっと……」
「応星、応星あそこ、彼女だ」

 白珠が聞き耳を立てている中、景元が軽く応星の背を叩く。視線を投げれば景元は屋敷の方へと指を向けていて、その指を辿れば慌ただしい屋敷の中で唯一じっと、応星を睨み付けている持明族が視界に入った。少しばかりの憎しみを込めた鋭い視線が、確かに応星へと向けられている。
 それに気が付いた応星は、彼女に視線を投げ返すと────彼女はくるりと踵を返して背を向けてしまった。

「何だったんだ……?」

 思わず応星が首を傾げていると、景元は何やら思い当たる節があるようで、眉を寄せて眉間にシワを作っている。彼女はどこかで見たような、なんて独り言を洩らしていると、会話を少しずつ聞き取っているらしい白珠の様子が少しだけ変わった。

「飲月……飲月、が…………」

 目を覚まさなくなった────。
 そう白珠が呟いた瞬間、地面を踏み締める音が背後から鳴った。
 誰もが白珠の一言で意識を奪われていたが、鏡流だけは一度だけ剣を取る素振りを取った。────しかし、背後にいたのはつい先程応星にだけ鋭い視線を投げていた持明族であり、自分に敵意はないと判断してそっと手を下ろす。仙舟人には危害は加えないが、唯一応星にだけは殴りかかってきそうな敵意を向けてきていて、彼は思わず息を呑んだ。
 彼女は屋敷を覗き込んでいる誰の目にも触れずに、四人の背後へと回ってきた。つまりここには隠れ道があり、彼女はそれを使って内密に四人の元へと近付いてきたのだろう。一般の持明族であれば応星を見た瞬間に怪訝そうな顔をして、わざと屋敷の全員に知らせようとするはずだが、彼女は何故かそれをしなかった。
 彼女は背後へとやってきて、その眼光を応星に投げ続けては何かを思案するように唇を開閉する。一度だけ唇を噛み締め、わなわなと拳を振るわせて何かと葛藤しているようだ。
 その様子を見て、ふと、景元が言った。

「思い出した、彼女は丹楓の側仕えの持明族だ」

 以前丹楓に用があって会いに行ったときに見かけたことがある。────彼はそう言ってじっと彼女を見つめている。以前に紹介を受けたときはもう少し冷静な人だと思っていたけれど、と景元は言うが、応星から見た側仕えは今にも応星に殴りかかってきそうに見えて仕方がなかった。思わず体は強張り、攻撃に備えての防御の姿勢に移る。
 しかし、景元の言葉が本当ならば、彼女は丹楓の傍にいるべき存在だ。その彼女が堂々屋敷内を彷徨き、外へと出てきたということは、丹楓がいないのか────或いは丹楓の身に何かがあったのだろう。その証拠に彼女は感情を露わにしているが、一度だけ深く息を吐き、気持ちを整えようとする。ふう、と吐息が聞こえたあとに見た彼女の顔付きは、恐ろしいほどの真顔に変わっていた。
 持明族は感情を隠すのが上手いのか、それとも丹楓の周りがそれを徹底しているのか。妙な感心を胸に秘めていると、白珠が言う。

「飲月が目を覚まさなくなった、ってどういうことですか……っ」

 先程聞き取れた会話を元に彼女へと白珠は問いかけた。龍師たちに見つかれば追い出されかねないと判断しているのか、極力声を抑えて外には漏れ出さないように気を遣っている。彼女の突然の来訪にすっかり抜け落ちかけていた話題を拾い、応星は後を追うように「詳しく教えてくれないか」と告げる。仙舟人からは小馬鹿にされている応星が口を出せば会話は成り立たないことが予想されたが、それでも応星は口を出さずにはいられなかった。
 好きだと思っている意中の相手が、目を覚まさなくなったと聞かされて正気でいられる自信がないのだ。話を聞くためなら、応星は今この場で頭を地面に擦り続けてでも懇願する勢いだった。
 幸いなのは、────彼女にその意思がないことだ。
 彼女は白珠の問いを聞いてから、応星の声を聞いてそれぞれに視線を投げる。冷静さを保とうとする意思が拳に表れていて、頻りに強く握り締められている。彼女は周りの持明族に比べれば慌てた様子はないが、やはり応星が憎いと言わんばかりの視線を投げ続けていた。
 そして、応星の顔を見て呆れたように呟く。

「貴方も顔色が随分と悪いですね。まるで────近頃の飲月君のように」
「丹楓……丹楓が何だって!?」

 彼女の言葉は応星が何よりも聞きたかった丹楓に関することだった。いても立ってもいられず、咄嗟に声を張り上げれば、白珠が「声が大きいですよ!」と背中を叩いてくる。応星がこの場にいる────たったそれだけのことで、龍師たちはこの混乱の中に更なる騒ぎを起こしかねない。
 ハッとして口元を抑えるものの、時既に遅し。向こうから声がしたと誰かが声を張り上げたのが聞こえて、全身の血の気が引いていくのが分かった。ここで追い出されてしまえば、暫くの間は応星はこの屋敷に近付くことも許されなくなるだろう。ただでさえ誤解を解けないままでいるのに近付くこともできなくなるなど、応星は許せなかった。
 いっそのこと何人かの意識を奪ってやろうかと思ったものの、事態を重く見ている彼女が小さく「ご案内します」と呟いたのが聞こえた。バタバタと足音ばかりに気を取られかけていたが、彼女の澄んだ声色は、どの音よりも聞き取りやすかった。

「い、いいのか……?」
「不本意ではありますが」

 これまで邪険に扱われてきた応星は、彼女の言葉が俄には信じられず、思わず困惑してしまう。あれだけの敵意を向けておきながら案内をするなど、何かを企んでいるようにしか思えなかった。それは景元も同じようで、「私もついて行っても?」と問えば、彼女はコクリと首を縦に振って是を示す。

「あたしは鏡流と時間稼ぎしておきますから、二人で様子を見てきてください」

 そう言って立ち塞がるように前に立った白珠の背中は、いやに大きく見えた。
 よろしく頼む、と言えば、彼女は踵を返し、「こちらへ」と木陰を突き進んでいく。応星と景元はその後に続いて、足早に駆けていった。